19話 襲撃(二)
ケルベロスの首が一つ落ちた。毒のブレスを吐く首だ。残りは二つ。
ケルベロスは初めて受けた痛みのせいか、怒り狂っている。直線的だった動きは、怒りで読みづらくなってしまった。
ここで、雷電二式の効果が切れた。体が怠く、ずっしりと重い。
風の鎧は健在だが、いつまで持つか分からない。
赤熱剣の時間も残り僅かだ。急がないと。
二つの首が同時に襲ってくる。
「ウルフ!!」
ここで、相棒の出番だ。
ウルフが片方の首を相手している間、もう一方の首ー氷のブレスを吐く首だ。こいつは俺の獲物だ。
噛みつきが襲ってくる。
今度は避けなかった。
左腕はくれてやる。
腕に牙が食い込むと同時に青い炎の剣を首に差し込んだ。
「ギャアアア」
叫び声をあげて、俺を腕ごとブンブンと振り回す。差し込んだ剣を捻ると、離してくれた、いや吹き飛ばされた。
ウルフに、支えられながらただ上がる。
左腕は…だらんとしていて力が入らない。
くっついてはいるようだが、使い物にならない。
氷の首は瀕死だったが、まだ息をしていた。
生命力まで規格外だな、しぶとい奴だ。
霞む目で睨み合い、対峙した途端。
炎の首と氷の首で共食いが始まった。
氷の首には俺から受けた傷がある。炎の首の圧勝だった。
これで残りは一つ。
突然の出来事に混乱する。
目の前の出来事に理解が及ばず、反応が一瞬遅れてしまう。
唐突な反転、尻尾のなぎ払い。
いつでも動ける状態ではあった。初めて攻撃パターンだったが、それでも避けられなかったのは、速度が一段階上がっていたからだ。
横薙ぎの尻尾に吹き飛ばされ、地面を転がる。
顔を上げると、村の近くまで来ていた事に気づく。
まずい。こんなに近くまで来ていたのか、村から遠ざけないと。
俺の焦りとは対照的に、ケルベロスは落ち着いてウルフを迎撃し、俺に追撃をかけようとしている。
おかしい。
首が一つになってから明らかに動きが速く、強くなっている。
もしや首が三つに、体は一つだったことで、うまく体を制御できていなかったのか。
首が一つになったことで、体を完全に制御下においたってことか。つまりはこれが本来の速度だ。
悲観ばかりもしてられない。
残り少なくなった仲間達が奮闘している。
とにかく村から離すのだ。
ここで赤熱剣が切れ、風の鎧が消える。
くそ、時間切れだ。
さらに体が鈍くなるのを感じる。手足が鉛のようだ。
右ガンドレットの機構は使い切った、残りは左ガンドレットだが、噛み付かれ大破している。
火の魔石自体はまだ使えるか?
体内の魔素も残り少ない。
この魔石を直接ケルベロスの口の中に放り込み、爆発させるしか手はない。
当然、俺の右手は無事で済まないだろう。
村が守れるなら安いものだ。
右手に火の魔石を握りしめ、再度、対峙する。
ウルフには奴を牽制し、隙があれば攻撃するよう指示を出している。チャンスは一度きりだ。
ケルベロスとつかず離れずの距離を保ち、村とは反対の方向へ誘導する。
時折、ケルベロスから容赦ない前足が襲ってくる。
かろうじて目では追えるが、体がついていかない。
致命傷は避けている。肩口で受け、吹き飛ばされ、立ち上がる。
もう、何度目だろう。
周りの音もだんだん聞こえなくなってきた。
仲間達が俺を呼んでるような気がする。
何度もファイティングポーズをとるボクサーの気分だ、理屈じゃない。ここからは意地だ。
へい、ワンコロ。気分はどうだい。
俺はまだピンピンしてるぜ。
口角を吊り上げ、不敵に笑う。
ケルベロスの意識が俺に向いた、その瞬間、
ウルフが首元に噛み付いた。
ーーギャオオオオォォォ
ここだ。
どんなに吹き飛ばされても離さなかった火の魔石を口にくわえ、右手一本で素早くよじ登る。
これで、最後だ。
魔石を口に突っ込み、魔素で点火。
「全部、もってけええぇぇぇぇ!!!」
大爆発。
煙が巻き上がる。
俺とウルフはそれぞれ別の方向に吹き飛ばされる。
効果はあった。
一つ誤算があったとすれば、残った首が炎の首だったことだ。
火に対する耐性があったのだろう。
これが氷や毒の首なら、違った結果になっていたかもしれない。
煙が晴れると、ダメージを追ったケルベロスがこちらを睨んでいる。怒らせてしまったようだ。
こちらは満身創痍。
突進してくるのが見えるが、体は動かない。
もう、全部、使い切った。
後のことを考えずに注ぎ込んだら一撃だったのだ。
右腕も上がらない。
ケルベロスは俺を引き倒すと、そのまま村に向かって移動し始めた。
まずい。
(…ウルフ、いる、か?)
(オイラは、隣に、いるよ)
ケルベロスの相手を一手に引き受けていたのだ、さらにあの爆発。
ウルフも軽くない怪我を負っていた。
(俺を、乗せて、追ってくれ。 村が、危ないんだ)
「ワオォーン!」
遠吠えで応えてくれた。
ウルフの背に乗り、村は向かう。
村の広場では、カザンやアンナさんを含む数人の村人達が奮闘していた。
カザンは後方支援に達している。村人達との連携も習熟しているようだ。かつては王国の兵士達だったか。
しかし、拮抗していた関係が崩れ始める。
ケルベロスの猛攻に前衛が崩れ始めた。
「…守! お前、ボロボロじゃねぇか!
生きてるのか!?」
重傷者に向かって、その言葉はないだろう。
「死ん、では、いない。死にそうだ、が、な」
うまく喋れず、言葉が途切れる。
「茜はマリアと避難しているところだ。ここには重度の怪我人しか残っていねぇ。時間を稼いだら俺らも逃げるぞ」
カザンはそう言っているが、俺にはこいつが逃がしてくれるとは思えない。
地獄の門番と言われていた怪物だ。
どこまでも追ってくるだろう。
こいつはここで仕留めなきゃダメだ。
「こと、わる。 こいつは、俺の、獲物だ」
今、俺はちゃんと笑えてるだろうか。
ここで、『ドーピング薬』を取り出し、口で開ける。もう指に力が入らない。
行商ビクトルさんから購入していた薬だ。本来は命と引き換えに、力を得るものだ。
広場に駆けつける前に、家にしまっていた薬を持ち出してきた。
覚悟を決め、一気に飲み干す。
感覚が戻ってきた。
体から力が湧いてくる。
左腕はダメだが、右腕は動く。
十分だ。
周りから悲鳴や歓声が入り混じる。
満員御礼、観客もたくさん。
さぁ、最終ラウンド開始だ。
片手でファイティングポーズを取る、俺は不死身のボクサー。
それはまるで一つのリングのようだった。
広場を村人達が円形状に囲み、中心には俺とケルベロス。
固唾を飲んで見守るときもあれば、腹から声を出し、声援を送る。
ケルベロスの爪が空を切る。
俺の拳が前足に阻まれる。
この瞬間だけは、互角の戦いが繰り広げられていた。
薬の効果が切れる前に倒さないと。
左手は使えない。なんとか避けているが、左側から来る攻撃に遅れがちになる。逆にこれをエサにして…
あえて、反応を遅らせ、大振りになったところを狙う。よし、うまく懐に潜り込めた。
俺の渾身の一撃を心臓のあたりに叩き込む。
ケルベロスの動きが一瞬止まった。
どうやら効いたようだ。
「守さん!!」
突然、マリアさんの声が聞こえた。
どうしてここに?避難したんじゃないのか?
声の方を振り向くと、茜と息子君はいない。誰かに預けてきたのか。
ケルベロスは俺の視線の先を見ると、マリアさんに向かって突進し始めた。
まずい!
咄嗟に、マリアさんの前まで駆け寄り、体を滑り込ませる。
ーーザシュ
あれ?
腹からケルベロスの爪が伸びて見える。
それが一気に引き抜かれると、
大量の血が噴き出る。
糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
なんだこれ、温かい。
ぬるま湯に使ってるみたいだ。
あぁ、俺の血か。
だんだん眠くなってきた。
「…さん。 まも、る、さん!」
マリアさんの声が聞こえる。
大丈夫ですか? 怪我はありませんでしたか?
おかしい、声が出ない。
ああ、そうか、俺は死ぬのか。
マリアさんを守って死ぬのも悪くない。
やり残した事はないか…?
茜…。そうだ、茜だ!
俺が死んだら、茜はこの世界に一人の肉親もいなくなってしまう。そんなの寂しすぎる。
彩夏と約束したじゃないか!ちゃんと育てるって。
血が足りない…。
傷口を塞がないと、立ち上がれない。
ああ、神様いるなら助けてくれ、どうか。
ーー血を、傷を。どうか。
ーーー茜を害する悪を打ち滅ぼす力を、みんなを護る力を、どうか…。
ーーその願い、聞き届けました。
発現条件を満たしたため、『血液操作』のタレントが解放されます。
頭に声が響く。
どこかで聞いたことがあるような声だ。
それよりも、タレントが解放…?
俺の体から白い光が漏れ出す。
「覚醒だ! お前、二つ持ちだったのか!!」
カザンが叫ぶ。
なるほど、二つある場合もあるのか。
この光はウルフの時にも見た。
なんらかの理由で、後天的にタレントが発現することを覚醒と呼ぶのだろう。
血液操作。
俺、血とか苦手なんだけどなぁ。
とりあえず今この流れ出ている血を体に戻せるか試してみよう。
体に血が戻るのを感じる。
魔素を循環させる感覚に似ている。
体内の血液を知覚し、操作してみる。
左腕が上がる。
怪我をして動かなかったはずの左腕が血液を媒介にすれば、動かせるぞ。動かすというより、操作してる感じだが。
傷口は血を固めて塞ぐことに成功した。
血には凝固作用がある。
体外で血を固めれば、武器にもなり得るんじゃないか?
イマイチかと思ったが、いいじゃないか血液操作。
汎用的で、実験のしがいがある。
集中しろ。
今は目の前の敵だ。
※
ケルベロスは生まれて初めて恐怖を感じていた。
多様なブレスを吐き、鋭い爪を持つ巨大な体躯。
強いという自覚があった。
小さな体で、何度倒しても立ち上がる。ツガイを狙って、今度は確実に致命傷を与えたはずだった。
それでも血溜まりの中からゆっくりと立ち上がり、こちらを見て笑う様は恐怖以外の何者でもなかった。
「血の領域」
ケルベロスの周りを赤い霧が漂う。
鉄の匂い、武器の匂いだ。
「…ツェペシュ」
小さき者が、両腕を交差すると、鋭い痛みが走る。
前足から、赤い槍のようなものが生えている。
いつ、刺されたのだ?
小さき者が驚いている。
自分がやったことのではないのか。
「バオォォォォン!!!」
自らを鼓舞するためか、相手を威嚇するためかは分からない。
が、それがケルベロスが最後に発した声となった。
「ツェペシュ・フルーレ!」
ケルベロスの体が赤い槍に串刺しにされる。
死の淵でケルベロスが見たのは、拳を掲げ、勝利を宣言する、小さき者の姿だった。
※
守は、拳を上げたまま後ろに倒れる。
もう限界、お休みなさい…。
そのまま意識を手放す、守であった。
影から先の戦闘を観察する仮面の男。
「…なんということだ。クロノ様に報告せねば…」
そう呟くと、ひっそりと姿を消した。
異世界日記 370日目
長い一日だった。
茜の一歳のお祝いに、ケルベロス襲来、タレントの覚醒。もうお腹いっぱいです!
お休みなさい。生きてて良かった〜。




