獣人王女エルヴィールは、公妾の娘ルビーと服を入れ替える
車内の様子は異様としか言いようがなかった。
ルビーと魔法使いは密着して座り、物語の男女が睦み合うような挙動を繰り返していたのである。
まさか、この男はルビーの愛人なのか。愛人同伴で隣国に行くなどありえない。
私が呆然としているのに気づくと、ルビーは勝ち誇ったようにくすくす笑っていた。
出発から二日後――国境を越え、ツークフォーゲルの王都まであと数時間というところで、初めてルビーが私に話しかける。
「そろそろ、準備をしなければなりませんわね」
「ええ」
ここに来るまでは質素なドレスだったが、今日、ツークフォーゲルの王都に到着するだろう。アルノルト二世の前に出るのに、普段着のドレスのままではいけない。
正装のドレスをまとい、父王から贈られた一揃えの宝飾品を身に着けて面会するのだ。
街で宿を借り、身なりを整える。
身繕いをする者達がやってくるまでの間に、ルビーはとんでもない提案をした。
「ここから先の道のりは、盗賊が多く出るというお話ですわ」
国境辺りに盗賊が多いという話は耳にしたことがあったものの、王都近辺に出没するというのは初耳であった。
なんでも護衛の騎士達から聞いた最新情報らしい。
「もしも襲われたとき、あなたの命が狙われたら大変でしょう? だからわたくしが王女に扮してあげましょうか?」
「別にいい。大丈夫」
アルノルト二世の睨みが利いたお膝元で、盗賊なんぞが現れるわけがないだろう。
そう思っていたものの、ルビーは違った。
「あなたが命を落としたら、ファストゥとツークフォーゲル、両国の国交が失敗しますのよ!? その責任の重大さを、理解していませんの?」
「それは――」
わかっている。愛人を連れ込んで戯れ合っていたルビーに言われたくない。
けれども今のルビーは、いつもの癇癪を起こしているようだった。言うことを聞かないと、暴力を振るうよう誰かに命令するかもしれない。
そうなったら、命じられた者が気の毒になってしまう。
「心配はいりませんわ。ツークフォーゲルに到着したらここでしたように宿を借りて、服を取り替えたらよろしいかと」
道のりは順調で、もう一度身なりを整える時間は十分あるという。
おそらく、ルビーは輿入れ衣装に憧れていたのだろう。なんだかんだ言って、一度着てみたかったのかもしれない。
「わかった。王都に着くまで、私の振りをお願い」
「ふふ、そうこなくては!」
会話が途切れた瞬間に、身繕いをする者達がやってくる。
ルビーは真珠がちりばめられた豪勢な輿入れ衣装をまとい、私はメイド服が手渡される。
すぐに着替えを始めたものの、ある問題が発生した。それは、胸部の布地が余ってしまうのだ。
「こ、これは……」
メイド服は新しく仕立てた物のようだが、胸部が豊満なルビーと同じ寸法で作られていたらしい。胸部が貧相な私が着たら、ぶかぶかになってしまう。
体の寸法が合っていないと、不格好になるだろう。どうすればいいのかと思っていたら、身繕いをする女性がポンと手を打つ。
「少し、お待ちくださいませ」
「ええ」
数分後――女性は丸いパンをふたつ手に戻ってくる。
なんでもそのパンは宿の名物、イチゴジャムパンらしい。ハード系の生地で、胸に詰めたらいい感じの膨らみとなった。
「これで大丈夫ですね! おいしいパンですので、お腹が空いたらかじってみてください」
「あ、ありがとう」
メイドキャップに猫耳を詰め込むと、私は普通の娘にしか見えない。
ため息と共に、馬車へと乗りこんだ。
私の輿入れ衣装と一揃えの宝飾品をまとったルビーは、輝かんばかりの美しさを放っていた。
正装に身を包んでいると、高貴な気分になるのだろうか。魔法使いの男がルビーに触れようとすると、激しく怒ったのである。
こういう時のルビーには関わらないのが一番だ。そう思っていたのに、ルビーは猫撫で声で話しかけてくる。
「エルヴィール、このペンダントは一揃えの中でもっとも高価だから、あなたが持っていらして?」
ルビーが差し出すそれは、大粒のダイヤモンドとスターリングシルバーのチェーンが施された一品だ。ルビーの言うとおり、高価な品である。
メイド服にペンダントをぶら下げるのはおかしいし、ポケットに入れていたらぐちゃぐちゃになる。私が持っておく意味はないように思えたが、ルビーの機嫌を損ねたくないのでしぶしぶ受け取った。
ペンダントは絹のハンカチに包み、ポケットの中へと入れておく。
それから、ルビーは楽しそうに鼻歌を歌っていた。その楽しい時間も、残り一時間というところだろう。もうすぐ、ツークフォーゲルの王都に辿り着く。
魔法使いの男はルビーの機嫌取りをするためか、リンゴの皮を剥き始めた。
案外器用なものである。
じっと眺めていたら、舌打ちを返されてしまった。視線は窓の外へと移す。
これからどのような新婚生活が待っているのか。
ただでさえ、アルノルト二世は魔眼王と名高く、呪われているという噂だった。それに加えてルビーもいるなんて……。絶望しかない。
ため息をついたのと同時に、外から怒号が聞こえた。
「盗賊団だ!! エルヴィール殿下をお守りしろ!!」
馬車の外を護衛する騎士達が叫ぶ。
彼らは国でも精鋭の者達ばかりだ。盗賊なんぞに負けるわけがない。
そう思っていたが――。
「ぐあああああああ!!」
断末魔の声が響き渡る。窓を覗き込むと、馬車と並走していた騎士が倒れたところだった。斬られた瞬間、返り血が窓に鋭く飛んできた。べっとりと、血が付着する。
「きゃあ!!」
思わず悲鳴をあげ、ルビーのほうを見る。すると、彼女はにやりと笑っていた。
「ルビー、どういうことなの?」
「何が、ですの?」
「今の状況を、何か知っているのでは?」
「まったく意味がわかりませんわ」
ルビーは胸元から一枚の紙を取り出す。呪文がびっしりと描かれたそれは、破った瞬間に魔法が発動する魔法巻物だった。
古代文字で書かれていた呪文は、高位の守護魔法。それを破った瞬間、ルビーの周囲に魔法が展開される。
同時に、馬車が傾く。御者の悲鳴が響き渡った。
咄嗟に頭を守るが――目の前に迫ったのは銀色に輝くナイフだった。
「死ね!!」
魔法使いの男が、私の胸にナイフを突き立てる。
回避しようとした私は頭を打ち、そのまま意識を失ってしまった。
◇◇◇
ガヤガヤと、騒がしい声が耳に届いて目を覚ます。
「王女殿下の馬車を発見したぞ!!」
どうやら、助けが来たらしい。ルビーと魔法使いは逃げたのだろうか。
瞼を薄く開いたら、ルビーの姿があった。なぜか額から血を流し、青白い顔でぐったり倒れている。
ルビーは守護の魔法を展開させていた。馬車が横転したくらいでケガをするわけがない。
疑問に思ったのと同時に、ある違和感を覚える。
私は胸をナイフで刺されたのに、ほんの僅かな痛みしかない。
そっと胸元へ視線を移すと、左胸に深々とナイフが刺さり、真っ赤な血がシャツに滲んでいた。
ギョッとしたものの、違和感の正体に気づく。
ナイフのほとんどは、胸に詰めたイチゴジャムパンに刺さっているのだろう。切っ先がほんの少しだけ、肌を傷つけていたようだ。
まさかイチゴジャムパンに命を助けられるとは、夢にも思わなかった。
魔法使いの男の姿はどこにもない。いったい、どこに行ったのだろうか。
「王女殿下、しばしお待ちを。扉を開けます」
ここで、馬車の扉がこじ開けられた。外からツークフォーゲルの騎士らしき男達が覗き込んでくる。
「王女殿下、ご無事ですか!?」
大丈夫、と返事をしようとした。けれども、声がまったく出ない。
いったいどうしてしまったのか。身じろぐことさえできなかった。
「王女殿下、エルヴィール・ド・バラウール様!!」
「ううん……!」
声を上げたルビーを、騎士達は覗き込む。
「王女殿下!! 意識はあられますか?」
「え、ええ、ありますわ」
私への問いかけなのに、なぜかルビーが返事をする。
「おケガをされておりますね。魔法兵!!」
ルビーは助けられ、魔法兵によって額のケガの治療を行っているようだ。
人々の声が、遠ざかっていく。
――私はここにいる! 誰か、助けて!
声を大きく張り上げたいのに。まったく声にならなかった。身動きも、依然として取れない。
ひょっこりと、従騎士らしい少年騎士が馬車の中を覗く。
「うわああああ!!」
「どうした!?」
「な、中で、メイドが、し、死んでいる!!」
「ん?」
従騎士よりも少し年上の青年が顔を覗かせる。私を見るなり、手と手を合わせた。
「運が悪いな。見てみろよ、手元にリンゴが転がっている。おそらく、王女殿下のためにリンゴを剥いている中で、何者かに襲われたのだろう」
「運悪く馬車が横転して、果物ナイフが胸にブスリ! ってわけか?」
「ああ、そうだな」
死体の処理はあとの者達に任せよう。そう言って、従騎士達はその場から離れていった。
どうやら私は、襲撃現場に取り残されてしまうらしい。