王女エルヴィールは、任務に備える
それからというもの、潜入任務の準備が着々と進められていった。
採寸をしたり、カツラを選んだり、小物を集めたりと、やらなければならないことがたくさんあるようだ。
私個人としては、少年のような振る舞いや歩き方などを指導される。
先生は以前、女装した上に黒兎獣人に変装していたハーラルト・フォン・フレンツェンである。
彼は王族に仕える諜報員で、主に潜入任務を得意としていた。
その場に溶け込むために老若男女、どの年齢層にも変装できるらしい。
今回、私が少年に見えるように指導してくれるようだ。
前回会ったときは可憐な獣人美少女だったが、今回は貴族の美少年という出で立ちでいた。とても同じ人物には見えないので驚いてしまう。
「ふん、どうしたんだ? まさか、俺の美しさに見とれてしまったとでも言うのか?」
素直にそうだと認めると、拍子抜けした表情になる。
「ここは顔を顰めたり、呆れたりする反応が正解なんだ。でないと、俺がバカみたいだろうが」
なんでもお決まりの、会話の流れというものがあるらしい。勉強になったと伝えてもらう。
「いや、だから、こちらの言葉を真面目に捉えられても困るんだけれど……。くそ、調子が狂うな」
彼に対してどういう反応にでたら正解なのかまったくわからない。小首を傾げていたら、ウルリケが「深く考えなくても大丈夫ですよ」と言ってくれた。
「フレンツェン卿の望む返しというのは、気心の知れた相手にのみ通じるものなのです。初対面に近いルヴィ様はできなくて当然です」
人付き合いにもいろいろあるようで、これまで人とまともに接していなかった私は何もかもわからないというのが現状である。
閣下やウルリケはそれらを察し、かなり慎重に接してくれたに違いない。
これまで知り合った人に比べて、ハーラルトは率直だ。彼からも人付き合いについて新しく学べるに違いない。
演技だけでなく、人としての振る舞いについても身に着けよう。
そんなわけで、演技についての指導が始まった。
「今回、潜入する人物の設定は、十四歳くらいの少年で、名前はヴィルヘルム・フォン・ヨードル」
ヨードル家というのは王家で管理する架空の貴族の名前らしい。こういった潜入時に利用する存在しない貴族の家名がいくつかあるようだ。
「まずは、そうだな。性格から決定しよう。幻獣を二体も従える少年というのは、相当裕福で恵まれている存在だ。そのため、性格は生意気で横柄な感じがいいかもしれない」
まさに、ハーラルトのような少年をイメージすればいいのだろう。
彼が適任だと思ったが、ヴァイスやヒンメルが従わないので、私が頑張るしかない。
「まず、必要なのは佇まいだ。胸を張って、堂々とする」
言われたとおりにしてみるも、なんだか違うと言われてしまう。
「あまりにも胸を張りすぎると、人を見下しているように見える。生意気な設定だが、そこまですると、会場で浮いてしまうだろう」
正面に向かって張るのではなく、少し斜め上を目指してピンと姿勢を正すといいと指導が入った。指示どおりにしてみるも、ハーラルトは顔を顰めたままである。
「いや、なんか違うな」
ここでウルリケが口を挟んだ。
「ルヴィ様、いつも閣下がしているような佇まいをイメージされてみてはいかがでしょう?」
閣下のようにと教えてもらい、私なりに胸を張ってみる。すると、ハーラルトの眉間の皺は解けていった。
「できるじゃないか。よし。その状態を維持しながら歩いてくれ」
ステッキを手渡され、一歩、二歩と歩いてみる。
ハーラルトの眉間の皺が復活し、「ダメだな」と呟かれてしまった。
こんな感じで、数時間にわたって訓練した。紳士のふるまいを身に着けようとしただけなのに、全身が筋肉痛である。
翌日にも引きずっていたら、ネリーが大丈夫かと心配してくれた。
「いったいどうしたんだい?」
ウルリケが貴族のふるまいを学んでいる最中だと、説明してくれた。
歩くのだけでも大変だと、身振り手振りで説明する。
「なるほど。貴族様は白鳥が泳ぐように美しく歩くけれど、実際にそれを真似するのは大変なんだろうねえ」
水面を泳ぐ白鳥は優雅の一言だが、水中では足をバタバタと必死に動かしている。それと同じように、端から見たら品よく歩いているように見えなければならない。
女性の佇まいや歩き方は幼少時に叩き込まれたが、男性のものはそれとはまた異なる。
任務当日に迷惑をかけないようにするため、一生懸命練習しなければならないだろう。
と、潜入任務について考えるのはこれくらいにして、果樹園の仕事に集中しなければならない。
本日はレモンを収穫する。




