獣人王女エルヴィールは、アレクシス閣下と朝食を食べる
閣下と朝食と聞いて驚いてしまった。忙しいだろうから、次に会えるのはずっと先だと思っていたのだ。
閣下は毎日離宮に帰ってくるのかとウルリケに質問すると、そうだと頷く。
「幻獣の保護を始めてから、毎日いらっしゃっているようです。それまでは、月に一度、いらっしゃるか、いらっしゃらないか、という感じでしたが」
幻獣の保護を始めたのはちょうど半年前。幻獣の取り引きを裏社会で行う者を取り締まっているようだが、雑草のように刈っても刈っても撲滅できないのが現状だという。
「貴族のペットとして、幻獣を飼うのが流行っているようで……」
基本的に、幻獣が心を許し、契約関係になるのならばなんら問題はないとされていた。
しかしながら、そこに目を付けた業者が契約していない幻獣を捕獲し、貴族に販売しているのだという。
「幻獣の契約には、いくつか種類があります」
まず、ひとつ目は名付け。幻獣に命名し、幻獣が受け入れたら契約は完了する。互いの了承を得てから関係を結ぶ、平和的な方法だ。
ふたつ目は、血の契約。魔力を含んだ血と引き換えに契約を持ちかけるというもの。契約するか、否かは幻獣が決める。契約した場合、対価として魔力を与えなければならない。
みっつ目は、魔法で幻獣の意思を縛る強制的なもの。奴隷契約に等しく、幻獣は自由を奪われるらしい。
幻獣を取り引きしている業者は、強制的に契約させる魔法巻物も一緒に販売しているようだ。
「業者は次々と拘束されているのですが、魔法巻物を作る魔法使いはいまだに見つかっていない状況でして。その者が、もしかしたら商人達を唆しているのではないかと、閣下は思っているようです」
ちなみに、閣下は幻獣が苦手らしい。なんでも幼少期に、森に出かけたときにジュリスに噛まれたことがあったようだ。
「幻獣を苦手だ、苦手だと言いながらも、毎日幻獣の様子を見に行きますし、具合が悪そうにしていたら誰よりも心配なさるようで――と、お喋りしている場合ではありませんね。食堂へご案内します」
ウルリケのあとに続き、大理石の廊下を進んでいく。
「ルヴィ様、お寒くないですか?」
大丈夫だと頷く。私が雪深い地域を故郷とする山猫獣人だからだろうか。寒さにはめっぽう強い。
真冬にメイドが暖炉の薪を入れ忘れることもあったのだが、その時も毛布一枚で耐えられるのだ。
「パウリーネ様は、ここはいつも寒い、死ぬほど寒いっておっしゃっていて……」
名前を口にしてから、ウルリケはハッとなる。立ち止まり、気まずげな表情で私を振り返った。
「あ、あの、パウリーネ様というのは、その、アレクシス様の婚約者です。もしかしたら、ここでお会いすることもあるかもしれません。その、パウリーネ様は幻獣を愛されているようですので」
パウリーネ・フォン・ゲッテルブルク――公爵家の次女で、明るく溌剌とした人物らしい。閣下とのご関係は良好とは言えないようだが、政略結婚だからこんなものだと開き直っているという。
私もそれくらい強かったら、ルビーなんかに付け入る隙など与えなかったのかもしれない。まだ会ったことはないが、パウリーネ嬢の強さが羨ましくなった。
食堂に辿り着くと、すでに閣下の姿はあった。
「おはよう、ルヴィ」
閣下は持ち前の美貌を、朝からこれでもかと言わんばかりに輝かせていた。
大地をさんさんと照らす太陽よりも眩しいと思ってしまった。
執事の男性が引いた席は、閣下のすぐ近く。てっきり下位席に座るものだと思っていたのに、上位席に座ってもいいらしい。
通常、公的でない食事の席でここに座るのは、屋敷の主人の妻である。
私が喋ることができないので、交流を図りやすいように配慮してくれたのかもしれない。
恐れ多いと思いながら、上位席に腰をかけた。
「昨晩は、ゆっくり眠れたかい?」
大きく頷く。すると閣下は「そうか。よかった」と言葉を返した。
「喋れないのはもどかしいな。あとで、ゆっくり話そう」
指先で筆談しながら、話すつもりなのか。そこまでしなくても、私の言葉はウルリケが読唇できる。そのことについて、ウルリケを通じて閣下に伝えてみた。
「閣下、ルヴィ様のお言葉は、私が読唇術で通訳できます」
「お前、そんなことができたのか?」
「ええ。昔訓練を受けたのを、すっかり忘れていましたが」
閣下は読唇術を使えないのか? そう問いかけたが、習得していないらしい。
「閣下、私は五時間ほどで習得しましたが、一度講習を受けてみてはいかがでしょうか?」
「そんな暇があるわけないだろう」
「そうでしたね」
ひとまず、私との会話はしばらく筆談で行うようだ。
なんて話を聞いているうちに、朝食の用意が始まった。
丁寧に銀のカトラリーが並べられ、真珠のような照りを持つ美しい磁器の皿も置かれる。
「ルヴィ、ファストゥとツークフォーゲルでは朝食の文化が異なるようだね?」
それに関しては、一度本で読んだことがある。
カルテスエッセン――冷たい朝食。
ツークフォーゲルでは火を使わない、冷たい朝食を取るようだ。
「閣下、ルヴィ様はツークフォーゲルの朝食についてご存じだったようです」
「へえ、よく知っていたね。これまでずっと、双方の国は交流がなかったのに」
ツークフォーゲルに嫁ぐために、文化や歴史、語学についていろいろ学んだのだ。
ただ、冷たい朝食が文化だ、という点はいまいち理解できなかったのだが……。
「ファストゥは、温かいスープにカフェオレ、チョコレートクロワッサン、半熟卵に、カリカリに焼いたベーコンがお決まりなようだね?」
その言葉に小首を傾げる。
私がいつも食べていたのは、パンと一杯のミルクのみだ。ウルリケに伝えると、驚きの表情を浮かべていた。
「国王の娘が、たったそれだけしか召し上がっていなかったのですか!?」
閣下もウルリケから話を聞き、思いっきり顔を顰めている。
「だからそんなにも、やせ細っているのか。実年齢よりも、見た目がずいぶんと幼いとは思っていたが」
たしかに、身長の伸びは十代前半で止まっていたように思える。女性的な部分だって、ルビーに比べると子どもっぽいという陰口は耳にしていた。
顔立ちは似ているという話だったが、ルビーのほうが圧倒的に美人だ。彼女について物申したいことはいろいろあるものの、美への努力とそれに伴う美しさについては認めていた。
「あの、ルヴィ様、昼や夜は何を召し上がっていらしたのですか?」
昼食はだいたい、忘れられることが多かった。食事がある日は、しなびた野菜と細かく刻まれたベーコンを挟んだパン、それから一杯の紅茶のみ。
夕食はスープとパン。たまに、ソテーされた魚や肉が出るくらいである。
これが私のいつもの食事であった。
「ひ、酷い……!」
「ファストゥは獣人だけでなく、ルヴィまでも迫害していたとは」
閣下は眉間に皺を寄せ、「うちで保護できて、よかった」と口にしていた。
ウルリケは瞳を潤ませながら、「たくさん食事を取れるようにしましょうね」なんて言ってくれる。
私は本当に、いい人達に拾ってもらったようだ。
まずは恩返しというよりも、ごくごく普通の日常生活が送れるようになって、彼らに心配をかけさせないようにしなくてはならないだろう。
朝食は昨晩同様、オートミール粥を用意してくれたようだ。
今日は細かく刻んで煮込んだ野菜も入っている。閣下も同じ物を食べるようだ。
「オートミール粥か。懐かしいな。熱を出したときに、よく食べていたよ」
「閣下は成人してから、健康になりましたものね」
「そうだね。獣人達と外で遊ぶようになったのも、よかったのかもしれない」
閣下もアルノルト二世同様、幼少期から獣人達と共に育ったらしい。そんな話を聞きながら、おいしい朝食を味わった。




