89話 休息
「ここは…?」
体を起こすと体中に痛みが走る。激しい筋肉痛のような痛みと打撲のように鈍い痛みの両方がある。いつの間にベッドに寝たんだっけ?思い出せない。ヒュドラと死闘の末、倒して、疲労困憊の体を引きずって村まで戻ってきた。ここまでは覚えている。茜はシモンとホークを背負って、はっきりとした足どりで先頭を歩いていた。僕はその後ろ姿だけを見ながら、遅れまいと必死に着いていったな。
「そうだ!村に着いたと思って、安心したら…そこで記憶が途切れてる」
徐々に意識がはっきりしてきて、思い出してきた。ここは道具屋のお爺さんの家かな。ここまで誰かが運んでくれたんだろう?
「やっと起きたか、お前は丸一日も寝ていたんだぞ」
ベッドの足元には、椅子に座った少女。その少女は手元に開いた本から顔を上げ、怪訝な顔をしている。
「えーと、あのーどちら様ですか?」
「ほう。動くとますます似ているな。いや、顔はあまり似ていないが、雰囲気がそっくりだ」
僕の質問は華麗にスルーされ、間近でまじまじと見つめられる。か、顔が近い…。髪に隠れて見えなかったけど、これはツノ?
「すまん、紹介が遅れた。私はフォルカスだ。気づいたか?私は、魔族だ。このご時世だから内密にな」
僕の怪訝な視線に気づいたフォルカスは自己紹介する。今魔族って言った?王都で一通り習った内容だと、確か魔族は人類の敵で、現在も戦争中じゃなかった?先の大戦では、魔族側に大きな犠牲があったと聞くけど、なんでこんなところに?
「ま、魔族?今は戦争中なのにこんなところにかいていいんですか?」
「魔族にも色々な奴がいるってことさ。そこは人間も同じだろ? 雰囲気は似てるけど、守とは全然違うな。守は、何とかなるが口癖だったけど、お前は慎重だな。あとむず痒いから敬語はやめろ」
そう言うものなのかな。魔族本人が言うんだから、そうなんだろう。
…思い出した。守さんの日記に"フォルカス"の名前を見た。確かかなり強いって話だ。茜よりも強いのだろうか。小柄な体だけど、圧力というか威圧感が凄い。うまく言い表せないけど、体を何重にも膜のようなものが覆ってるような感覚だ。
間違いなく僕よりは強い。というか、正面から一対一で戦ったら僕はそんなに強くないと思う。今までは勇者の身体能力や味方の能力を借りて、何とかなってるだけだ。
「…分かった。守さんが変わってるだけだよ。何も知らない世界に急に放り出されてたんだ。慎重にもなるさ」
「おはよう。アサヒ!起きたのね!?」
勢いよくドアが開いた。騒がしく茜が入ってきた。その手にはお盆。いい匂いの食事からは湯気が立ち込める。
「フォルカス…!なんで、いるの…?」
「茜か。ついさっき着いたばかりだ。久方ぶりにヤマトへ帰ったら、茜達が旅立ったと聞いたから寄ったのだ。…元気そうだな」
目を細めて微笑むような表情を見せる。久しぶり大事な人との再会を喜んでいるように見える。対照的に、茜は歯を食いしばるような、はたから見れば憎んでいるともとれる表情を浮かべている。この二人の過去にいったい何があったんだろう。シモンなら知っているかな。後でさり気なく聞いてみるか。
「アサヒに、近づかないで! そうやってあたしのお父さんだって…!」
「何度も言っているが、それは誤解だ。私は何も知らなかった。 あれから、魔王様を探して様々な場所を巡ったが、未だに会えない。きっと、何か理由がある、と思う」
「そんなの!! 信じられないよ…だってあたしは…」
「まぁ、そのくらいにして、朝ごはんを食べない? アサヒだって、一日何も食べてないんだから、お腹空いてるだろうし」
相変わらず空気を読んだのか、あえて読まないのか分からないが、ベストなタイミングでシモンが割り込んだ。
「あ。あー、お腹すいちゃったなー」
後から思い出したら、恥ずかしい思い出になることは間違いない。そのくらい誰が見ても棒読みのセリフを僕の口から出てしまった。せっかくのシモンのナイスパスを明後日の方向へ蹴り出してしまったのだ。
「…じゃあ、こっち。思ったより元気そうだから、村の食堂でみんなで食べよう」
茜を先頭に、ゾロゾロと部屋を出た。どうやら道具屋お爺さん家の一室を借りていたようだ。お爺さんが声をかけようと近づいてきたが、並々ならぬ雰囲気を察知して何もいえず見送っていた。せっかく天気のいい朝なのに、こうもピリピリしてると勿体ない。お爺さんを見て思い出した。
「娘さん、お孫さんは無事でしたか?!」
「ああ、お前さんのおかげでな。お前さん達が村に帰ってきた後、救助隊を編成してな。すぐに連れ戻しに行ったのじゃよ。誰かさんのおかげで盗賊達は一人も居なかったから、安全に連れて帰れた。…本当に、ありがとうな」
お爺さんが深く頭を下げると、後ろからひょっこり小さな女の子が顔を出した。お爺さんに習って、ぺこりと頭を下げている。
「顔を上げてください!いつもの事なので、気にしないでください!僕も、収穫はあったので良かったんです」
リヒトのことだ。ヒュドラを倒した後、辺りを探したが見つからなかった。捜索隊の人達も周囲を探したみたいだけど、手がかり一つ見つからなかったらしい。今思い返すと、途中からヒュドラの動きが変わった。あの辺りで、もう逃げ出していたのかもしれない。リヒトとは、いずれまた会うことになるだろう。そんな気がしてならないのだ。
「困ったら、すぐに言ってくれ。出来ることなら何でもするからな!ガハハハ!」
背中をバシバシと叩かれて、食堂に向かう。みんな無事だったんだ。良かった…。
食堂の席に着くと、相変わらず茜がフォルカスに食ってかかっていた。
「土魔法使いの村を目指してる、と聞いた」
フォルカスはポツリと尋ねる。
「だったら、何よ。文句あるの?」
「いや、文句はない。が、恐らくたどり着けないだろう。それを伝えにきた」
「な、何であんたがそんな事知ってるのよ!」
「私には、分かる。行ったことがあるからな。可能なら、そっとしといてやって欲しい気持ちもあるが…、いや、守と同じ世界から来たお前なら、どうにな出来るかもしれないな」
「なっ!?」
「僕が?」
フォルカスは真っ直ぐと僕を見つめる。美しい泉のように澄んだ瞳は、朝の光に煌く。
「その前に、無事にたどり着けるか試そう。その村は、湿地帯を超え、険しい山を越えた先にある。よそ者に厳しい村だったから、突然訪問した日には半殺しにされるだろうな。それに気がかりもある。以前は、湿地帯に化け物が住み着いていたんだが、ニ、三日前からその気配が消えてしまったんだ」
「その化け物は、あたし達が倒した」
茜はどーだと言わんばかりに胸を張り、得意げに回答した。
「何!? …それは、益々楽しみだ」
先ほどまでの澄んだ瞳は、獲物を見つけた肉食獣のそれへと変わる。
「フォルカスがそこまで警戒するほど危険なの?茜、シモンがそろえば、並大抵の魔物は倒せるし、強力な魔物からでも、逃げるくらいの時間は稼げる、と思う」
僕は、疑問を口にする。
「山には魔物が出る。その魔物はそこまで心配していない。茜であれば余裕で倒せるはずだ。問題は村だ。村の守りが危険なのだ。
昔、その村から命からがら逃げ出した吟遊詩人がいた。そいつはこんな歌を残した」
ーー恐れを知らず、痛みを知らず、眠りすらも必要としない。ただ忠実に主の命令を厳守する。己の崩壊を物ともせず、ただその一言を命をかけて実行する。
"村を守れ"
古い魔術士の間で、広く親しまれたその形からこう呼ばれた。
「「土人形」」
フォルカスとシモンの声が重なった。
「なんだ、知っていたのか」
「…根も葉もない噂だと思っていた。ある意味、ヒュドラよりも厄介かもしれないな」
明日も投稿します。




