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1 没落するのはあっという間

「……という事で、そこに書いてある通り、この邸は本日より俺の物となった」


 そう言ってにたりと嗤う男は、ゆったりとした動作で足を組み直す。


 応接間にあるソファの向かいに、まるで既にこの邸の主であるかの様に堂々と座るこの男がやって来たのは昼を過ぎた頃だった。


 テオが隣国であるエガリテ王国に留学してから早一年。来客なんてほぼなくなってしまった我が家に、先触れもなくいきなりやってきた彼はリシェス男爵と名乗り、我が家の今後に関わる重要な要件があると言ったのだ。


 年は30代半ばくらいだろうか。すらりとした長身に癖のあるブロンドの髪。男爵というが、服装も装身具も見るからに上等な物ばかりで、子爵家の我が家よりも相当羽振りが良さそうに見える。


 特に知り合いという訳でもない初対面の男が訪ねてくるだなんて、何となく嫌な予感がしたのはこれだったのだ。


「お父様が……あなたの経営しているカジノで大負けして、その借金の形にこの邸や領地どころか、爵位まであなたに売ってしまったと……?」

「あぁ、その通りだ。そこにトレランス子爵――いや、もう元子爵だな。署名がしてあるだろう?」


 渡された契約書には紛れもないお父様の筆跡で書かれた署名があり、私はふつふつとした怒りを感じると同時に虚しさも感じていた。


 お母様の死に耐えられず、悲しみの中でお酒と賭博に逃げてしまったお父様。それ程にお母様を愛していたという事だから、仕方ないと思っていたのだが、今回の事はその境界を超えてしまっている。


「……お父様は、もうとっくに貴族の矜持を捨ててしまっていたのね」


 貴族として生まれたからには、領民に対しての責任が伴う。代々続く家門の維持など、貴族として守るべき矜持。その全てを売ってしまうだなんて、普通なら考えられない事だ。


 この5年、何もしないお父様に代わって必死に守ってきたのは私だというのに、これはあまりにも酷い裏切りだ。


 知らず力が篭っていた手で、契約書に皺が寄る。


「少し調べさせてもらったが、この数年、子爵家を維持してきたのは御令嬢だろう?まだ成人前だというのによく頑張ったと思うが……あなたの落ち度は、あの無能な父親を切り捨てなかった事だ」

「そうでしょうね。あれでも私にはたった一人の家族でしたから。ですが……お父様にとっては、私は家族ではなかったのでしょう」


 お母様が生きていた頃には、まだ優しかった記憶がある。けれどこの5年、少しずつ失われていったお父様への家族としての情は、とうとう消えてしまった様だ。こんな事をしでかしたというのに、姿すら現さない人など、私にとってももう父親だとは思いたくなかった。


 ふーっと私は大きく息を吐き出すと、リシェス男爵に視線を戻す。


「既に契約書がある以上、私は了解するしかありません。せめて荷物を詰める時間くらいは頂けますか?」

「ふむ……御令嬢にすぐに出て行けという程鬼でもない。そうだな……三日程猶予をやろう」

「ご配慮に感謝致します」


 爵位まで失った今、既に私は貴族ではないただのメラニーだ。それでもこれまで貴族として生きていた者の矜持として、これまでの全てを込めた完璧な礼をとる。きっと、こんな礼をする事はもう二度とないのだろう。


 そうして顔をあげれば、リシェス男爵が私の事をじろじろと無遠慮に眺めている事に気付く。なんとなく嫌な感じがして、少しだけ視線を逸らした。


「……時に、御令嬢はこれからどうされるつもりだ?貴族の御令嬢は働いた事もないだろう?」

「急な話でしたから、今はまだ何も……」


 そうだ、平民になってしまったのだからこれからは自分で働いて稼がなくてはいけないのだ。


 三日後には住み慣れたこの邸からも出なくてはいけないのだし、今まで残ってくれた使用人達に紹介状を用意したり、自分が新しく住む家と仕事の確保までしなくてはいけないだなんて、たった三日で出来るだろうか。


(でもこの5年で一通りの家事はこなせるようになったし、急に平民になって追い出されるよりは出来る事も多いんじゃないかしら)


 恵まれた貴族として生きていたまま今日を迎えていたら、きっと私はもっと途方にくれていたに違いない。そうでないだけ幾分かマシなのだと思ったら少しだけ気は楽になった気がした。まだ自分がどんな仕事を出来るのかは想像もつかなかったけれども。


 自分を鼓舞する様に手をぐっと握り締めていれば、そんな私を彼がまだじぃっと見据えている事に気付く。まるで獲物を前にした蛇の様に絡みつく瞳は、どうにも苦手だ。


 テオも私の事をじっと見ている事が多かったけれど、その瞳は明らかな好意で溢れていたし、たぶん彼以上に私の方が天使の様な彼を眺めていたからあれはお相子だったと思う。


 けれどリシェス男爵の瞳は、私を値踏みする様な類のものだ。普通貴族の異性に対してじろじろと見るだなんて失礼な事はしないものだが、恐らく既に平民になった私にはそういった礼儀を取る必要もないという事なのだろう。


 彼は暫く私の事を眺めると、フッと口の端を上げた。


「もし、仕事に困る様だったら俺が経営する店で()を売ってはどうか?」

「花、ですか?」


 花なら庭にお母様の薔薇が咲いているが、確かにあの薔薇は四季咲きで年中美しいし、今まであれを売るなんて発想は無かったけれど、あれだけ綺麗なのだから買ってくれる人がいるのかもしれない。


 小首を傾げていれば、彼はくっくっと可笑しそうに忍び笑いを漏らす。


「俺の趣味ではないが、あなたは立居振る舞いが美しいし、その燃える様な瞳は特に印象的だ。うちに来る客には誰も摘んでいない蕾を花開かせるのを至高の贅沢だと考えている者も多い。御令嬢の()なら黄金を積んでも欲しがる者がいる事だろう」

「……?はぁ……」


 蕾から育てる事を楽しむ様な植物好きに花を売るのに、何故私の容姿が関係あるのかとよく解らない所もあったが、私が売る事で黄金まで出すだなんてそんな可笑しな話があるだろうか。


(あっ……でも、テオはよく私が摘んだハーブを買いたがっていたわね。ふふっ、懐かしいわ。今頃元気にしているかしら)


 あれから一年も経ったのだから、きっと背も伸びた事だろう。季節毎に届くエガリテ王国の珍しい花々と手紙とで彼の様子は知れたけれど、直接会えてはいないから今の彼がどれだけ成長したのかは解らない。


 ただ、テオの事を考えるといつだって心はぽかぽかと温かい気持ちになるのだ。くすりと笑みを溢せば、リシェス男爵が意外なものを見る様な表情を浮かべていた。


「この様な話をして憤慨するとばかり思っていたが、まさかそんな表情(かお)をするとは思わなかった。御令嬢は俺が思っているよりも世馴れているらしい」

「あの……それはどういう……?」


 花屋になる事を提案した所で何故私が憤慨するのだろう。なんだかよく解らない事ばかりだったが、そこで彼はソファから立ち上がり帰り支度を整え始める。


 契約では今日から邸は彼の物ではあるが、約束の三日後にまた来るつもりなのだろう。見送りの為に私も立ち上がろうとするのだが、彼の視線がそれを制する。


「見送りは結構。それよりも御令嬢は残された三日間を有効に使われてはどうだ?」

「お気遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えさせて頂きますわ。コンスタン、お客様をお送りして」


 扉付近に控えていたコンスタンにそう言うのだが、彼は頷きはしたものの、なんとも言えない難しい顔をしていた。よく見れば同じく控えていた侍女のモニクも同じ様な表情だ。


(まぁそうよね……いきなりトレランス子爵家の何もかもが売られてしまったんだもの……)


 二人とも私にとっては生まれた時から親身にしてくれた家族の様な存在だ。本当ならとっくに引退してゆったりとした老後を過ごしている様な年齢だというのに、私を心配してここまで残ってくれていたのだから。


 二人には特に今までのお礼をしないといけないだろうと考えていれば、リシェス男爵の足が扉付近でぴたりと止まり、私の方をゆっくりと振り返る。


「先程の話、御令嬢が本気ならうちとしては歓迎しよう」

「……少し考えさせて頂きますわ」


 そうして彼がコンスタンの後に続いて扉を出て暫くした後、モニクがきっと眉尻を釣り上げて私に詰め寄ってきたのだからその勢いに驚いてしまう。なんだか物凄く怒っている様だ。


「お嬢様!!何故あんな不躾で侮辱的な提案に怒られなかったのです!?ばあやはもう、(はらわた)が煮え繰り返る様でしたのに!」

「どうしたの、そんなに怒って。あんまり怒ると体に良くないわよ」

「どうしたもこうしたもありませんよ!」


 顔を真っ赤にして怒っている彼女を落ち着ける様にソファに座らせると、そっとその背を撫でる。小さい頃はモニクの方が大きかったというのに、今では年々と縮んでいる様だ。


「男爵はお花を売る提案をしただけじゃないの。私、邸に飾るお花はいつも庭から取ってきていたから、それが当たり前だと思っていたけれど、よく考えたら自分で育てられる人ばかりじゃないのだし、お花を買う人だっているのよね。お母様の薔薇なんて特に綺麗だし、高く売れるのではないかしらと――」


 植物を育てるのは好きだし、ハーブを使ったお菓子作りも得意だ。平民として自由に生きられる事になった訳だし、どうせなら男爵のお店で働くよりも、好きなお花やハーブに関するお店を自分で開くのは楽しいのではないか。


 そんな夢にうきうきと思いを馳せていたのだが、モニクは何故だか頭を抱え始めてしまってぎょっとする。怒りすぎて頭が痛くなってしまったのだろうか。


「モニク!?大丈夫!?ほら、言ったじゃないの……!怒りすぎたら体に悪いって」


 優しく彼女の背を撫で続けていたのだが、彼女は何かを諦めた様な大きな溜息を漏らした。


「お嬢様……()()()()()に関して教えてくださる奥様もお亡くなりになって、世間知らずだとは思っていましたが……」

「ちょっと、何の話?」

「図書室に奥様秘蔵のロマンス小説がございますから、三日後までにこのばあやが厳選しておきます。お嬢様は本がお好きですから、ばあやがお教えするよりもその方がよくお解りになる筈です」


 そう言いながら彼女はぐっと拳を握り締めると、図書室の方へと向かっていってしまった。彼女が何を言いたいのかもよく解らなかったが、どうやらその答えはお母様の好きなロマンス小説にあるらしい。


「そう言えばこの5年は領地の経営に関する事とか、役立ちそうな本ばかり読んでいたわね。もうそんな勉強をする必要もないのだし、植物図鑑とかお料理の本でも読もうかしら」


 あまり多くの荷物は持っていけないだろうから、本も厳選しなくてはいけない。思い入れのある物は多いから、今の私が持てるだけの物を選ぶのは骨が折れそうだ。


 一人取り残された応接間から、私は窓の外に広がる空をぼんやりと見上げる。


 これから先、どうなってしまうのか予想もつかないけれど、もう一人で頑張らなくてもいいのだと思うと、本当にほんの少しだけホッとしていた。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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