57話 約束
異世界生活 1525日目
最後の日記を書こう。
気がつくと、開拓町に帰ってきていた。王と謁見してからの記憶が曖昧だ。
その時の様子を同行したウルフとローズに尋ねたが、ローズは口を聞いてくれないし、ウルフは哀れむような目を向けたまま黙ってしまった。
それと、町に帰ってきてからの振る舞いはそれは酷かったみたいだ。
記憶はあるのだが、自分の記憶なのか自信がない。
まるでブラウン管のテレビを通して観ているようなのだ。
茜が出迎えてくれたのに、それを蔑ろにして武器や防具の手入れに明け暮れる毎日。
マリアさんからは頬を叩かれた。
鋭い痛みと泣き腫らしたマリアさんの顔が印象に残っている。きっと一晩泣いたのだろう。
カザン達からは軽蔑された。
以前までひっきりなしに町民の来客があった賑やかな我が家は、ひっそりと静まり返ってしまった。
茜も今はこの家にはいない。
マリアさんに世話になっている。
酒を飲む量が増えた。
一日のうちに数刻だけ、自分の意識がはっきりするときがある。その度に後悔し、懺悔の気持ちもあるが、つい酒瓶に手を伸ばしてしまう。
今の姿を見たら、彩夏はなんて言うかな。
怒るだろうか、説教するだろうか、それとも荷物を纏めて実家に帰ってしまうだろうか。
会いたいな、会いたいよ…。
誰か俺を止めてくれ。
僅かな間だけ戻る意識も段々と間隔が空くようになってきた。もうすぐ完全に、別人に塗り替えられると思う。
ふと、日記を手に取った。
ページをめくるごとに、この世界に来てからの出来事が鮮明に思い出された。
色々なことがあった。
大変なことばかりだったが、今ではその思い出さえも愛おしく感じる。
日記を書こう。
ペンを手に取るが、書き出しに悩む。
茜やそれぞれ世話になった人に宛てた手紙風にしようか、それとも今まで通りの軽い書きっぷりにしようか。
思いついたことをそのまま書き出していこう。
異世界日記 1525日目
これが、最後の日記になると思う。
王から勇者に任命された。
その時から自分の記憶が曖昧だ。
日に日に、自分じゃなくなっていくような感覚がある、怖い。
茜には、酷いことをしたと思う。あまり覚えてなくて心苦しいが…。
本当に申し訳ない。
茜が産まれた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
夜十一時くらいに産まれて、すぐに泣かなくてハラハラしたっけなぁ。
産院からの帰り道、人もまばらの電車の中で、急に実感が湧いてきたことを思い出した。
父親として初めて自覚したのは、俺の場合は、電車の中だった。
それから、こっちの世界に来てからは、色々と苦労をかけたと思う。家を空けることが多く、茜には寂しい思いをさせたかも知れない。
マリアさんやカザン、アンナさんを始めとする多くの人に助けられた。本当に感謝している。
この先、茜の成長を見守れないことだけが心残りだ。
そうなると、彩夏との約束は半分くらいしか果たせてないな。心の中で謝っておこう。
※
日記が終わりに近づいてきた。
結びの言葉はどうしようかと悩んでいると、玄関がノックされたら音が聞こえた。
気がつけばもう夜更けだ。
こんな時間に誰だろう。
恐る恐る扉を開けた。
「やぁ。約束どおり、殺しに来たよ」
友人宅に遊びに来たような口調で、魔王が襲来した。
「魔王か。
まぁ、入れよ。お茶くらいは出す」
何となくそんな気がしていたんだ。
「驚いた。まだ、自我を保ってるなんて」
本当に驚いているようだった。
俺もどうかしてる、自ら魔王を家に招き入れるなんて。
仕方ない、誰かと話したかったんだ。
例え、それが魔王でも。
テーブルを挟んで俺と魔王は座った。
こちらも約束通りお茶を出してやった。
「さて、何から話そうか。
守さんは、王が行った勇者召喚の儀式に巻き込まれたことは知ってる?」
初耳だ。
「いや…」
「ボクが邪魔をしたせいで、不完全な形で儀式を行った結果、守さん達が呼ばれてきたんだ。
本来、勇者は一人で、強力なタレントを神から授かって王都に呼ばれるんだよね。
守さんの場合、楔だけはしっかり受けたみたいだけど」
「楔ってなんだ?」
最初から強力なタレントは貰えなかったぞ。
「背中にあるでしょ?魔法陣のような模様」
魔王は俺の背中をちょんと指差す。
「ああ!やっぱりこれが原因なのか!
王に謁見した時にやけどのように熱くなったところまでは覚えているんだ!」
呑気にも魔法陣が偶然似てるなぁ、くらいの認識だった。
「守さんって、意外と鈍感なんだね。もう少し早く気づきそうだけど…」
魔王が呆れている。
自分のことは後回しにしてきたからなぁ。
「しかも、守さん神様の誰かから新たにタレントを授かってるよね?
そのおかげで王の支配から逃れてるみたいだけど、もう時間の問題だね」
「そうか、ブリギット様のおかげだったか…」
「戦と豊穣の神が!?
…また、随分と珍しい神に気に入られたね」
珍しく魔王が面食らったように驚いていた。一泡吹かせてやったぜ。
「じゃあそろそろお話はいいかな。
ボクに殺されてくれないかな」
雰囲気よく談笑してたから、見逃してもらえるのかと思ったが、現実は甘くないらしい。
「待て、日記を仕上げる」
書斎から日記を持ってくると、途中だった最後まで書き上げた。急いでいたから殴り書きのようになってしまったが、完成したぞ。
「俺としても大人しくやられる筋合いはないからな。必死に抵抗させてもらう。
場所を変えよう」
「分かった。せっかく作った町だからね。
ここを壊すのはボクも忍びない」
案外理解のある魔王だ。トップに立つ者はこのくらいの度量は見せて欲しい。
場所は、魔の森にするか。あそこならどれだけ暴れても被害はないだろう。
「魔の森でやろう。ここからだと移動に時間がかかるが…」
「移動は問題ないよ」
魔王はパチンと指を鳴らした。
すると、真っ黒いトンネルのような穴が、突然現れた。
「…すごいな。
最後に、茜に別れを言いに行ってもいいか?今の時間は、寝てると思うが」
「いいよ。別れのあいさつを許さないなんて、野暮なことはしないよ」
俺は、玄関の扉を開けて外に出た。
夜のひんやりとした空気が気持ちいい。
今日は満月だ。
茜はマリアさんの家にいる。
玄関をノックすれば、せっかく寝てるところを起こしてしまう。
茜の部屋は二階だったはずだ。二階の窓からこっそり入ろう。
物音を立てずに部屋に入った。
中には茜しかいない。
幸せそうにすやすやと眠っている。
俺は、ベッドのそばに寄り、茜の髪を撫でた。彩夏に似た柔らかい髪だ。頬っぺたも柔らかい。
別れが、つらい。
ずっと一緒に居たかった。
自然と涙が頬を伝う。
名残惜しいが、もう行こう。
音を立てず慎重に外へ出ると、一匹の犬が俺を待ち構えていた。
「ウルフ…」
「オイラもついて行くよ」
「死ぬんだぞ」
「どこまでもついて行くよ、それが地獄の底でも」
「…ありがとうな、相棒」
俺達は魔王の待つ我が家へと向かった。
最後に精一杯抵抗してやろう。
その背中からは、一人と一匹の決意がにじみ出ていた。




