9 魅惑のコンフィチュール
ジェロームの邸へと戻ってきた私達は、料理人の皆さんの許可を頂いて厨房の一角を使わせて頂ける事になった。そればかりかエプロンも貸して頂けてありがたい限りだ。
ルフレくんもいつの間にか可愛いエプロン姿になっているけれど、妖精さんの服は魔法ですぐに変えられるというのだから便利なものだ。しっかり腕捲りをしているのが、何とも言えず愛らしくてつい頬が緩んでしまう。
「準備は万端だし、まずはラズベリーのコンフィチュールから取り掛かるわね」
火を扱うのだから気を引き締めなくてはと私は一つ咳払いをすると、先程摘み取ったラズベリーを丁寧に水洗いし、鍋に入れていく。
「ルフレくんは甘い方が好きなのよね?」
「はい!あ、でも姫様がお好きな甘さで大丈夫ですよ」
「そう?でもラズベリーは少し甘酸っぱいから、お砂糖と蜂蜜を多めに入れて煮詰めてみようかしら」
砂糖だけのコンフィチュールよりも、優しい甘さの蜂蜜を加えるとコクが出るし、花の香りもほのかに香るからお菓子には合う筈だ。
調味料は自由に使って構わないとの事だから、ラズベリーを入れた鍋に砂糖、蜂蜜、それから絞ったレモン汁を少しだけ入れて火にかける。
「これで一煮立ちしたら弱火にするのだけれど、流石代々の大司教様の為のお邸ね。炎の結晶石も使いやすい最新式だから調節が簡単だわ」
子爵家の邸の厨房にあった物は旧式だったから、火の調節をするにもコツが必要で、時々焦がしてしまったり、逆に生焼けだったりと残念な出来になってしまう事があったのだ。
何回も使ううちに慣れはしたけれど、ここにある物はなんといっても最新式だ。火の強さは結晶石に触れる回数で微調整できるのだから、微妙な火加減も問題なく出来る所が有難い。
そして私達の生活に欠かせないこの『結晶石』という物は、様々な道具の核として使用されている物だ。ここにある炎の結晶石はルビーの様に綺麗な赤色をしており、炎の妖精が作った物と言われている。
言われているというのは、この結晶石は基本的に妖精が棲む森の中に落ちている事が多いので、恐らく妖精さんが作っているのだろうという事になってはいるのだけれど、実際に作っている所を見た人は誰もいないからだ。それというのも、人と契約した妖精さんは結晶石を作らないらしい。
野生の妖精さんだけが結晶石を作るのか、何故作るのかといった事は未だに解明されておらず、けれども結晶石があれば誰でもその結晶石に応じた力の恩恵を受けられる為、結晶石を専門に集める職業もあるくらいなのだ。
野生の妖精さんはともかく、契約した妖精さんにその辺りの事を直接聞いたらいいと思うのだけれど、妖精さんには妖精さんの摂理というものがあるそうで、それに反するものは答えられないのだとクロヴィス様が教えてくださった。
難しい事は解らないけれど、結晶石は有難い自然の恵みに変わりはないのだから大切に使うべき物なのだ。
「あ!姫様、ぐつぐつしてきましたよ!」
「あら、もう良さそうね」
考え事をしてる間に砂糖とラズベリーが合わさって出てきた水分がぐつぐつと煮立っている。甘く良い香りがする中、結晶石を調整して弱火にすれば、この後は暫くアク取りだ。
「ルフレくん、私はアクを取らないといけないのだけれど、このまま何もしないとラズベリーが鍋にくっついてしまうのよ。だからそうならないように鍋を揺すっていてもらえる?」
「!はいっ!お任せください!」
ぱぁっと顔を輝かせた彼は、一生懸命鍋を揺すってくれる。その微笑ましい姿に頬を緩ませつつアクを取り続けると、段々と汁がとろりと変化してきた。
「うん、凄く良いわ!とろみも出てきたし、もうそろそろ火から下ろしましょう」
粗熱が取れたら、後は保存容器に入れればラズベリーのコンフィチュールは完成だ。まだ暫くは熱いから、この間にガレットの作成に取り掛かるのだけれど、ルフレくんは目を輝かせてコンフィチュールを覗き込んでいる。楽しみで堪らないというのが表情から滲み出ていて、本当に可愛らしい。
「ふふっ、味見はもう少し待ってちょうだいね。まだ熱々だから火傷してしまうわ」
「やっぱり姫様は凄いです!このコンフィチュール、一度食べたら誰もが魅了されてしまいますよ!」
「まだ食べていないのに大袈裟ね。でもそんな風に言ってくれるのは嬉しいわ。ありがとう」
力いっぱい褒めてくれるルフレくんがいじらしくて、私は思わず笑みが溢れる。その姿がどうにもテオを思い起こしてしまい、堪らない懐かしさが胸を支配する。
テオはまだ私に手紙を出していないだろうか。もし、いつもよりも早く出して、あの邸に私がいなかったら。その手紙はテオの元に戻ってしまうだろうから、きっと物凄く心配させてしまうだろう。
(テオは優しい子だから……私のせいで学業に支障が出たら困るわね。暫くここに居るのなら、一度手紙を出すべきだわ)
けれど、前回の手紙は邸を手放す前だったから、最近起こったあれこれを書いたらきっと驚かせてしまうだろう。あまり心配させない様に、事情があって引っ越した事だけでも伝えておかなくては。
できればいつも通り変わりない事を伝えられる様に、いつも同封していた手作りのサシェは送りたいから、庭園の花を少し分けてもらえる様にジェロームに頼んでみる必要があるだろう。
「姫様……?どうかされましたか?」
「あっ……ううん、大丈夫よ。少し考え事をしていたの。弟みたいに大切な男の子がいるのだけれど、その子、少しだけルフレくんに似ているのよ。それで元気かしらって心配になってしまったの」
勝手に面影を重ねるだなんて変に思われてしまうだろうか。そう思い、私は少しだけ苦笑を漏らす。彼は少しだけ逡巡した後、こちらに向かって徐に両手を広げた。その頬はほんのりと紅く染まっている様に見える。
「あの……!姫様の大切な方の代わりにはなりませんが、ぼくでよろしければいつでも抱き締めて構いませんから!なので、そんなに悲しそうな顔をしないでください」
私はそんなに悲しそうに見えたのだろうかと驚きつつも、精一杯慰めようとしてくれるルフレくんの気持ちが嬉しくて、目の前で手を広げている小さな彼をぎゅっと抱き締める。
「ありがとう、ルフレくんはとっても優しいのね」
さらりと頬に触れる髪が堪らなく郷愁を誘うけれど、あの頃のテオはもっと大きかったし、今は更に背が伸びている事だろう。私の中のイメージがこれくらいの小さくて守ってあげたい大きさなのだ。
テオとは違うけれど温かな感触を暫く感じた後、私はゆっくりと体を離すのだけれど、なんだか余計にテオに会いたくなってしまったみたいだ。
「ふふ、なるべく早くその子に手紙を書くわ。私が今ここに居る事も知らせてあげたいもの」
「お手紙を書かれるなら、ジェロームに言っておきますね。すぐに必要な物を用意させますから」
「まぁ!それは助かるわ!ふふ、ルフレくんには助けてもらってばかりね」
優しく頭に触れると、彼は少しだけ擽ったそうに肩を竦めるものの、そのまま撫でさせてくれた。
「ルフレくんのお陰で元気も出たし、コンフィチュールのガレットの続きね」
「はい!ぼくに出来る事は任せてください!」
お互い笑顔を交わすと、私達はガレットの作成に取り掛かる。熱々だったラズベリーのコンフィチュールは、程よい温度になっていた。
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