閑話 愛しい君の残り香
「テオドール様、申し訳ありません。我々も全力で捜索しておりますが、依然としてメラニー様の行方は杳として知れません」
伝令のフィエルテ公爵家騎士からの報告に、僕はもう何度目かも解らない溜息を漏らした。
メルちゃんが行方不明になってからもうどれだけ経っただろう。最後に目撃された時に一緒に居たという男の正体も解らず、彼女が何処に消えたのかも解らないままだ。
メルちゃんは無事なのか、元気にしているのか。そればかりが気になって、あれからもうずっと満足に寝られていない。
「目の前で一瞬にして消えるだなんて人が出来る事じゃない。メルちゃんと一緒に居た男は、恐らく時空の妖精と契約している筈だ。妖精の力を借りて空間を移動したのなら移動先は無限だよ」
「それは……確かにその通りです。であれば国中に捜索範囲を広げて捜索致します」
「うん、頼む。一日も早く見つけてくれ。それと例のリシェスとかいう男爵についての調査も進める様に」
「了解しました」
騎士が退室した後、視線は窓の外へと自然と向かう。僕の大好きな夕暮れの色は、もうすっかり暗い闇の色に塗り潰されてしまっていた。先の見えない闇は、僕の心にも暗い影ばかりを落としていく。
「メルちゃん、何処にいるの……逢いたいよ……」
呟く声に応える声がある筈もなく、虚しく消えていくだけだ。
メルちゃんが行方不明になったと聞いて、本当はすぐにでも飛んで帰って僕自身が探したかった。けれどアカデミーでの勉強は後2年もあるし、父上からの課題もまだ達成出来ていない。
今僕がそれら全てを投げ出してメルちゃんを探しに行こうとすれば、例えメルちゃんを見つける事が出来たとしても、父上は僕達の結婚を決して認めてはくれないだろう。
そう思えばこそ、心は張り裂けそうな程に辛くて苦しくても、僕はエガリテ王国から離れる事は出来なかった。
今出来る事は、捜索する騎士達を信じてメルちゃんの無事を祈る事しかないのだと頭では理解出来ていても、心は割り切れずに酷く乱れる。
「それにしても時空の妖精、か……随分珍しいけど、そこから割り出すのは難しいな……」
メルちゃんの行方を知る上で、手がかりになりそうなのは一緒に居たという謎の男の存在だ。彼が契約していると思われる時空の妖精は、時と空間を司るかなり珍しい妖精で、滅多に人前に姿を現さないという。
亡くなった母上――アニエス・フィエルテは優れた調香師であると同時に、メルちゃんと同じ妖精の加護を受けた人だったが、母上の周りでも時空の妖精にはお目にかかった事がない。
母上が香水の原料となる植物を育てる温室には常に様々な妖精が居たけど、特によく姿を見たのは水と緑の妖精で、彼らは母上の後をついていく幼い僕の事をよく揶揄っていた事を思い出す。
母上の周りには常に妖精の存在があり、僕にとってはそれが当たり前だったから、妖精が珍しい存在だと知ったのは母上が亡くなってからだった。
母上の温室にあれだけ居た妖精達はそれからぱったりと姿を消し、母上が大切に育てていた花々は日に日に元気を失っていく。父上は悲しみを紛らわす為に仕事に没頭する様になり、明るかった公爵邸は火が消えたかの様に静まり返っていた。
それからというもの、僕は毎日邸を抜け出しては妖精の姿を探していた。妖精が戻ってくればまた母上が生きていた頃の様に戻るのではないかと思っていたのだ。
けれど僕が見つけたのは妖精ではなく、それよりももっと大切なメルちゃんだった。
妖精の加護を受けている筈だというのに、何故か周りに妖精がいないメルちゃんは、それでも母上よりも優れた力を持っている事はあの邸の植物を見れば一目瞭然だった。
結局妖精を見つける事は出来なかったけど、僕にとってはメルちゃんと出逢えた事が何よりも幸せな事で、メルちゃんと過ごした日々は宝石の様に輝く思い出だ。
そんな忘れ難い日々を思い返していた所で、ハッとする。
「駄目だ……考えないといけないのはメルちゃんに繋がる手がかりなのに、思い出に浸ってた所でメルちゃんには逢えない……」
僕はまた一つ溜息を漏らすと、心を一旦落ち着けようとメルちゃんが送ってくれたサシェの一つを取り出す。ラベンダーのサシェの香りを嗅ぐと、少しだけ心が安らいだ気がした。
そもそも考えていたのは妖精の事だ。
世の中に妖精と契約している人はそれ程多くはない。とはいえどんな妖精と契約しているかだなんて、誰もが知っているのは神殿の司祭以上の者の多くが光の妖精と契約しているという事くらいだろう。
光の妖精というのは治癒などの護りに特化した力を持っているから、公表した所で特に害はないし、神殿の者はそもそもが治癒が出来る神力を持った特異な者達の集まりだ。
けれど妖精の魔法は、使い方によっては攻撃の手段となる。炎や風、水といったものは戦において役立つという事もあり、契約している騎士の存在は秘匿されている事が多いのだ。
職業として妖精の魔法を前面に出す必要が無い限り、殆どの人は契約したとしても親しい人にしか話していないという事が言えるだろう。
そんな中でも特に珍しいとされる時空の妖精。時を進め、戻す事も出来るというのは殆ど神の領域だ。その上空間を自在に繋げ、離れた距離も瞬時に移動出来るというのだから契約出来たとすれば国としてもかなり重宝される存在になり得る。
けれどこれまでに時空の妖精と契約した者がいるという話は聞いた事がない。妖精から例の男を探り当てるという事は、完全に手詰まりなのだ。
また一つ溜息を漏らした所で、扉がコンコンとノックされる音が響く。許可をすれば入ってきたのは執事のクリストフだった。
アカデミーの寮は基本的に使用人を連れてこられない事になっているのだが、成績優秀者には広さのある特別寮が与えられており使用人も一人までなら可とされているのだ。
クリストフは代々フィエルテ公爵家に仕えている執事の家の息子で、少し年上なのだが幼い頃からよく知っている気心の知れた兄の様な存在と言える。そんな彼は見慣れない旅行鞄を抱えていた。
「クリストフ、それどうしたの?」
「先程報告に来た騎士達の一人から預かりましたよ。なんでも宿に残されていたお嬢様のお荷物だそうで……」
「メルちゃんの!?」
弾かれた様にクリストフに駆け寄ると、恐る恐るその旅行鞄に触れる。やっと手に入れたメルちゃんの痕跡に胸が震えるけれど、こんな荷物を置いたまま消えてしまっただなんて、それこそ余計に心配になってしまう。
「中身はまさか確認してないよね?」
「それは勿論してないと言ってましたよ!まずはテオドール様にお渡しするべきだって事で」
「良かった、安心したよ」
メルちゃんが触れていた旅行鞄の取手を掴むと、慎重にテーブルの上へと横たえる。勝手に荷物を確認するのは本当に忍びないけど、何かしらの手がかりがあるかもしれないから確認しない訳にはいかない。
「ごめん、メルちゃん……!ちょっとだけ確認するからね!」
ここには居ない彼女に本気で謝りつつも、鍵が掛かっていない旅行鞄をそっと押し開ける。極力見ない様に気をつけてはいても、ひらひらとしたレースの布類がどうしても目の端に映ってしまい、みるみるうちに顔は赤くなるし、メルちゃんに対して罪悪感でいっぱいだ。
そんな中で僕の目に入ってきたのは、大事そうに仕舞われた僕からの手紙の束だった。震えそうになる手を抑えながらそっとそれを取り出す。
ばらばらにならない様に麻紐で縛られたそれらを確認すれば、きっと何回も読み返してくれたのだろう。封筒の中の手紙はどれもくたりとよれてしまっているのが、本当に嬉しくて胸が熱くなる。
しかも贈り物として贈った花々は、丁寧に押花にしてくれているのがまた嬉しくて泣きそうになってしまう。
「手紙、全部持ち出してくれてたんですね」
「うん……」
邸を手放す事になってしまった彼女が、厳選した大切な物がこの旅行鞄だとしたら、そこに僕からの手紙を全て入れてくれた事が本当に泣きたいくらい嬉しかった。
他にも彼女らしい手作りジャムや、植物図鑑、料理の本といった物の中で、彼女らしくない本が何冊か混ざっている事に気付く。
随分と可愛らしい装丁だが小説だろうか。
「…………っ!?な、何これ!?こんなの本当にメルちゃんが読んでるの!?」
ぱらぱらとめくって少し流し読みをしてみるけれど、あまりに刺激が強すぎる内容にどうしていいか解らなくなる。顔は物凄く熱くなるし、これをメルちゃんが読んでいるだなんて、なんだか妙な気分がして落ち着かない。
「あー……これ、官能小説ってやつですね。御婦人方はロマンス小説って呼んで割とよく読んでますよ。公爵家の邸にもひっそりと蔵書としてありますから」
「はぁ!?」
僕が見ていた物とは違う本を見ながら言うクリストフの言葉に、僕は思わず目を丸くする。うちの邸にもあるという事は、つまり母上も読んでいたという事で……
「や、やめろ!そんな話は知りたくなかったよ!」
「いやいや、これは御婦人向けですから話もしっかりとしてるし結構読み応えありますよ?テオドール様だってこういう事、お嬢様で妄想したりするでしょう?」
「ぼ、僕はメルちゃんでそんな事考えないよ!クリストフの馬鹿!変態!」
本当に何て事を言い出すのかとクリストフを軽く叩くものの、妄想しなかったかといえば嘘になる。こういう事を結婚したらするのだという事は知っていたし、好きな人に触れたいと思うのは当然の事ではないのだろうか。
思えばメルちゃんは僕をぎゅっと抱き締める事があったけど、あれは本当に心臓に悪かった。心臓がばくばくとして全く落ち着けなかったものだ。
「男は須く変態だと思いますけどね。まぁ、お嬢様がこれをお持ちだったって事ですから、これを読んでテオドール様も勉強されたらどうです?女心はよく学べると思いますよ」
「う、うるさい!もう出てけよ!」
ニヤニヤと揶揄う気満々のクリストフを、ぎゅうぎゅうと扉の外に押し出すと、僕は大きく息を吐き出しながら扉を背にへたりこんでしまった。顔が熱くて頭に血が上ったみたいだ。
「女心、か……」
その日は結局別の意味で頭を悩まされて、寝不足になってしまうのだった。
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!




