獣人王女エルヴィールは、幻獣ジュリスと出会う
朝食後は、閣下が庭を散歩しようと提案してくれた。
「庭には、幻獣を保護する檻があるんだ。彼らが暮らす環境に合わせて作った檻でね。快適に過ごしているといいんだけれど」
渡り廊下より外に出ようとしたが、閣下が立ち止まる。
「昨晩、雨が降ったから、地面がぬかるんでいるようだ」
熟睡していたため、雨が降っていたなんて、ぜんぜん気づかなかった。
今日は天気がいいので、きっと夕方までには乾くだろう。私が履いているのは布の靴なので、歩きにくいだろうし汚してしまうだろう。散歩は難しいように思えた。
「困ったな」
散歩はまた今度でいい。そう伝えようとした瞬間、体がふわっと宙に浮いた。
閣下が私を抱き上げ、そのままの状態で庭をサクサク歩き始める。
「――!?」
私を横抱きにしたままで、庭を散策するらしい。いったいどうして、ここまでして散歩しなければならないのか。
背後に続くウルリケに、助けを求めるように視線を投げつける。けれども、彼女は申し訳なさそうに会釈を返すばかりだ。
少しの間、散歩に付き合ってやってくれ。そう訴えるような目で見つめてきた。
重たくないのか。歩きにくくないのか。私を抱いて歩くなど、面倒なのではないか。さまざまな疑問が押し寄せる。けれども、どの言葉も発することができなかった。
閣下は息切れすることもなく、私を抱いたまま庭を案内してくれた。
「ルヴィ、あそこはジュリスの檻だよ」
檻と言っていたので、小さなものを想像していた。けれども、実際に見た檻は見上げるほど大きい。
巨大な鳥カゴと言えばいいのか。木々や池などの水場もある、小さな森が檻の中に作られていた。
生息地に似た環境を作った檻という話が、いまいちピンときていなかった。しかしながら実際に目にすると、画期的なものだと理解できる。
「ジュリスは薄明性。夕暮れや早朝に活発な活動するんだよ」
ジュリスはツークフォーゲルでもっとも多く生息し、また多くが密猟されている幻獣。
その姿は白い毛並みを持つ、愛らしいリスだという。
朝だからかジュリスは木から木へと跳び移り、元気に駆け回っている。
「ジュリスは愛らしく見えるけれど、獰猛な性格でね。愛玩用には向かない」
無理矢理契約すると、精神的に病んでしまい、一年半くらいしか生きないらしい。
ただ、その愛らしさから、貴族の間で絶大な人気を集めているという。
「だから業者は、調子に乗ってジュリスを次から次へと密猟するんだよ」
檻の周囲はレンガが敷き詰められているので、ぬかるみはない。下ろしてほしいと、ウルリケを通して伝えた。すると、閣下は優しく下ろしてくれる。
耳を澄ませると、『ジュ、ジュ!』という低い鳴き声が聞こえた。見た目は可愛らしいのに、鳴き声は可愛くない。そこが、ジュリスの魅力なのだろう。
しばしジュリスの檻を眺めていたら、一匹のジュリスがこちらへやってきた。
金網を登り、私と同じ目線となる。
「ルヴィ、彼は乱暴者の個体なんだよ」
檻の中を清掃する者に威嚇し、酷いときは木の実を投げつけてくるらしい。
「木の実といっても、くるみとか、どんぐりとか、殻が固いものばかり投げつけてくるんだ」
閣下はすっかり困り果てている、という様子で乱暴者のジュリスについて語っていた。
一方で、乱暴者の烙印を押されていたジュリスは、抗議するように『ジュ! ジュ!』と鳴き声を上げている。
「文句を言っているようだけれど、威嚇や木の実攻撃を辞めたら、撤回してあげるよ」
『ジューー!!』
本当に言葉が通じているようなやりとりをするので、思わず笑ってしまった。
「ああ、ルヴィ。面白かったかい?」
そうだと頷く。そのあとで、ふと我に返った。
今、私は笑えていたのか?
昨日まで、表情が氷のように冷たく固まっていたのに。
なんとなく気恥ずかしくて、確認することはできなかった。
ジュリスが金網の隙間から、私に手を差し伸べる。
「ルヴィ、危険だ」
閣下がそう言ったときには、私はジュリスに指先を伸ばしていた。
私の手を、ジュリスはそっと握る。そして、ぺろぺろと舐めてくれた。
くすぐったい。でも、嫌な気持ちではない。
――お前、可愛いね。
パクパクと口を動かして伝えると、ジュリスは甘い声で『ジュ!』と鳴いた。
「驚いた。ジュリスがルヴィ相手に、親愛の鳴き声をあげるなんて」
先ほどの甘い鳴き声は、親愛の証らしい。乱暴者だと聞いていたが、ジュリスはとても愛らしかった。
「ルヴィ、これを、ジュリスに与えてみてくれないか?」
閣下が差し出してくれたのは、小さなクルミの欠片である。わかったと頷き、クルミをジュリスへ与えてみた。
すると、ジュリスは私からクルミを受け取り、カリコリと食べ始める。
食べ終わるとジュリスはどこかへ行ってしまい、数秒後に戻ってくる。
手にしていたどんぐりを、私に差し出してくれた。
受け取ってもいいのか。閣下のほうを見ると頷く。
どんぐりを手に取ると、ジュリスは嬉しそうに『ジュ!』と鳴いていた。
閣下は顎に手を当てて、何か思うような仕草を取る。
いったい、何を考えているのか。しばし待つ。
「ルヴィ、この個体は、森に放つのは難しいと思っていたんだよ」
乱暴者のジュリスは、一生ここで保護しなければならないだろうと判断されていたらしい。
というのも、保護されたときから他のジュリスと仲良くできず、人間には喧嘩を売り、食事もまともに取らなかったのだという。
言われてみれば、このジュリスは他の個体よりも痩せている。
「ジュリスは家族から給餌し合う習性があるんだ。このジュリスは群れを作らず、単独行動ばかり好んでいた。野生に放しても、長生きできないだろう」
そんな状況の中で、初めて親愛のひと鳴きを聞かせてくれた。それだけでなく、これまで見せなかった給餌活動を行ったのだ。それを目の当たりにした閣下は、私に驚きの提案をする。
「ルヴィ、このジュリスと契約する気はないかい?」
このままでは、食事もまともに口にできず、衰弱して死んでしまう。けれども私と契約したら、このジュリスは五十年、六十年と長生きするという。
「強制ではない。僕は、ルヴィの意思を尊重する」




