獣人王女エルヴィールは、悩む
その後、閣下と一緒にサクランボのペストリーを食べる。
焼きたてのおいしさとはほど遠い状態になっていたものの、サクランボのジャムがパイ生地になじんでいておいしかった。
「ルヴィ、ありがとう。特製のペストリー、とてもおいしかった」
お礼がしたいと閣下は言うが、とんでもないと首を横に振る。普段から、閣下にはお世話になりっぱなしだ。普段の感謝の気持ちとして焼いたものなので、気にしなくてもいいと伝えておいた。
その後、閣下と共に帰宅する。今日は本当に、いろいろあった。
ルビーと再会し、嫌味を言われ、そのあと閣下に助けてもらい、挙げ句に求婚されるという大変な時間を過ごす。疲労がドッと押し寄せたからか、その日はぐっすり眠ってしまった。
◇◇◇
閣下から午前中は時間を空けておくようにと言われていた。何かと思ったら、結婚式の準備が始まったのだ。
閣下は不在だが、侍女らが瞳をキラキラと輝かせていた。それも無理はない。宝石商が宝飾品の数々を、これでもかと運んできたから。
「やはり、婚約パーティーは真珠のスイートで、結婚式はダイヤモンドのパリュールがよろしいでしょうか?」
そんなふうに聞かれても困ってしまう。まだ、閣下と結婚する決意が固まっていないから。
私はアルノルト二世と結婚するためにツークフォーゲルへとやってきた。果たして、閣下との結婚が許されるものなのか。
その点も、引っかかっているのだろう。
宝石商は私が選ばないので、後日再訪すると言って帰っていった。
商人の訪問はそれだけではなかった。
続けて布物商がやってきて、婚礼衣装の生地はどれを使うか、なんて提案をしてくる。
最高級だという絹の布は、銀を溶かして紡いだみたいに輝いている。こんな美しい布を見た覚えはなかった。
ツークフォーゲルは養蚕が盛んで、質がいい絹が手に入りやすいらしい。けれども、最高級の絹はごく僅か。今しか買えないと言われたが、私は頷かなかった。
布物商も、若干しょんぼりした様子で帰っていく。
ウルリケが商人の訪問はこれで終わりだというので、ホッと胸をなで下ろした。
「ルヴィ様、申し訳ありませんでした。突然商人に押しかけられても、困ってしまいますよね」
本当に、その通りである。
ツークフォーゲルへ輿入れする準備は、ルビーが勝手に行った。ドレスも宝飾品も、小物や靴に至るまで、彼女の趣味で揃えられたのだ。
そんなわけなので、私にとっては初めての輿入れ準備というわけである。
ただ、結婚話を受け入れたわけではないし、通常、輿入れ準備の資金は親が負担する。閣下がすべて出すというのは、おかしいだろう。
「ルヴィ様」
ウルリケは私の前にしゃがみ込み、閣下について話し始める。
「閣下はこれまで、心を塞ぎがちでした。しかしながら、ルヴィ様がやってきてから、明るくなったように思います。今回みたいに、少々強引なところもございますが、ルヴィ様のことを心から案じ、大切にしたいと思われているようです。どうか、受け入れてくださいませ」
改めてそう言われてしまうと、何も言葉が出てこない。
どうすればいいのか、まったくわからなかった。
◇◇◇
それからというもの、午後の仕事でも上の空だったように思える。
ネリーが「どうしたんだい?」と心配してくれたが、なんでもないと首を横に振ってしまった。
閣下から求婚されたのに、結婚していいのか悪いのかわからないなんて、言えるわけがない。
答えがでないまま、一日が終わってしまった。
夜――閣下は忙しく、帰れないという連絡が届いた。
私と結婚するための許可を取っているのだろうと、ウルリケは言っていた。
本当に、本当に、閣下は私と結婚するつもりらしい。
正直、信じられない気持ちでいっぱいである。
上の空のまま食事を終え、お風呂に入る。
寝室に行くと、バルコニーから月光が差し込んでいた。今晩は満月で、外はいつもより明るい。
……ここから逃げようか?
今ならば、間に合うだろう。
結婚してしまったら、閣下の妻という立場から逃れられなくなる。
結婚する前ならば、逃げてもさほど問題にならないだろう。
幸いと言うべきか、私は無罪だと認められた。
つまり、閣下は私を保護し、監督する必要はなくなったのだ。
旅券はルビーの物がある。永住権を取得しているので、ツークフォーゲルで生きていくのに問題はないだろう。
こうなったらルヴィではなく、ルビーとして生きていく覚悟を決めないといけない。
果樹園の労働で得たお金を、確認する。多くはないが、これだけあれば数日は宿に泊まれるだろう。その間に、住み込みの職場を探せばいい。
アルノルト二世が獣人の衣食住を保障する制度を作ったという話を聞いていた。きっと、すぐに職場が見つかるだろう。
『ジュ?』
ヴァイスが心配そうに私を覗き込む。
この子はどうしようか?
私と一緒に居続けることが、幸せとは限らない。
最近は果樹園の人達にも懐いている。心配はいらないように思ったが――。
『ジュウ!!』
何かを察したのか、ヴァイスは私の腕にしがみついて離れない。
ならば、一緒に行こうか?
声なき声で問いかけると、ヴァイスは『ジュ!』と元気よく鳴いたのだった。




