17 戻ってきた手紙
「メラニー様、今度の夏至祭で出張販売をしてみませんか?」
朝食の席でされたジェロームからの提案に、私はきょとんとした表情を浮かべる。
夏至祭といえばアベラ教における最も盛大な祭だ。夏至は一年で最も陽が昇っている時間が長く、生命の女神であるアベラ様の御力が最も高まる日であると言われている。
夏至の前日から夏至当日を挟んで翌日までの計3日間行われるのだが、まず前日には各街にある広場の中央に木製の柱が建てられ、それに人々が持ち寄った蔦や花々を飾り付ける所から祭は始まる。
この一年の感謝や祈り、願いを込めながら飾り付けた柱を囲んで、人々は3日間歌い踊りあかしてアベラ様への感謝を捧げるのだ。
そうして3日目の夜に飾り付けた柱を燃やし、舞い上がる炎によってアベラ様の元へ人々の思いを乗せて届けるというのが基本的な夏至祭の流れとなる。
その為に広場の周囲には屋台が多く出店し、広場近くの店々も食べ歩きが出来る物を多く販売しているので毎年かなりの賑わいとなるのだ。
他にも多くの女性は夏至祭の間は花冠を被っているのだけれど、未婚の女性の場合は彼女に好意を寄せる男性がその花冠に花を加えて自身をアピールするという風習がある。花を加えてくれた男性が意中の人だった場合は、3日目の夜に被っていた花冠を彼に渡し、柱を燃やす炎に共にくべる事でその二人は離れる事なく幸せになれると言われている。
しかしながらそんな夏至祭での出張販売とは一体どういう事なのだろう。神殿として屋台でも出すのだろうか。
「出張販売って何を売るつもりなの?花冠は皆さん自分で作るわよね?」
女性が被る花冠は、基本的に自分で作るのが慣わしだ。お花屋さんとしてなら、男性が女性の花冠に加える為の花の販売だろうか。
「花冠用の花は恐らく夏至祭の前にお店の方でかなり需要がある筈ですが、祭の期間中は屋台で販売してくださると助かるという要望が多く寄せられているのです」
「あぁ、確かに夏至祭の間は踊っている間も花冠を身につけていますからね。修復するのに新しい花が必要になる場合も多いでしょう」
「成程、そういうものなのですね……!私は夏至祭に参加した事がないので知りませんでした」
歌い踊っていれば編んで作った花冠が弛んでしまう事もあるのだろう。その時に広場にある屋台で花が売っていれば、確かにすぐ修復できるし便利だろう。
ようやく納得できてうんうんと頷いていれば、ジェロームもクロヴィス様も驚いた様子で目を丸くしている事に気付く。
「ほ、本当にメラニー様は今まで一度も参加された事がないのですか!?」
「夏至祭はどこの街でも行われている筈ですが……」
「え、えぇ……もしかしたら小さい頃は参加した事があるのかもしれないけれど、物心ついてからは一度も……それにお母様が亡くなってからは本当にやる事が多くて忙しくて……」
自分で言いながら、私は世の中の殆どの人が参加している祭に参加して楽しむという事すらしていなかったのねと少しだけしょんぼりとしてしまう。
「メラニー!大丈夫よ!今年から楽しい夏至祭の思い出をあたし達と作ればいいのよ!」
「姫様、元気を出してください!ぼくも全力で姫様を笑顔にしますから!」
「二人共……!そうよね、これから思い出を作っていけばいいのよね!」
ぎゅっと抱きついてきてくれたシエルちゃんとルフレくんの優しさが嬉しくて、私も二人を抱え込む様に抱き締める。
「またいい所はシエルとルフレに持っていかれてしまいましたね」
「くっ……オレとルフレがどうにかして入れ替わる方法はねぇのか!?」
「ジェローム、願望がだだ漏れになっていますよ」
私が可愛らしい妖精さん達を独り占めしている間、クロヴィス様とジェロームは小声で何事か話していたのだけれど、ややあってジェロームが一つ咳払いをする。
「実は花以外にも、特に女性達からメラニー様お手製のローズマリーのクッキーを是非屋台で売ってほしいという話がきています」
「まぁ!そうなの?最近よくローズマリーの物が売れると思っていたのだけれど、皆さんのお口に合ったのね」
最初は改装業者の方々がセルフィーユのクッキーをよく買っていってくださっていたのだけれど、彼らが家族や知人の方々にも勧めてくださった様で、そこからハーブのクッキーが全般的によく売れる様になっていた。
そうしてどんどん人伝に評判になったのか、最近では生花の次によく売れるのがハーブの中でもローズマリーのクッキーだった。
ローズマリーはいい香りだし、クッキーとの相性もいいから私も大好きな味だ。それがこんな風に屋台でも売ってほしいという要望がくるだなんて、それ程好評だったのだという事が解ってとても嬉しい。
単純に喜んでいた私とは裏腹に、ジェロームは少し思案顔だ。彼は言おうか言うまいかと視線を彷徨わせて逡巡した後、私の方へと視線を向ける。
「その……メラニー様のお手製クッキーですが、味が美味しい事もあるとは思うのですが、実は世間では幸福のクッキーとして話題になっています」
「えっ」
「一口食べれば病気知らず。その上ローズマリーの物は、好きな相手に渡せば恋が叶うクッキーとして噂になっている様なのです」
「こ、恋が叶う……?」
真面目な顔で語るジェロームに、私は半信半疑だ。病気知らずというのは、妖精の祝福のせいだろうから確かにそうなのだろうと思う。
しかし恋が叶うというのは随分と抽象的だ。実際、お互いに好意がある相手からクッキーを渡されれば嬉しいだろうし、そういう偶然が重なって噂になってしまったのだろうか。
「私も何度もローズマリーのクッキーを食べたわ。本当に少し元気になる位でそんな効果はない筈なのだけれど……」
実際、テオにもローズマリーのクッキーをあげた事があるけれど、テオが変わった様子はなかった様に思う。ここで作った時だって、皆さん幸せそうに食べてくださっただけで特に変化はなかった筈だ。
困惑する私に対して、クロヴィス様は私を気遣う様に優しく微笑まれる。
「ローズマリーは『恋の媚薬』とも言われますからね。その辺りの話と、神殿のハーブを使っているという点、そこにクッキーを渡したどなたかの恋愛が上手くいったという事例があればそういう噂にはなりそうです」
「気持ち的な問題なんでしょうか?そういう事が、私はよく解らなくて……」
「あぁ、成程。メラニーさんはまだ恋を知らないのですね」
そう言うクロヴィス様は、物言いたげでもあり、少しだけ悲しそうな何とも言えない表情をされていて、胸がざわりとしてなんとなく落ち着かない気持ちになる。
「恋は盲目とも言います。眉唾物の話でも、恋が叶うというならすがりたくなってしまうというのが恋心なのでしょうね」
「いや、お前もそういう恋なんてした事ねぇだろ。アカデミーに通っていた頃だって――」
「ジェローム」
クロヴィス様はにこりとジェロームに微笑んでいるけれど、どう見ても目が笑っていない。ジェロームは嫌そうに顔を顰めると、わざとらしく咳払いをした。
「あー……うん、オレは何も知らねぇ。失言だった」
「理解頂けて良かったです。まぁ、それはともかく、効果は精神的な面もあるでしょうけれど、メラニーさんのクッキーがどなたかにとっては告白する際の心の支えやきっかけになっているのなら良い事だと思いますよ。夏至祭は恋の祭でもありますからね」
「心の支え、ですか……」
告白した事もされた事もないけれど、きっととても勇気がいる事だというのは想像がつく。不安で心細くて、何かに縋りつきたい時に、私のクッキーが後押しになるのなら確かに嬉しい事だ。
「そう、ですね……!それなら夏至祭に向けてローズマリーのクッキーをたくさん用意しておきます」
「ありがとうございます!屋台に関してはオレ達が用意しておきますし、夏至祭の当日にはメラニー様が祭を楽しめる様に店番を交代しますので安心してください!」
「夏至祭……初めてだから本当に楽しみだわ。お店の事以外で私が用意しておくのは自分の分の花冠だけよね」
本当に祭というものに参加するのが初めてだから、なんだか心が浮き立つ様で、落ち着かなくてそわそわする。踊りが踊れるのかという問題はあるけれど、屋台に並ぶという食べ歩きできる物は目移りしてしまいそうだ。
そんな事を考えているのが顔に出ていたのか、私の顔を見てクロヴィス様がくすくすと可笑しそうに笑みを溢す。
「ふふっ、メラニーさん。夏至祭までまだ幾日もあるのですから、今からそんなに目を輝かせている様では、当日は目が離せそうにありませんね」
「子供っぽくてお恥ずかしいです……クロヴィス様、私が食べ物に釣られて迷子にならない様に見張っていてくださいね」
「それは大変な御役目ですね。善処するとお約束しましょう」
クロヴィス様はなんだかとても嬉しそうにふわりと微笑まれるものだから、私まで嬉しくなってしまう。今から夏至祭が楽しみすぎて、当日までふわふわと夢心地で過ごしてしまいそうだ。
そう思っていた時、食堂のドアを軽くノックする音が響く。顔を出したのは助祭の中でも年若いポールという少年だった。
「あの、ジェローム大司教様。御歓談中の所申し訳ありません。手紙が届いたのですが……」
「手紙?誰からだ?」
ポールから手紙を受け取ったジェロームは封筒の表と裏を確認し、眉を顰める。何か良くない報せだろうか。彼は少しだけ考え込んだ後、それを何故か私の方へと差し出すのだから目を丸くしてしまう。
「え?私が読んで大丈夫なの?」
「その……これはメラニー様が送られた物の様です」
「えっ!?」
まさかという思いでそれを受け取り確認すると、確かにそれはもう何日も前に私がテオに出した手紙に間違いなかった。
「どういう事なの……?宛先が間違っていたのかしら……」
「それは例の少年への手紙ですか?今までと同じ場所に出したのですよね?」
「エガリテ王国のアカデミー宛に出したんです。でもそういえば……いつもはテオから手紙が届いたら、持ってきてくれた方が私が返信を書くのを待って、そのまま持ち帰っていました」
今まではそれが当たり前だと思っていたけれど、よく考えればそれだと例え私がテオの居場所を知らなくても確実に届くという事だったのだ。
同じく難しい顔で私の封筒を見ていたクロヴィス様は、私の方へとそれを返しながら眉を顰めた。
「そのテオくんというのは本名なのでしょうか?宛先は間違いなくエガリテ王国のアカデミーですから、違うとしたら名前です。もしかして愛称なのではありませんか?」
「愛称……私は、テオという名前しか知りません。それにいつもテオの方が私の家に遊びに来ていたので、どこに住んでいるのかも知らない……何も、知らないんです……」
手紙のやり取りをしていたから何の疑問を持っていなかったけれど、こうなってみて初めて、私はテオの事を何も知らなかった事に愕然とする。
テオとの思い出は確かにあるのに、私が知っているその名前すら本名ではなかったかもしれなくて、荷物が無くなってしまった今、テオとやり取りしていた手紙という確かな証さえ何もないのだ。
「私が知っているテオは……一体誰だったんでしょうか……」
本当はエガリテ王国のアカデミーに通ってなんていなかったのだろうか。テオが帰ってくるのをずっと待っていると言ったあの約束はどうなってしまうのだろう。解らない事だらけだというのに、それを確かめる術さえない。
信じていた足元ががらがらと崩れていく様な感覚に、私は目の前が真っ暗になる様だった。
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!
次回はテオ視点のお話になります。




