旧納代村駅
私が高校の頃に体験した話です。
私の住んでいた村は超のつくド田舎でした。カラオケやゲームセンターどころか、コンビニもありません。最寄り駅に停まる電車も、1時間に1本というありさまでした。
そんな土地ですから、学校も電車で1時間の町まで通っていました。特に冬場だと、帰りの電車の窓から見える景色は真っ暗です。
おまけにローカル線のワンマン電車なものですから、時間帯によっては、乗客が私だけになる日も珍しくありません。
あの日も、乗客は私一人の夜でした。
いつも電車に乗っている間は参考書を読んでいる私ですが、その日は学校に忘れてしまったので、ぼんやりと外の景色を眺めていました。
景色といっても暗闇が続くばかりで、面白いことは何もありません。勉強の疲れも相まって、うとうとしかけた頃です。
通過する駅のホームに、一人で立っている女の子の姿が見えました。
あれ、と私は思いました。私の乗る電車は各駅停車です。素通りする駅はありません。過疎化の波で廃駅になった駅はいくつかあります。が、それなら利用客がいるはずありません。
車内に掲示してある黄ばんだ路線図に目をやると、廃止となったいくつかの駅には名前の上から紙が貼られています。
旧納代村駅。
さっき通過した駅の名前が透けて見えました。
家についてから父に尋ねると、旧納代村駅は確かに存在した駅とのことでした。しかし市町村の合併吸収が相次いだころには廃止になったとのこと。父がまだ社会人になりたてのころ。もう20年も前の話です。
「あの駅って、まだ誰かが使うことはあるの?」
私が尋ねると、父はビールジョッキを片手に笑い飛ばしました。
それはありえない。だって旧納代村はもうダムの底に沈んでるんだから、と。
見間違いだったのかな。最初はそう思いました。しかし、次の日も、その次の日も、女の子はそこに立っているのです。
いつも同じ服装で。同じ場所に。
他に2・3人の乗客がいることもありましたが、誰も気づいている様子がありません。
――もしかしたら、この世の存在ではないのかもしれない。
想像したら現実になるような気がして、私は乗車中になるべく外を見ないことに決めました。
それから一週間後の夜のことです。
忘れもしません。その日も、車内に他の乗客の姿はありませんでした。
電車に乗っている時間がやけに長く感じたのを覚えています。旧納代村駅が近づくにつれ、私は窓の外を気にしないようにと参考書を読みふけっていました。
しかし、気にしないようにすると逆に気になるもので、やはりあの子のことが頭から離れません。
あの子はあそこで何をしているんだろう。
じっと前を見つめて、いったい何を見ているの?
意識したわけではありませんでした。本当に何となく、私は顔を上げました。
私にとっては、タイミングが悪かったとしか言いようがありません。
ガラス一枚を隔てた向こう側には女の子が立っていて。
血走った目で私を見つめていたのです。
私は声にならない叫びをあげました。カバンから携帯を引っ張り出し、受話器のマークを連打しました。ここはド田舎のローカル線。電波など入らないことも忘れて、とにかく誰かに助けを求めようとしました。
もちろん誰にもつながるはずはなく、私は「何……何なの」とか言いながら誰もいない車内をぐるぐると歩き回りました。
すると今度は手の中で握りしめた携帯が震えました。電波が入ったんだ。誰かが連絡をくれたんだ。そう思いました。
二つ折りの携帯を開くと画面には知らない番号が表示されていました。
それも4-××みたいな、明らかにおかしい桁数。
ボタンを押す指が固まり、全身に汗が吹き出しました。携帯は7、8回震えたかと思うと
「留守番電話に切り替えます。メッセージをどうぞ」
と言って、ピー、と甲高い音を鳴らしました。
受話器の向こうから聞こえたのは、かたん、かたん、という電車の音。
きたよ。
きたよ。
そんな声が、スピーカーと、耳元から同時に聞こえました。
そこから先はもうハッキリ覚えていません。車掌から連絡を受けたうちの両親が車で迎えに来ると、半狂乱にわめく私を駅員さんがなだめていて、家に着くまでずっと私は「こないで、こないで!」と繰り返していたそうです。
落ち着いてから、何があったのかと私は両親から尋ねられました。しかし当時の私はろくに事情も話しませんでした。
話そうとすると思い出すのです。あの女の子の目。あの女の子の声を。
ただ「もう電車に乗りたくない」とだけ言って、それから卒業まで私は両親の送り迎えで高校に通いました。
それから時間がたって、今でこそあの夜のことが話せるようになりました。
夢でも見たんじゃないかって思いますよね? 話を聞いたみんながそう言います。
でもね。私、あの日から二つのことがトラウマになっているんですよ。
一つは一人で電車に乗ること。
そしてもう一つは……携帯の着信履歴を見返すこと。
だってあの携帯には、まだあの日の着歴が残っているんですもの。