59話 決戦(ニ)
魔王は守のしぶとさに驚いていた。
何度も致命傷になり得る攻撃を仕掛けたが、ほんの皮一枚のところで急所を避ける。
魔素は弱まり、動きも鈍い。それなのに倒しきれない。
諦めの悪さ、生への執着とも言える。
何が彼をそこまでさせているのだろうか。
さらに、ペットの犬までも加わってきた。先ほどまで瀕死で横たわっていたはずだ。この二人はどこかおかしい。
犬が狼に変化した。その狼に騎乗した姿は、まさに人馬一体。
一つの生き物のように動き、こちらの攻撃を避ける。これは長期戦だな、そう魔王は直感した。
※
ウルフの調子がいい。
俺の考えが直感的に伝わっているようだ。森の中を縦横無尽に駆ける。
ウルフは騎乗を前提とした速さに特化した姿になっていた。
滅私の精神。
動物の本能に相反するそれは守への思いにより能力となって発現した。
以前の狼形態では鋭い牙や爪といった好戦的な獣の姿が特徴的だった。ウルフの願望が現れたのだろう。その牙は無くなり、爪は移動を妨げないよう最小限に短くなっていた。
手足は細く、体つきは柔軟で流線的な、まるでチーターのようだ。
これなら、魔王の速さについていける。
攻撃、防御は俺。回避、移動はウルフといった分業により、一時拮抗するところまでいった。
しかし、俺達から徐々に疲れが見え始めた。一方で、魔王はまだまだ底が見えない。挙動に余裕を感じる。
このままではジリ貧だ。どこかで隙を見つけて、一気に畳みかけないと。
悪い予感は当たる。俺の懸念が現実になり始めた。
目まぐるしい高速戦闘。幾度となく繰り出した拳を魔王は捌ききる。
お返しとばかりに何種類もの魔法が放たれる。月明かりの下、色とりどりの光がウルフに襲いかかる。その美しい輝きとは対照的に一つ一つに必殺の魔力を内包しているようだ。
それを紙一重で避け続ける。何か一つでも歯車が狂えば崩れてしまう、そんな危険な賭けに勝ち続ける。
赤い光が足元に着弾した。凄まじい熱気に一瞬ウルフの足が止まるが、すぐに体勢を整えた。
これは俺のせいだ。
思わず顔を背けた僅かな隙を見逃してはくれなかった。
「まずは、やっかいな君からだ」
魔王は閃光のような速さで距離を詰めると、ウルフの首を鷲掴みにして持ち上げた。
当然、ウルフに騎乗していた俺は突如として空中に投げ出された。
スローモーションのようだ。
ウルフの心臓に目掛けて魔王から神速の抜き手が放たれる。先ほど俺に見せた攻撃だ。
ウルフは魔王の拘束から逃れようと必死に足掻くが、抜け出せない。
間に合わない。
「グフッ」
「ウルフッ!!!」
無造作に引き抜かれた魔王の手には、脈動する心臓が握られていた。
すぐに駆け寄り、ウルフに回復薬を飲ませるが口から溢れて飲み込まない。
「ウルフ!飲み込め!」
「ま、もる…、もう、いい、よ。
最後ま、で、戦え、なくて、ごめ、ん」
「ウルフ…、もうしゃべるな…。
お前と会えてよかった、うちに来てくれてありがとうな」
「ま、もる…、オイラ、楽し、かった。
ま、たね」
ウルフは最後にそう呟くと口角を上げたまま、そっと目を閉じた。
俺ももうすぐそっちに行くかもしれないから、その時はよろしくな。
俺はゆっくりと立ち上がる。
雷電二式と狂戦士化の効果が切れそうだ。
強化を重ねがけした反動は大きいだろう。
魔素も残り僅かだ。
だが、それがどうした。
魔素がないなら、別のものを燃やせばいい。
命の炎を。
さっきまでは、生き残ることを考えていた。生き延びて、茜と暮らすことを望んでいた。
欲は捨てよう。
望まず、欲しがらず。
未来を力に、命を燃やせ。
「はああああぁぁぁ」
守を中心に突風が吹き荒れる。魔素が高熱を持ち、体を覆っていた鎧は瞬時に蒸発した。
「美しい漆黒の炎、まさに命の輝きだ。こちらも本気で相手しないと失礼になるね」
魔王は右手をゲートに入れる。
ゆっくりと引き抜くと、その手には一振りの剣が握られていた。神々しいオーラを感じる剣だ。一目でただの切れ味のいいだけの業物ではないと直感する。
「これはとっておきだよ。遥か昔、神代の時代に作られた名剣だ。
名を『天十握剣』という。神さえも殺しうる逸品だよ」
両刃の剣で、刃渡りは一メートルほど。鍔はなく、刀身と柄が一続きになっている。剣のまわりの風景が蜃気楼のように揺らいでいるかのようだ。この距離からでも不思議な力を内包していると分かる。
さすが魔王だ。とんでもない武器を隠し持っていた。
対して、俺は己の拳とタレントを信じるしかない。丸腰相手にあんな武器を引っ張り出してきて、恥ずかしくないのか。
一つ、魔王の戦い方を観察して分かったことがある。常に全力で全身に魔素を行き渡らせるのでなく、必要な箇所に必要なだけ振り分けているようなのだ。
例えば、拳を打ち込む動作においては、拳、肩、肘、腰を集中的に強化していた。戦況に応じて、流動的に身体の部位を強化するのが強者の戦い方なのだろう。
ただし一朝一夕で身につくものではないらしく、俺の場合、戦闘スピードに魔素の部位強化が追いついていない。無駄は多いが、なんとか原理は理解した。
俺の命が尽きる前に魔王を倒す。
再度、高速戦闘に突入する。
凄まじい速さで景色が流れる。
距離を取れば、魔法を撃たれる。俺に遠距離で有効な攻撃は持ち合わせていない。とにかくくっついて戦うんだ。
『血武器創造ーモード:黒刀』
硬く頑丈な刀をイメージした。
魔王の剣を素手では受けられない。発現した黒い刀に漆黒の魔素を乗せて、さらに強化する。
刀剣による剣戟が始まった。
魔王の剣を黒刀がどこまで受けられるか分からない。受けに回らず、先手を取り続けるんだ。
腰の位置に黒刀を留め、魔王の間合いへと一気に踏み込む。
胴を目掛けて横薙ぎの一閃。
剣の腹で弾かれた。まるで巨大な岩に打ち込んでいるかのようだ。
次だ。魔王に休む暇を与えるな、攻め続けて機会を待つんだ。
振り向きざまに足元からの切り上げ。これは一歩下がって避けられるが、掠った肌からは一筋の青い血が流れた。
「ッツ。まともに食らったらまずいね。
まったくもって割りに合わない」
魔王に焦りが見られた。準備する時間は与えないつもりだ。間髪を開けずに追撃する。剣と打ち合う度に、紫紺と漆黒がぶつかり合い、月下の闇夜を美しい火花が照らす。
幾重に及ぶ剣戟を重ね、二人はある種の高みに昇っていく。出し切れていない力を引き出すような、魔王に導かれているような感覚。
剣を交えることで相手のことが分かった気がしたのだ。数刻前にウルフを殺されたにも関わらず、俺はどうしても魔王が悪い奴だと思えなかった。むしろ気に入ってしまったのだと思う。
ほんの刹那とも、永劫とも感じる時間は終わりを迎える。
剣を重ねた瞬間、俺の黒刀が砕け散った。
魔王の剣はそのままの剣筋で、俺の胸元へと通り抜ける。
熱い。遅れて痛みがやってきた。
傷口から勢いよく暖かい液体が溢れ出す。
まだやりたかった、もう少しで何か掴めそうだったのに。死にたくない気持ちよりもまだ剣戟を続けたい思いが勝る。
朦朧とする頭で誰かの声が響く。
ーー全く使いこなせていないではないか。火魔法は力の一端じゃ。
そうだ。俺はブリギット様の加護を持っていた。宝の持ち腐れじゃないか。でもどうやったら使いこなせる…?
頭が回らない、考えが纏まらない。血を流しすぎたんだ。死が身近に迫ってくる感覚だ。
死を意識した途端、閃きが走った。
ブリギット様は何と言っていた?もうヒントは既に貰っていたんじゃないか。
ーー我は、戦いと豊穣の神…
戦いとは、極端に言えば死の押し付け合いだ。今は俺が押し付けられるところだがな。
では、豊穣とはなんだ?実り、営み、誕生、つまるところ生きること、生に収束する。
俺なりに解釈するとすればブリギット様の加護は、
戦いと豊穣、死と生、相反する力を秘めているんじゃないか?
時間はあまり残されていない。目を閉じ、己の中に意識を集中する。
ーードクン
心臓の鼓動が大きい。これは生だ。
傷口が熱い。これは死だ。
血液が傷口を固めようと必死に働いている。でもそれじゃあダメだ、傷が大きすぎる。
じゃあどすれば?
ーードクン、ドクン
傷を治す力、細胞分裂を早めたら?
ーードクン、ドクン、ドクン
そんなこと出来るの?
出来るさ、その時はその時さ。
そうだね、やってみようか。
静かに目を開けた。
傷をゆっくりと撫でる。
小さな煙が立ち昇ったその後には、傷一つない綺麗な肌が残されていた。
「ハハッ、守さんは何でもありだね」
魔王はどこか嬉しそうだ。気持ちは分かる、続きがしたいんだろう?
「楽しくてな。つい地獄の底から戻ってきたぞ。さぁ、俺達なりに語り合おうか」
応えるように思わずニヤリと笑ってしまった。
そんな二人のやり取りを鏡のような白銀の満月だけが見守っていた。雲一つない、今宵は月が綺麗だ。




