7 新しい日常
「メラニー様、おはようございます!今日も何と尊い御姿か……この神殿の空気がいつも以上に美味しく感じます!」
「えっ……それは、ありがとうございます?」
あれから数日。今日も今日とて部屋を開けた途端に、扉近くに控えていたのであろうジェローム大司教様がキラキラと輝くその黄金の髪にも負けない程の満面の笑顔で佇んでいるのだけれど、この方は何故毎日この調子なのだろうか。
最初にお会いした夜にはもっと砕けた感じだったと記憶しているというのに、翌朝目が覚めてからはずっとこんな感じなのだ。
何かまずい物でも召し上がられたのだろうかと、彼のお友達だというクロヴィス様にそれとなく伺ってはみたものの、「メラニーさんにはご迷惑をお掛けしますが、彼の好きにさせてやってください」と苦笑を漏らされるのみだ。
大司教様といえばアベラ教において、教皇様、枢機卿様に次ぐ高位の御方だ。しかもジェローム大司教様といえば史上最年少で大司教様となり、現在はこの国東部の区域を総括されているという。
この神殿はこの辺りを治めるアドレ伯爵領にあるフルレットという大きな街の中心であり、魔物から街を守る結界の要という役割も果たしているのだとか。
そんな方が私の様な平民の娘に敬語で接する事がまずおかしいのだけれど、私が何かをするだけで「尊い……」と涙されるのは流石に異常だろう。
「あの、ジェローム大司教様……本当に私の様な者にそのように丁寧に対応して頂かなくて大丈夫ですよ。私の方が年下なのですから、敬語もやめて頂けると……」
「クロヴィスも敬語ではありませんか。何も問題ない様に思います」
「いえ、クロヴィス様はシエルちゃんにも、お友達であるジェローム大司教様にも敬語です。きっとどんな方にも敬語なのでしょう。ですがジェローム大司教様はクロヴィス様とはもっと気安い感じでお話しされていますよね?どうか私にもそのようにお話しください」
実はこのやり取りももう何度目か解らない。今回こそは折れてくださらないかと祈りながら頭を下げるものの、彼はまるでこの世の終わりかの様な表情を浮かべているものだから困ってしまう。
「メラニー様……それはあまりに酷というものです。ただでさえ至上の存在であるあなた様に敬語を使われているというだけで、オレの心は千々に乱れています。敬う思いが言葉になっているのですから、それを否定されるというのはオレに死ねと言っている様なものでしょう」
「えぇ!?私、そこまで酷い要求をしていますか!?敬語をやめてほしいとお願いしただけですよ!?」
なんだか随分と大袈裟な話になってしまい目を見開いていれば、彼は突然呻き声をあげながら胸を押さえてその場に膝をついてしまう。
「ジェローム大司教様!?大丈夫ですか!?」
具合が悪くなってしまわれたのかと慌てて顔色を確認しようとするのだが、俯いた彼の表情は窺えない。けれど胸を押さえる手は震えているし、これは本当に急病かもしれない。
思えば私に対するおかしな言動も体調不良から来ていたのではないだろうか。だとしたら彼の不調の兆しをずっと見過ごしてしまっていたという事になる。
「どうしましょう……胸が苦しいのですか?私に何か出来る事があれば何でも仰ってください!」
「うっ……なんと慈悲深い……実はメラニー様にしかできない事があるのです」
そうして彼は私の手を取ると、まるで祈りを捧げるかの様に深く頭を垂れた。
「どうぞオレの事は『ジェローム』と呼び捨てください。敬語もやめて話して頂ければ、オレの胸の痛みなど瞬く間に無くなる事でしょう」
「えっ!?いえ、それは……」
私がジェローム大司教様に敬語をやめてほしいという話だった筈だというのに、いつの間にか話が逆転してしまっている。
本当にどうしてそこまで私が敬語を話すのを嫌がるのかが解らない。体調不良の演技までして敬語をやめさせようとするだなんて、彼にとっては余程の事なのだろう。
こうしている今も、私の手を握る彼の手は震えているし、頭も垂れたままだ。ここまでの懇願をされて、彼の思いを無下にするのはそれこそ酷というものなのではないだろうか。
私は一つ溜息を漏らすと、そっと彼の手を握り返した。
「解りまし……いえ、解ったわ。そこまで言わせてしまったのだから、応えない訳にはいかないもの。これでいいかしら?」
「っ……!はい!オレの願いを聞き届けてくださって感謝致します!」
がばりと勢いよく顔をあげた彼は、眩しいくらいの笑顔だ。私よりも大人の男性だというのに、なんだか子供みたいに嬉しそうな様子につい笑みが溢れる。綺麗な御顔立ちをしているのに、少しだけ可愛らしいと思ってしまった。
「ふふ、ジェロームは少しだけ私が知っている男の子に似ているわ。笑うと少し幼く見えて、年上なのに失礼かもしれないけれど、とても可愛らしい笑顔だわ」
「かっ、可愛……!?」
「まぁ!どうしたの、耳まで真っ赤よ」
急に顔が火照った様に紅潮してしまった彼に目を丸くする。汗も尋常でないくらい出ている所を見ると、今度は本当に体調不良なのだろう。熱を確認しようと額に手を伸ばすのだけれど、彼はひっと小さく声をあげて固まってしまった。
「やっぱり凄く熱いわ……神力は自分には使えないのよね?」
こくこくと何度も頷くジェロームは先程よりも真っ赤で、今にも湯気が出そうな位だ。
アベラ教の司祭になるには、生命の女神アベラ様の慈愛の心だという治癒の力――神力を持っている事が必須だというのは有名な話だ。ただその神力は自分を癒す為には使えないのだという。それは全て他者の為に使うべきだという女神の意思なのだとか。
だからこそそれを補う為に、司祭達は治癒の力を持つ光の妖精と契約しているのだ。
「私、ルフレくんを呼んでくるわ。この時間はいつも食堂に――」
「姫様ー!今ぼくを呼びましたか!?」
ぽすんと軽い音を立てて背後に温かな感触を感じる。振り返れば、鮮やかなマンダリンガーネットの瞳が嬉しそうにこちらを見上げていた。
彼こそが私が今求めていた治癒の力を持つ光の上級妖精のルフレくんだ。
肩で揃えた綺麗な白髪に、私の瞳の色にも似たマンダリンガーネットの瞳。シエルちゃんに負けず劣らずの美少年っぷりで、私の記憶の中にあるテオよりも背は小さいけれど、髪型といいこの人懐っこい笑顔といい、雰囲気がよく似ていて私はいつも懐かしくて嬉しい気持ちになるのだ。
彼も最初はシエルちゃんと同じで私の事が認識出来なかったのだけれど、クロヴィス様とジェロームの協力で私のいる位置を正確に示す事によって、視線が重なった瞬間にやはり私の事が認識出来る様になったという。
そういえば私に敬語で話す所も、好意が溢れる笑顔も、ジェロームとルフレくんはよく似ている。妖精さんは自分に似た人を好むというのはあながち間違っていないのかもしれない。
ルフレくんの笑顔につい頬が緩むが、今はそれよりもジェロームの事だ。
「ルフレくん!ジェロームが熱があるみたいなの。あなたの魔法で治せるかしら?」
「ジェローム……?え、何?ジェロームってば図々しくも姫様に敬称と敬語をやめさせるように要求した訳?昨日までは違ったでしょ」
「うるさい!何とでも言え!メラニー様は既に了承してくださったのだから構わねぇだろ!」
「熱だって姫様に触れられたからでしょ。これだから女性に免疫がない童貞は仕方がないね」
「おい!お前、今オレだけじゃなく全世界の童貞を敵に回したんだぞ!言葉を慎め!」
急に口喧嘩を始めてしまった二人を、どうしたものかと私はぽかんと眺めてしまう。ジェロームも思ったよりも元気そうだから、熱はそこまで酷くないのだろう。
(……まぁ、喧嘩する程仲が良いと言うわよね)
私の事はそっちのけで言い争う二人に、私は一人うんうんと頷きながらそっと食堂の方へと足を向ける。
なんたって二人は契約関係にあるのだから相性は良いのだ。何が原因でもそのうち冷静になるだろう。こういう事に、部外者である私が口を挟むのは野暮というものだ。
食堂の前にはジェロームの世話を担当している助祭の青年がおり、私の姿を見つけると少し頭を下げて食堂の扉を開けてくれた。
「クロヴィス様、おはようございます。シエルちゃんもおはよう。今日もとっても可愛いわね」
「おはようございます、メラニーさん」
「おはよう。メラニーも今日もバッチリ決まってるわよ!」
中には既にクロヴィス様とシエルちゃんが待っており、私が声を掛けると二人とも笑顔を向けてくれた。
ここは神殿の居住区にある邸宅で、この地を担当する事になった大司教様が使用する為のものだという。この神殿に仕える他の司祭や助祭は別棟にそれぞれ部屋が与えられており、集団生活をしているそうで、そちらには大勢が食事をする為の大食堂があるそうだ。
つまり私とクロヴィス様はジェロームの客人という扱いでここに滞在する事が特別に許されている訳で、本来一般にはアベラ様の像がある礼拝堂とそこまでの回廊、庭園の一部のみしか開放されていないのだ。
アベラ教は国教であるから、私も毎週末の礼拝には参加していたけれど、まさか大司教様の居住区にお邪魔する日がくるとは思いもしなかった。
それもこれも、あの日クロヴィス様に出会った事が大きいのだから、人の縁というのは不思議なものだ。
「あれ?そういえばルフレが迎えに行かなかった?てっきり一緒に来るのかと思ったのに」
「来てくれたのはそうなんだけれど、ジェロームと口喧嘩を始めてしまったのよ。二人の世界だったから、申し訳ないけど私は先に来させてもらったわ」
結局何が原因だったのだろうかと苦笑を漏らせば、クロヴィス様は可笑しそうに噴き出してしまった。
「あぁ、成程。メラニーさん、とうとうジェロームの熱意に負けたのですね。敬語をやめてあげたのでしょう?」
「はい……あまりに必死に懇願されてしまって……」
「それでルフレがジェロームに妬いたのね。全くしょうもないんだから」
シエルちゃんが呆れた様子で溜息を漏らした所で、廊下がバタバタと騒がしくなり、扉が勢いよく開かれる。
「メラニー様……!御一人で行かれてしまうなんてあんまりです……!」
「姫様!ぼくを置いてくなんて泣いちゃいますよ!」
二人同時に口々に喋るものだから、なんだか可笑しくなってしまって、悪いとは思いつつも笑みが溢れてしまう。
「ふふっ、ごめんなさいね。二人があんまり仲が良いから話に入れなかったのよ」
「「仲良くありません!」」
綺麗に重なった言葉に耐えきれず、私もクロヴィス様もシエルちゃんも噴き出してしまった。
賑やかな声が溢れる食堂はそれだけで楽しくて、この数年、一人の食事が続いていたのと比べると雲泥の差だ。私の家族と呼べる人はもう誰もいなくなってしまったけれど、この新しい出会いに救われた気がしていた。
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