獣人王女エルヴィールは、王宮に行く
果樹園から戻ってきたヴァイスを連れて、馬車へ乗りこむ。
閣下のもとに行くと言ったら、持ち帰ってきたアンズを一粒持ってついてきた。閣下にあげるつもりなのかと聞いたら、『ジュ!』と元気よく鳴く。
久しぶりの外出だからだろうか。なんだか心が躍っているような気がする。
いいや、違う。
きっと、これから閣下に会えるので、ワクワクドキドキしているのかもしれない。
忙しい御方だから、もしかしたら会えないかもしれないのに。
先触れもなく、押しかけるのは迷惑である可能性もある。果たして、よかったのか。それに私が閣下のもとに行くことで、ウルリケが叱られる可能性だってあった。
「ルヴィ様、いかがなさいましたか?」
ウルリケが閣下に怒られるかもしれないと、不安を口にしてしまった。
「私が閣下に怒られるか心配なのですね。大丈夫ですよ。閣下はきっと怒りません」
私がやってきてから、閣下は驚くほど穏やかになったのだという。それまで、ウルリケは毎日閣下に怒られていたようだ。
怒る閣下というのが、そもそも想像できない。いったいどうなるのかと聞いたら、ウルリケは眦を指先で押し上げ、つり上がった目を作る。
「こーんなふうに、怖い顔で怒るんですよ」
ここ最近、怒ることはほぼないようで、見られたら稀少だという。
「ルヴィ様からしたら、私を叱る閣下というのは新鮮に映るかもしれないですね。どうぞ、お楽しみに」
話しぶりから、閣下とウルリケの間にはたしかな信頼感があるのだと思う。姉弟のような、母子のような、遠慮のない関係なのだろう。少しだけ、そういうふたりが羨ましくなってしまった。
ウルリケと話しているうちに、王宮へと辿り着く。
離宮にやってきてからというもの、敷地の外には一回も出ていない。王宮へとやってくるのも二回目だった。
注目が集まらないようにと、ウルリケは馬車を裏門に停めるよう命じてくれた。
馬車を降り、閣下の執務室を目指す。
私はペストリーを入れたバスケットを胸に抱き、先導するウルリケのあとをちょこちょこ歩いて続く。
警備の騎士がたくさん配置されているものの、頭巾を深く被っているからか誰も私を気にしない。きっと、メイドか何かだと思われているのだろう。心の中で、頭巾付きのケープを着せてくれた侍女に感謝した。
螺旋階段を上がった先に、閣下の執務室があった。ここにも多くの騎士がいる。ウルリケに気づくと、敬意を示し会釈しているように見えた。
たぶん、ウルリケは私の護衛をしている場合ではない、とんでもなくすごい騎士なのだろう。
扉の前にいた騎士が申し訳なさそうに報告する。
「今、閣下は席を外しておりまして」
どうやら、閣下は不在のようだ。突然、思いつきでやってくるので、こういうすれ違いが起きてしまうのだろう。
がっかりしつつも、勉強になったと自らに言い聞かせる。
「ルヴィ様、閣下を待たれますか?」
ウルリケの言葉に、首を横に振る。
ここに残るのも、迷惑になるだろう。さっさと帰って、閣下の帰りを待つほうがいい。
せっかくここまでやってきたので、ペストリーは閣下に食べてもらいたい。それが可能かウルリケに相談する。もちろん、それは問題ないと返してくれた。
「閣下に差し入れです。ルヴィ様が手作りされた、サクランボのペストリーだと、報告していただけたらなと思います」
「了解しました」
ウルリケにバスケットを差し出すと、それはそのまま騎士の手に委ねられた。
閣下は喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら踵を返し歩き始める。
「ルヴィ様、少しくらいでしたら、閣下を待ってもよかったのですよ?」
迷惑になりたくない。そう答えると、ウルリケは諭すように言った。
「ルヴィ様は、もっと我が儘をおっしゃっていいと思うのです」
ファストゥからやってきた、素性がわからない私が離宮に滞在するだけでも、たいそうな我が儘だろう。離宮の人達には心から感謝している。これ以上望むことは何もないのだ。
「あ――!」
ウルリケが歩みを止める。何事かと顔を上げたら、ドレスをまとった女性達が前方から歩いてきていた。
先頭を歩く豪奢な金髪美女は――ルビーだ。
ゾッと、全身に悪寒が走る。額からは汗がぶわりと吹きだし、くらりと目眩も覚えた。
彼女は私にとって、悪夢のような存在だ。二度と、会いたくないと思っていた。
ウルリケは私を背に隠すように、壁際に立つ。私も、見つかりたくないのでウルリケのマントを握り、身を潜めた。
どうか、気づかないで!
なんて願いも空しく、ルビーはウルリケの前で立ち止まった。
「あなたは確か、アルノルト閣下の護衛騎士の……あら?」
ルビーはウルリケの背後を覗き込み、にやりと笑った。
「まあ! 〝ルビー〟ではありませんか! お元気になったようで、本当によかった」
ルビーは私の手を取り、痛いくらいにギュウギュウと握りしめる。
そんな彼女の行動を、ウルリケが諫めた。
「あの、どうか接触はご遠慮ください」
「一介の騎士が、ファストゥの王女たるわたくしに意見するなんて、生意気ですわ!」
生意気なのは間違いなくルビーのほうだろう。けれども、騒ぎにしたくない。
ウルリケの手を握り、首を横に振る。それで伝わったのか、ウルリケは「申し訳ありませんでした」とルビーに一言謝罪した。
これで私を守る者がいなくなったと思ったのだろう。ルビーはさらに私に絡んできた。
「みなさま、この子、わたくしの侍女だったのですが、ちょっとした事件をきっかけに病んでしまって。離宮で療養されていましたの」
人嫌いで引きこもりな閣下が他人を離宮に招くなんて、前代未聞。社交界でも謎だと噂になっていたらしい。
「その理由は――」
ルビーは私の頭巾に手を伸ばし、そのまま乱暴に掴んで下げる。猫の耳が露わになった。
「この子は男を堕落させる、山猫獣人の娘ですの! 閣下も、魅了されたに違いありませんわ」
「そんなのデタラメ――!!」
ルビーに意見しようとするウルリケの腕を引っ張る。何も言わなくていいと、必死になって首を横に振った。
彼女は目的のためならば手段を選ばない、残忍な一面がある。魔法使いを手中に収めているので、何をしでかすかわからない。
ウルリケが敵だと認識されたくない。だから、何も言わないで大人しくしてほしい。そう、訴える。
「ルヴィ様……」
ルビーや取り巻きの女性達は、なんてはしたない娘なのかと嘲笑っている。
「この子の母親も、とんでもなくみだらで」
「!!」
ルビーの言葉に、カッと頭に血が上る。
私を悪く言うのは構わない。けれども、母を悪く言うのは絶対に許せなかった。
私が手を出すよりも先に、ヴァイスが飛び出す。
『ジュー!!』
ルビーの顔目がけて飛んでいき、額を引っ掻いた。
「きゃーーーー!!」
その叫びを聞いて、騎士が駆けつける。顔にしがみついていたヴァイスを剥がし、乱暴に扱った。
「この、乱暴なリスめ!」
「!!」
ヴァイスに手を伸ばし、一歩踏み出した瞬間、体がぐらりと傾く。そのまま倒れてしまった。
顔を上げると、ルビーが憎しみの籠もった視線で私を見下ろしている。
ルビーが私の足を引っかけたのだろう。なんてことをするのか。抗議の気持ちを込めて見上げた。
「ルヴィ様!!」
すぐにウルリケが私を抱き起こしてくれた。
私はいい。ヴァイスを助けてと訴えたが、それを遮るようにルビーが叫ぶ。
「そのリスを殺して! わたくしを傷物にした、凶暴なリスですの!」
待ってと叫びたいのに、声が出てこない。
ヴァイスは密猟で捕獲され、仲間を信じられず、やせ細っていた。
そんな中で私と契約し、果樹園での交流を経て、やっと人を信じられるようになったのに。
私の命なんていらない。
気に食わないのであれば、私を殺せばいい。
だから、ヴァイスは助けて――!
去りゆく騎士を追いかけ、腕を伸ばす。私の後に続くウルリケの制止の声が聞こえていたが、それに従うわけにはいかない。
勢いのまま、騎士の腕にしがみついた。
「何をするんだ!!」
激昂した騎士は、私を振り払う。勢いがあったからか、私の体は宙に浮き、そのまま廊下に叩きつけられる形となった。
「なんの騒ぎだ! アレクシス様の御前だぞ!」
よく通る声に騎士達はギョッとし、壁のほうへ避けていく。
コツ、コツ、コツとゆったり歩く足音が聞こえた。
「ルヴィ!?」
私の名を呼んだのは閣下だった。




