獣人王女エルヴィールは、公爵令嬢パウリーネと出会う
離宮にやってきて、早くも一ヶ月経った。
庭の緑は濃く色づき、夏の気配を感じる風が吹いている。
信じられないくらい毎日穏やかで、離宮にいる人達はみんな優しかった。
私も同じように、他人に優しくなりたい。そのためには、強くなる必要があると閣下は言っていた。
強さとはいったい何なのか。考えるが、わからない。
物理的な強さでないことは確かだろう。ウルリケに聞いて答えを知るのは簡単だが、それではいけない気がした。自分自身で気づいてこその、真なる〝強さ〟なのだろう。
強さについて模索する毎日であった。
朝――廊下をずんずん闊歩するドレス姿の女性がやってきたので、壁際に立って道を譲る。
「あら、あなた、新顔ね」
グレージュの髪を持ち、垂れた色っぽい目元が特徴的な美人である。
彼女の疑問に、ウルリケが答えてくれた。
「パウリーネ様、こちらの御方はルヴィ様。ファストゥからやってきた客人です」
「ふうん、そうなの。それよりもあなた、陛下のもとにいなくてもいいの?」
「い、今は、ルヴィ様の護衛を務めておりまして」
「へえ、そう。彼女はよほどの貴賓なのね」
「ええ、まあ」
彼女はアルノルト二世の護衛に就いていたらしい。やはりウルリケは騎士隊の中でも高い位置にいるようだ。だから、私自身も貴賓だと思われたのだろう。
パウリーネと聞いて思い出す。彼女はたしか、閣下の婚約者だ。
仲はあまりよくないと聞いていたが、こうして訪問し、定期的に顔合わせをしているのだろう。
そのことに気づくと、なんだか胸がもやっとする。
この感情はいったい――? 考えたが、わからなかった。
「パウリーネ様、今日は何をしにいらっしゃったのですか?」
「もちろん、幻獣に会いにきたのよ!」
パウリーネはぐっと拳を握り、熱烈な声で答えた。
「あと、それから婚約解消の手続きをしに」
「え!?」
まるで、幻獣に会いにきたついでに婚約解消したような口ぶりである。
「ど、どうしてですか?」
「お父様が決めたの。なんでも中立派になるので、王族である閣下側にはつけないと」
「そ、そういうわけでしたか」
何やら、政治的な問題があったらしい。
「ああ、今日はすばらしい日だわ! 陰険で事細か、神経質な閣下と結婚しなくていいと決まった日ですもの!」
陰険で事細か、神経質と、どれも閣下のイメージとそぐわない。まるで、別人について話しているようだった。
ごきげんよう。そう言って、パウリーネは去っていった。
「あの、ルヴィ様。パウリーネ様の言うことは、どうかお気になさらず」
ウルリケの言葉に、深々と頷いた。
なんというか、嵐のような女性だった。
◇◇◇
果樹園ではスモモが熟し始める。
完熟したスモモを、ひとつひとつ優しく収穫していく。
ヴァイスは枝を駆け回り、次々とスモモを摘んでいた。収穫後、木の上から投げてくるので、受け止めるのにひと苦労だった。
今年はたくさん実を付けていたようだが、強い雨と風の影響で三分の一が規格外となってしまう。
裂果しているものも多く、こういう状態では幻獣は口にすらしないらしい。
規格外のスモモは班ごとに分けて加工される。
このスモモはなんになるのか。ジッと眺めていたら、ネリーよりまさかの提案がなされる。
「ルヴィ、これをひとりでジャムにできる?」
「!」
これまではネリーが一緒に作っていた。けれども、スモモの加工は私に任せるという。大丈夫なのか、オロオロしていたら勇気づけるように背中をトンと叩いてくれた。
「心配しなくてもいいよ。作り方の要領は、サクランボジャムとそう変わらないから。ルヴィ、あんたなら、上手く作れる!」
ネリーが力強く言ってくれたので、なんだかできそうな気がした。頑張ってみると決意を表明すると、笑顔で見送ってくれた。
ネリーがウルリケに、「火だけは注意しといてくれ」と頼んでいるのを耳にしてしまう。まだまだ不安は残るようだ。それでも任せてくれたのだ。期待に応えられるよう、頑張らなければならない。
ウルリケと共に小屋に移動し、スモモジャム作りを開始する。
まず魔石水道の蛇口を捻り、スモモを水でよく洗う。皮ごと煮込むので、ここでよく洗っておかなければならない。
ヴァイスは蛇口を閉めたり、開いたりと、私が使う度に手を貸してくれた。
洗ったスモモは水を切らず、そのまま鍋に入れる。そこに、顆粒砂糖を加えるのだ。
火を入れ、鍋の底が焦げないようにひたすら混ぜ続ける。
スモモに火が通り、ぐつぐつ煮たってくると実が裂けていく。その隙間から、種がひょっこり顔を覗かせるのだ。
種はアクと一緒に取り除いて、さらに煮込む。
取り除いた種は捨てずに、冷ましておく。あとで、ヴァイスのおやつとなるのだ。
残った果肉を食べるのはもちろんのこと、種を割って実を食べるのも好きらしい。
汁にとろみが出てきたら白ワインをほんのちょっと加えて一煮立ち。酒精が飛んだら火を止める。
煮沸消毒させた瓶に詰めたら、スモモジャムの完成だ。
全部で四瓶できた。これを、休憩時間にクラッカーに載せていただく。
クラッカーは昨日、ネリーと一緒に焼いたものだった。
班の女性陣が小屋に集まり、ちょっとしたお茶会が開かれる。中心に置かれるのは、私が作った四つのスモモジャムの瓶。
皮ごと煮込んだので、鮮やかな色合いに仕上がった。みんなも、よくできていると口々に褒めてくれた。
ネリーも小声で「お疲れ様だったな」と労ってくれた。
「いただきましょう」
「ええ、そうね」
「おいしそうだわ」
ドキドキしながら、みんなが食べる様子を見守る。
口に頬張った瞬間、笑みを浮かべた。感想を聞かずともわかる。おいしかったのだろう。
私もいただく。スモモジャムをたっぷりクラッカーに載せて食べた。
スモモは甘酸っぱく、サクサクとしたクラッカーと一緒に食べるとパイみたいだ。おいしく仕上がっていたので、ホッと胸をなで下ろす。
「そうだ! これ、おいしくできているから、閣下に献上しましょう」
「いいわね!」
「きっと喜ぶわ」
果樹園で作られた料理は、時折閣下に献上されるらしい。
「本当に食べているかはわからないけれど」
「自己満足よねえ」
「でも、何かしたいって思うのよ」
閣下のために何かしたいと思う気持ちはおおいに理解できる。けれども、それがスモモジャムでいいものなのか。心配になって、そっとウルリケのほうを見る。
「大丈夫ですよ、ルヴィ様。閣下はきっと喜んでくれます」
彼女の後押しがあったので、自信がついた。
◇◇◇
夜――今日も閣下の帰りは遅かった。
待っている日に限って、なかなか帰らないのである。
遅くなる日、閣下は食事を取っていない。談話室に用意された軽食を食べるようにしている。さすがに食べさせてあげたのは初回のみで、以降は自分で食べていた。
今日は、私が作ったスモモジャムをそっと並べておく。
待つこと二時間、ついに閣下が帰宅してきた。
走って迎えに行くと、閣下はいつもどおり両手を差し伸べてくれる。
左右の手に指先をそっと重ねた。すると、閣下は握り返してくれる。
以前、勘違いからやってしまったこれが、閣下と私の「ただいま」と「おかえりなさい」になっていた。何回か繰り返したら慣れるかと思っていたが、今も気恥ずかしいままである。
「今日は一段と嬉しそうだね。ルヴィ、いいことがあったのかい?」
そうだと頷き、軽食が用意されたテーブルまで誘った。
 




