獣人王女エルヴィールは、アレクシス閣下と話す
閣下は私を横抱きにし、休憩室へと誘ってくれた。
しばらく涙が止まらず、なさけない姿をさらしてしまう。その間、閣下はずっと私の手を握り、何も聞かずに傍にいてくれた。心に寄り添ってくるようで、余計に涙が零れてしまう。
閣下はテーブルに用意されていたオレンジを手に取り、ナイフでふたつに割る。それをグラスに向かって絞り、オレンジジュースを作っていた。
三つ分絞ったそれを私に差し出してくれる。
閣下が手ずから作ったジュースなんて恐れ多いと思っていたが、走って泣いて喉がカラカラだった。気づいたときには受け取り、飲み干していた。
オレンジジュースは甘酸っぱくて、喉の渇きだけでなく、私のささくれていた心までも癒やしてくれたような気がした。
「まだ飲むかい?」
首を横にぶんぶんと振る。
シーンと静まり返り、いたたまれないような気持ちになった。
まさか、閣下と仮面仮装パーティーで会うとは思わなかったのだ。
閣下のほうを見ると、淡く微笑んで手を差し伸べてくれる。私が何か言いたいと察してくれたのだろう。
まずは謝罪から。離宮から逃げてごめんなさいと、閣下の手のひらに書いた。
「いいんだよ。最初はルヴィが誘拐されてしまったのではないかって心配したんだ」
けれども部屋は荒らされておらず、高価なドレスや宝飾品はそのまま残っていた。さらに、身の代金の要求もなかったので、誘拐されたわけではないと判断したらしい。
「あの手紙は、誰かに脅されて書いただけではないんだろう?」
自分で考えた言葉を、ヴァイスに代筆してもらったのだと伝える。
「そうか。あの文字はヴァイスが書いたのか」
震えながら書いたような文字だったので、私が誰かに脅されて書いたように見えてしまったらしい。本当に、心から申し訳なくなってしまう。
「僕が結婚しようだなんて言うから、ルヴィを苦しめてしまったんだね」
そう口にした閣下は、これまでにないくらい悲しげな声色だった。胸がぎゅっと締めつけられる。
私がただの〝ルヴィ〟だったら、喜んで求婚を受けていただろう。
けれども私はファストゥの王女〝エルヴィール〟だ。
閣下と結婚し、庇護を受けるわけにはいかない。
「ルヴィ、頼みがあるんだ」
閣下は私の手を握りつつ、真剣な眼差しでジッと見つめる。気恥ずかしい気持ちになり、頬が熱くなっていくのを感じていた。
「もう、結婚してなんて言わないから、離宮に戻ってきてくれないかな?」
私が逃げ出した理由は、閣下との結婚である。問題がなくなったのに、頷くことはできなかった。
この先、私が閣下のもとにいたら、新たなトラブルに巻き込んでしまう可能性がある。だから、このまま離れていたほうがいい。
「ルヴィ、お願いだ。この先、僕の傍にいてくれるだけでいいから」
これは閣下の我が儘だと言う。頭を下げ、どうか叶えてほしいと頼み込まれる。
離宮に戻るのは、私のためでなく閣下のため。
それならばいいのではないか。私の中に存在する悪魔が囁いたような気がした。
いいわけがない。私のせいで、アルノルト二世は偽王女であるルビーと結婚しようとしているのだ。その原因のひとつとなった私は、贖罪の日々を送らないといけない。
離宮は幸せで溢れている。そんな場所に、私がいてもいいわけないのだ。
握った手を離してほしいと閣下の甲に書いたが、首を横に振るばかりだった。
「ルヴィ、なぜ頷いてくれないんだ。僕がこんなにも頼んでいるのに」
それは初めて耳にした、閣下の子どもみたいな駄々である。
胸がきゅうっと切なくなり、閣下を抱きしめて二度と離れないと言いたくなった。
私の言葉は封じられている。だから、何も言えない。いいや、言わないのだ。
きっと私達はこれでいい。これからも別々に生きるべきなのだろう。
少しだけ乱暴に手を引き剥がし、私は立ち上がる。
閣下は私を見上げ、逃がさないとばかりに抱き寄せた。
こんな関係など、誰も望んでいない。離れたいのに、閣下は私を離そうとしなかった。
途方に暮れていると、扉が叩かれる。返事をするより前に、扉が開かれた。
入ってきたのは、銀色の髪を持つ仮面をつけた青年――アルノルト二世だ。
「そこで何をしている!」
責めるような声色だった。私は身じろぎ閣下から離れようとしたが、拘束するように抱きしめられてしまった。
「まったく、任務を放り投げて女と戯れ合っていたとはな! 呆れたものだ」
どうやら私を責めているわけではないらしい。閣下は任務を果たすために仮装仮面パーティーに参加していたようだ。
「そこの女が、お前が数日もの間、血相を変えて探していた者か?」
「そうだよ」
「まったく、珍しく取り乱して。今日は変装しているからよかったものの……」
アルノルト二世の視線が私に移る。
その瞬間、ドクンと胸が跳ねた。
私はこの御方と結婚するために、ツークフォーゲルへとやってきたのだ。
無意識のうちに、アルノルト二世を穴が空くほどに見つめていたらしい。閣下が私の双眸を手で覆い、耳元で「見ないでほしい」と囁かれる。
カーッと、赤面しているだろうなと思うくらいの熱を感じてしまった。
「まあ、いい。お前、二度と、そいつのもとから逃げ出すな。面倒な事態になるから」
面倒な事態とはいったい?
思わず首を傾げてしまった。




