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15 開店初日の朝

 思っていたよりもすっきりとした目覚めの中、私はベッドから体を起こしてぐっと腕を天に伸ばす。窓から見える空は陽が昇ろうとする少し前なのか、ほんの少しだけ白み始めていた。


 横を見ればシエルちゃんが気持ち良さそうな顔ですやすやと寝ている。ぷっくりとして可愛らしい頬を少しつつくと、彼女はむにゃむにゃと口を動かして丸くなってしまう。その姿があまりに可愛らしくて、つい口元が緩む。


 出会ってから殆ど姿を現したままのシエルちゃんだけれど、クロヴィス様の話では彼女は時空の妖精だから自分だけの特別な空間があるらしい。いつもクロヴィス様が持たれている鞄も、そのシエルちゃんの空間に繋がっているからこそ様々な物を収納できるのだとか。


 今までは普段はずっとそこに居て、気が向いた時やクロヴィス様が呼ばれた時にしか出て来なかった様なのだけれど、ここに来てからはこうして毎日一緒に寝るのが習慣になっていた。


 彼女を起こさない様にそろそろとベッドを抜け出すと、昨夜飾っておいたヘリオトロープの側へと足を向ける。近寄らなくても甘く香るバニラの様な香りは、ほわほわとした温かい心地にさせてくれた。


「本当に甘くて良い香りだわ」


 クロヴィス様がドライフラワーにするのがお勧めだと仰っていたけれど、こんなに良い香りで可愛らしい花なのだからどうせなら長く楽しみたい。


 ドライフラワーにする方法としてよく行われるのが逆さまにして吊るすというものだ。生花を自然な形で簡単に乾燥させられるから私もよくやるのだけれど、色がくすみやすいというのが難点だ。


 くすんで味わいが出るものもあるけれど、ヘリオトロープの場合はそれをするとこの綺麗な紫の花の色が失われてしまうのだ。


 なので今回は直接陽の当たらない場所で、少しのお水を入れた花瓶にさして、水を加える事なくじっくりと乾燥させていく方法に挑戦している。逆さまに吊るして乾燥させるより難しいのだけれど、こちらの方が花を鑑賞しながらドライフラワーに出来るからだ。


 時間がかかってしまう分、茎がくたりとしやすいのが難点なのだけれど、そこを気を付けていれば紫の花の色は残った綺麗なドライフラワーになる筈だ。


「せっかくクロヴィス様がお祝いにくださったのだし、どうせなら綺麗なままでドライフラワーにしたいものね。お願いだから出来るだけ長く楽しませてちょうだいね」


 ちょんとヘリオトロープの花に触れて、そっと語りかける。花が言葉で答えてくれる筈もないけれど、開けた窓から入る風に揺れて、ふわりと微かに揺れる姿は返事をしてくれている様にも見えた。


「よし!今日から本番だもの、頑張らないとね!」

「んんー……メラニー、もう起きてるの?」

「あら、起こしちゃったのね。まだ早いから寝ていて大丈夫よ。私はお店に出す生花の用意があるから少し庭園に出てくるわね」

「庭園なら大丈夫よ。あたしはもう少し寝てる……わ……」


 話しながらも眠そうに目を擦っていたシエルちゃんは、またすぐ寝息をたて始めていてくすりと笑みが漏れる。そのまま手早く着替えを済ませると、園芸用の鋏を手にして朝焼けが綺麗な外へと踏み出した。


 少しずつ涼しくなってきているとはいえ昼間は暑い日がずっと続いていたけれど、早朝のこの時間は比較的過ごしやすい気候だ。


 神殿の回廊の方に夜警をしている助祭のどなたかの姿が見えたのでぺこりと頭を下げれば、ひらひらと手を振ってくれているのが遠目に見えて私も振り返す。


 まばらではあるけれど、この時間でも夜警の方以外にも起きている方はいらっしゃる様だ。庭園は広いから、走り込みをしている方なんかもちらほらといて、そのうちの二人は見知った顔だった。


「まぁ!あれはジスランにガエル司祭様だわ。こんな朝から走っているだなんて流石ね」


 二人の距離はかなり離れていたのだけれど、二人共それぞれに体幹がしっかりとしているのか、走り方が綺麗で感心してしまう。私もあれくらい体力があって、速く走れたら気持ちいいのだろうなとつい目で追っていれば、じっと見ている事に気付いた二人が目を丸くしてこちらへと向かってくる。先に辿り着いたのは先行していたガエル司祭様だ。


「おいおい、お嬢ちゃん!?こんな朝っぱらからどうした!?昨日の今日で疲れてんだろ」

「ふふっ、ガエル司祭様だって昨夜の祝宴は準備から大変だったでしょうに、こうして朝から走られているではありませんか」

「いや、オレは普段から体力有り余ってっから構わねぇんだよ。んな事より、昨夜は若い奴らがお嬢ちゃんに纏わりついて迷惑かけたな。ちぃとばかし暴走しがちでクセがある奴らだが、根は悪い奴らじゃねぇんだ。大目に見てやってくれや」


 がしがしと困った様子で頭を掻くガエル司祭様は、ジスランから話を聞いた通りお優しくて頼り甲斐のある御方の様だ。


 昨夜の祝宴には本当に7人の司祭様が揃い踏みだった。ジェロームよりも年上で大人な皆様は殆ど話した事がない私にも終始笑顔でいろいろと楽しいお話をしてくださったのだけれど、問題はジェロームとサミュエル、イヴァン司祭様の3人だ。


 3人は――正確にはサミュエルとイヴァン司祭様は仲が良さそうだったので、彼らとジェロームが恐らくは馬が合わないというやつなのだろう。


 私を間に挟み、事あるごとに口喧嘩をしている3人をルノー司祭様、ガエル司祭様、ナルシス司祭様が取成す事の繰り返しだったのだ。


 しかしながらぽんぽんと途切れる事なく続く言葉の応酬は聞いていて気持ちがいい位で、本当は仲が良いのではないかと思える程だった。喧嘩する程仲が良いとはよく聞く事ではある。


 そんな昨夜のやり取りを思い出すと、くすりと笑みが溢れた。


「大丈夫です。皆様いろんな意味で仲がよろしくて、とても楽しい時間を過ごせましたもの。私の為に素敵な祝宴をありがとうございました」

「おっ……おう。お嬢ちゃんが喜んでくれたんなら、オレ達はそれだけで報われてるよ」


 がっしりとして大柄で無骨な印象を受けるガエル司祭様が、少し照れた様子でにっと歯を見せて笑うとまるで少年の様に親しみやすい感じがした。なんだか一気にガエル司祭様が大好きになってしまって、にこにこと微笑んでいるうちに、息を切らしたジスランがようやく辿り着いた。


「はぁはぁ……め、メラニーちゃん、もしかして今から生花の調達するつもりだった?俺、てっきり朝食の後くらいだとばかり思ってたよ」

「あっ、時間を朝としか言っていなかったものね。ごめんなさいね、ジスラン。私の言葉が足りなかったわ」


 私が園芸用の鋏を持っていたから察しがついたであろうジスランは、流れ落ちる汗を腕で拭いながら申し訳なさそうな顔をしている。ちゃんと時間を伝えなかった私が悪いというのに、こんなに慌てて走らせてしまうだなんて私の方こそ本当に申し訳ない。


「あぁ、そうか。あのどらいふらわー?とか良い香りのする小袋だけじゃなくて、アベラ様に捧げる供物の花用に生の花を用意すんのか」

「生花は新鮮な方がいいですし、薔薇などは陽が昇って花が完全に開いてしまう前の方が香りが良いので、早朝に摘んだ方がいいんです。それでこの時間に調達しようと思って早起きしたんですよ」


 どうやらドライフラワーやサシェの事はあまりご存知でない様子のガエル司祭様は首を捻っていたが、私の説明に何度も首を頷いて聞いてくださる。


「それでこんな朝早くから……了解。俺は花をどうやって切ったらいいのかも解んないし、メラニーちゃんが切ってくれた花を持つのは手伝うよ」

「走り込みをしていたのでしょう?大丈夫なの?」

「夜もまた走るから大丈夫だよ。それに花だって大量に持てば鍛錬になるだろ?」


 ぐっと片腕を曲げて力瘤を作りながらにっと笑うジスランに、私は思わず噴き出してしまう。彼にかかれば花の収穫まで鍛錬になってしまうらしい。


 なんだか楽しくなってくすくすと笑っていれば、ガエル司祭様がジスランに対抗するかの様に両腕をむんっと曲げて見事な力瘤を作り上げる。


「ジスランにだけいい格好はさせられねぇな!俺の上腕二頭筋は花だって大量に抱えられるぜ!」

「まぁ!それはとても頼もしいです!宜しくお願いしますね」


 こうして力自慢の2人のお陰で、お店まで何往復もする事を覚悟していたというのに、たったの一回でお店に並べられる程の生花を運んでしまうのだから本当に助かってしまった。


 ガエル司祭様も花には全く詳しくないけれど、これからはお店を開く日は毎朝生花を運ぶのを手伝ってくださるというのだから本当に頼りになる御方だ。


 生花が並んだ事で、店内は一気に華やかになり、花の良い香りに包まれていた。これでようやく後はお客さんを迎えるだけの状態だ。


「……ジスラン」

「ん?」

「ちょっと頬をつねってくれないかしら?まだ夢を見ているのじゃないかしらと思えて仕方ないのよ」

「ふはっ……大丈夫大丈夫。つねらなくてもこれは夢じゃないよ」


 可笑しそうにお腹を抱えて笑うジスランを横目に見ながら、私はまだ惚けた様に店内を何度も見渡してしまう。邸を出なくてはいけなくなった時はどうなるかと思っていたのに、こんなに早くお店を任されるだなんて本当に幸運だった。


「……私ね、お父様の借金のせいで何もかも無くしてしまった時には本当に途方に暮れていたのよ。でもこうして今は夢に見たお花屋さんを開ける所まできたんだもの。きっとアベラ様も見守ってくださっているのよね……?」

「そうだね。女神様はいつだってメラニーちゃんを見守っていてくださっていると思うよ」


 そう言うジスランは私の顔をじっと見詰め、優しく目元を緩めるのだった。






読んでくださってありがとうございます!


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