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獣人王女エルヴィールは、アレクシス閣下の帰りを待つ

 その後、ネリーと一緒に幻獣が食べるイチゴを丁寧に洗い、ヘタ取りを行った。

 ヘタはナイフで削ぐ。見ていると簡単に見えるのに、実際にやると難しかった。

 ネリーから手つきが危ないと指摘され、途中から木製ナイフに替えて作業を行う。

 ウルリケもナイフ捌きが上手くて、ネリーが少し教えただけでヘタ取りをサクサク行っていた。器用なふたりが羨ましくなってしまう。

 ヴァイスもヘタ取りは苦戦していて、あまりにも上手くできないので『ジュ~~~!!』と悔しそうな鳴き声を上げていた。

 けれども、数をこなすうちにだんだんと上達しているような気がする。これも、慣れなのかもしれない。

 日が暮れる前に、果樹園の仕事は終わりだと言い渡された。これは私だけではなく、果樹園で働く人全員がそうらしい。

 なんでも、果樹園の朝は早いようで、その代わり夕暮れ前に終わるようだ。


「ルヴィは慣れるまで、お昼前くらいからでいいよ」


 朝からでも大丈夫だと思ったが、ネリーにもやらなければならない仕事がある。私の指導ばかりする暇はないのだろう。


「ここには、療養しにきたんだろう? 無理はしないほうがいい」


 昼からでいいと言ったのは、ネリーが忙しいからだと思っていた。けれども違っていて、私を心配していたからだった。彼女の優しさに触れ、なんだか泣きそうになる。

 ありがとう、とウルリケを通じて伝えると、ネリーはニカッと笑いながら「当たり前じゃないか!」と返してくれた。


 その日、閣下の帰りは遅く、ひとりで夕食を取った。閣下との食事なんて恐れ多いと思っていたけれど、ひとりはひとりで味気ない。

 これまで誰かと食事をすることなんてなく、ずっとひとりだった。それなのに、短い間閣下と食事をしただけで、こんなにも寂しく感じるなんて……。

 閣下が私を気にするのは、きっと今だけだろう。ひとりで過ごすのにも慣れなければ。


 もしかしたら、閣下は離宮に戻らないかもしれない。なんて考えていたのだが、ウルリケは談話室で閣下の帰りを待ったらどうかと助言する。

 私が嫌でなければ、という言葉も付け加えられる。嫌ではない。むしろ、会いたい。

 今日一日の成果を、閣下に報告したかった。

 図書室で借りてきたツークフォーゲルの本と共に、閣下の帰りを待つこととなる。

 ヴァイスは疲れたのか、私の膝の上で丸くなっている。熟睡し始めたタイミングで、カゴの中に作られた寝床に移してあげた。

 シンと静まり返った部屋に、ヴァイスの『すー、すー』という静かな寝息だけが聞こえる。

 それから二時間後に、閣下は帰宅する。まっすぐ、談話室へやってきてくれたようだ。

 閣下を見た瞬間、私は立ち上がり、駆け寄る。


「ルヴィ、ただいま」


 そう言って、閣下は両手を私に差し伸べる。走ってきた勢いもあって、閣下の両手を握ってしまった。

 閣下の手はひんやり冷たかった。私はどちらかと言えば火照っていたので、心地よく感じてしまう。

 思いがけない反応だったのか、閣下は少し驚いた表情を見せていた。

 手を差し出したのは筆談のためで、私が握ってきたのでびっくりしたのだろう。

 すぐに離すつもりだったが、閣下は私の手をぎゅっと握り返してくれた。


「ルヴィの手は温かいね。でも、僕の手は冷え切っているから、君の手を冷やしてしまう」


 ツークフォーゲルは春であるが、ファストゥよりも少し北のほうにある。そのため、太陽が沈むと酷く冷え込むのだろう。

 閣下は心配していたが、へっちゃらだ。獣人の体温はもともと高い。ひんやりしていて気持ちがいいとウルリケを通して伝えてもらう。


「そうか。ルヴィを抱きしめたら、全身温まるのかな?」

「閣下、妙齢の女性を湯たんぽ代わりにするのはいかがかと」

「冗談だよ。本気なわけがない」

「すみません、目が本気に見えましたので」


 今の私は何もできない。湯たんぽ代わりで閣下のお役に立てるのであれば、活用してほしい。これもウルリケに訴えたが、なぜか閣下に伝えてくれなかった。


「ウルリケ、ルヴィはなんて言ったんだい?」

「黙秘します」

「そういうの、よくないな」

「お伝えするか否かは、私が個人的に判断しますので」


 ウルリケは閣下に握られていた私の手を取り、先ほどまで座っていた長椅子まで誘う。そして、目の前に片膝を突いて、優しく諭すように言った。


「ルヴィ様、ご自身の身を削るような行為は、どうかなさらないでくださいね。療養中だから、このように言っているわけではないのですよ。いつもいつでも、先ほどルヴィ様が言ったようなことは、しなくてもよいのです」


 ウルリケに言われて気づく。もしかして、はしたないことを言ってしまったのかと。

 顔から火が出るのではないかと思うくらい熱くなった。


「なるほど。ルヴィが何を伝えようとしていたのか、なんとなくわかった気がする」


 閣下は私の隣に腰かけ、眉尻を下げながら言った。


「ルヴィは僕に恩を返そうとしてくれたんだね」


 こくりと頷くと、閣下は困った表情を浮かべた。


「大丈夫だよ、ルヴィ。恩なんか、返さなくていい。僕にも、ウルリケにも」


 そんなことなんてできない。受けた恩は、きっちり返したいのに……。

 閣下やウルリケは優しいから、そんなふうに言ってくれるのだろう。

 今は働く術なんて知らないし、体も思うように動かない。けれどもこの先、せっせと働けるようになりたかった。

 そうすれば、閣下やウルリケにも恩返しできるだろうから。


「ルヴィ、ここの人達は、みんな優しいだろう?」


 こくりと頷くと、閣下はその理由について教えてくれた。


「ここで働く人達は、どこかで困っていた人達なんだ」


 ネリーもそうだった。捨て子で、親の顔さえ知らない。毎日食べる物すらなくて、常にお腹を空かせていたという。


「みんな、雇い主に恩返しなんかしない。でも、何もしないわけじゃないんだ」


 それがわかるかと聞かれて、小首を傾げた。そんな私に閣下は優しく語りかける。


「彼らは、同じように困っている人達に、親切にするんだよ」


 そうすれば、人が増えるにつれて親切の輪が広がり、大きくなる。恩を受けた人にだけ返していたら、こうはならないだろうと閣下はわかりやすく説明してくれた。


 たしかに、ネリーも優しかった。それは、彼女がかつて受けた優しさだったに違いない。

 どうやら私は、頭が固くなっていたようだ。恩返しをしたいと望むなんて、結局は自己満足なのだろう。


「だからね、ルヴィ。この先、君と同じように困っている人がいたら、手を差し伸べてあげるんだよ。もちろん、それができるのは、強い人だけだから」


 時間がかかってもいいから、強くおなり。閣下はそう、私に言ってくれた。

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