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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第一章:挑みし者たち

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69. 騒動のあと /その②



 ─ 3 ──────


 元から部屋にいた保安隊隊員は一人が扉横、一人が机を挟み裁判官のすぐ前に立つ。ファルハルドを連れてきた二人の保安隊隊員たちは、裁判官へ敬礼をしたあとファルハルドのすぐ傍、左右に別れ立つ。


 壁際に備え付けられた書記係用の広い机の上には、全ての記録を残せるよう多くの木札と葦筆カラムジョーハルを入れた小壺が準備されている。書記係は椅子に腰掛け、葦筆を手に取りいつでも記録を始められるように用意している。

 


 そして、扉を開けた正面、立ったままのファルハルドと向かい合う場所。その一段高い場所に豊かな顎髭を蓄え、重厚な法服をまとった裁判官が座っている。


 裁判官は厳めしい顔付きでファルハルドを見下ろしている。弛みなく整えられた髪型からも、皺一つない服装からも、謹厳実直が人柄がうかがえる。



 裁判官はおもむろに口を開く。


「これより、去るセダの月二十二日(下のヴァードの日)に南地区、万華通りで起こった一連の騒動についての聴取を始める。まず、其の方の名を述べよ」

「ファルハルド」


 ファルハルドは問われたので言下に答えた。が、裁判官の眉間に皺が寄った。なにかが気に入らないらしい。

 横に立つ保安隊隊員が慌ててファルハルドを軽くつつくが、ファルハルドには意味が伝わらない。ファルハルドは隊員の顔を見詰める。その様子を見た裁判官が溜息をつき、改めて問い直した。


「其の方はイルトゥーラン出身、現在この街の西地区に住まう迷宮挑戦者、ファルハルドで相違ないか」

「ああ」


 なぜか、今度は横に立つ隊員が溜息をつく。ファルハルドは再度隊員の顔を見詰める。隊員は咳払いし、前を見ろと仕草で示す。


 裁判官は少し苛々した様子でファルハルドに覚えていることを述べよ告げるが、ファルハルドに話せることは少ない。昨日アッバスに話したことと変わりはない。

 裁判官はしばらくファルハルドを見詰め、一言そうかと呟いた。



「では、いくつか確認を行う。嘘偽りなく答えよ」


 裁判官はファルハルドに戦った相手のことを尋ねるが、ファルハルドはその相手をろくに覚えていない。尋ねられたところで答えようがない。

 そのまま、知らないと答えるとますます裁判官の額の皺が深まった。こんなに顔をしかめて疲れないのかとファルハルドは妙なところで心配する。


 裁判官は苛々した様子のまま、手元にある木札を確認していく。


「其の方は夏至祭の日、万華通りにある白華館に於いて同じ迷宮挑戦者であるダレルと言い争いを起こしているな」


 問われ、ファルハルドは一瞬誰だと考えたが夏至祭の日に言い争いをした相手ならば一人しかいない。


「ああ。そのダレルというのが頭の禿げ上がった体格のよい男であるなら合っている。名までは知らなかったが、なにやら随分と酔っ払った者がよくわからないことをわめいていたな」


 さほど興味もなさそうに答えたが、問われやっとファルハルドのなかで意識を失う寸前の記憶と繋がった。


「そうか。あの時の男がレイラを斬ったのか。しかし、なぜだ」

「其の方は自分が揉めた相手のことも忘れていたのか」


 書記係まで含め、ファルハルド以外の室内にいる全員が疲れきったように溜息をつき、頭を振った。裁判官に至ってはなにやら頭が痛そうだ。


「では、なぜ言い争いになったかは覚えていないと言うことか」

「覚えているが、理由はわからない。突然、意味のわからないことを叫んでこられたからな」


「次にダレルと会ったのは八の月二十二日か。それまでに、たとえば迷宮内などでも出会うことはなかったのか」


 ファルハルドは少し考え、なかったと答えた。



「それでは当日についてだ。其の方は白華館を訪れ、その場で白華館の娼婦、レイラがそのダレルに斬られる姿を見、ダレルに襲いかかった。相違ないか」


「レイラが斬られた姿を見たのは覚えている。その後のことは覚えていない」


 ファルハルド本人は気付いていないが、この返答の際、ファルハルドのまとう雰囲気が少し危うさを漂わせたものに変わっていた。室内の保安隊隊員たちが身を固くする。


「集めた証言によれば、其の方がダレルの首を捻じ折り、さらにダレルの仲間たちと斬り合ったとなっている。それでも覚えていないのか」


 ファルハルドは考え込むが、やはり思い出せない。


「済まないが、やはりわからない。さっきも言ったとおり記憶が途切れている」


「其の方は止めに入った仲間や他の迷宮挑戦者たちとも争ったが、それもやはり覚えていないのか」

「俺は仲間たちとも剣を交えたのか?」


 裁判官の言葉にファルハルドは愕然とした。その焦り顔色を悪くした様子を見、裁判官はファルハルドの覚えていないという答えに嘘はないと判断し、質問を先へと進めた。


「其の方はダレル及びその仲間、さらには止めに入った自らの仲間たちと剣を振るい争った。

 さて、そのあとだ。一旦戦いが終了しかかった時、急に割って入った人物が其の方を剣で突き刺した。無関係の者が突然割り込み、剣で刺すなど考えられぬ。

 その者はいったい何者なのだ。其の方はダレル以外にも誰かしらと揉め事を起こしていたのか。命を狙われるほど人に恨まれる覚えがあるのか」


 これまでほとんどの質問にすぐに答えてきたファルハルドがこの質問には言い淀んだ。

 ファルハルドは迷う。イルトゥーランからの追手のことを話すべきか。だが、それを話せば必然的に国王殺しや自分の母のことも話さざるを得ない。それは吹聴するような話題ではない。


 逡巡するファルハルドの様子を見、裁判官は再度強く問い質す。


「嘘偽りなく述べよ」


 隠し事は嘘偽りではない。答えなかったところで文句を言われる筋合いはない。とはいえ、話すまでこの状態から解放されないのは予想できる。

 それでもファルハルドは迷う。だが、上手く誤魔化す話など思いつかない。元々ファルハルドは作り話のたぐいは苦手だ。考えるのも面倒になり、そのまま話すことにした。


「……という訳だ。俺の息の根を止めるまで諦めることはないだろう」

「けしからん!」


 裁判官は激高し、拳で机を叩いた。場の空気が凍る。


 だが、ファルハルドは平然としたものだった。けしからんと責められたところで今更だ。ファルハルドはベルク王の追手から逃げて、逃げて、いずれどこかで殺される。その日が来るまでは意地汚く生き残る。元々、考えていたのはそれだった。


 今日まで生き延びたことこそ奇跡だろう。パサルナーンの法により裁かれるならそれもよい。イルトゥーランの者の手にかかるより、はるかにましだ。


 ファルハルドはそう思いながらも、その胸にはジャンダルの、バーバクの、ハーミの、モラードの、ジーラの、エルナーズの、今まで出会ってきた人々の、なによりレイラの顔がちらついていた。胸がちくりと痛み、ぎゅっと締めつけられる。


 これが未練、なのか。ファルハルドは自分の頭に浮かんだ考えに驚く。まさか、自分が人に対して、この世に対して未練を持つようになるなど、と。



 ファルハルドは一人考えを進めていたが、この時裁判官が抑えきれぬ胸の内を吐き出すように大声を上げた。


「許せぬ。それではイルトゥーランはパサルナーンの免罪特権を無視し、自治権を侵したということではないか」


 ファルハルドの自問が止む。裁判官の意外過ぎる発言に思考が全て持って行かれた。

 今、裁判官はなんと言ったのか? ファルハルドは自分が聞いたことが信じられず、目を見開き裁判官をまじまじと見詰めた。


「其の方も、其の方だ。そのような重大事があったならすぐさま届け出なければならぬ。なにをしておるのだ」


 他国のとは言え、国王殺しという大罪を耳にしながら、パサルナーンの免罪特権がないがしろにされたことこそを気にしている。

 自治都市パサルナーンの裁判官として、法にたずさわる立場からの原則論としては正しいが、常識的な反応としてはいささかずれていると言わざるを得ない。


 ファルハルドはぽかんとしてしまう。しばし思考が停止し、知らず笑い声を零してしまった。

 なにが可笑しいのだと裁判官はいきり立つが、その反応がますます笑いを誘う。釣られ、保安隊隊員たちや書記までが笑いだす。



 よくよく見てみれば裁判官は意外に若い。髭や法服、厳めしい顔付きでそれなりの年齢に見えたが、おそらくは三十を越えたかどうかだろう。


 パサルナーンの街に貴族はいない。しかし人の世の倣いとして、当然身分の高低は存在し、なかには名家とされる一族もいる。代々、街の政務を執る議員を輩出してきた家系のことだ。


 そしてパサルナーンではそれらの一族に属する若者が政務に携わる道を選ぶ場合には、その政治家人生の振り出しとして、必ず最初にこの街の庶民たちの生活に関わる按撫官の役職を経験させる。


 按撫官は祭りの手配を担当したり、街の治安維持などに責任を持つ。庶民の健やかな生活を維持し、守るのがその役目だ。

 この裁判官としての役職も按撫官の職務の一環として行われる。


 こうして、名家の若者たちが下々の生の声を聞き、目にすることで、将来街の舵取りを行う立場に就いた際、その政務が庶民の生活から懸け離れたものとならぬよう、人々の生活感覚をその身に沁み込まさせるのだ。


 そして、この裁判官もこの街に責任の持つ家系の一員として、自らの街に誇りを持ち、大切に思う気持ちに溢れているという訳だ。少々溢れ過ぎて、おかしなことになっているが。




 裁判官はしばらくぶつぶつ零した後に、顔を引き締める。室内の雰囲気もまた引き締まる。


「一つ確認する。ファルハルド、其の方はイルトゥーランの王子としての立場を主張するか」


 平民と貴族は適用される法が違う。貴族のいないパサルナーンに於いても、庶民とやんごとない身分の者では当然言い渡される沙汰は変わってくる。

 たとえば、庶民では親殺しなど許される筈もない。だが高貴な身であるならば、権力を悪用する無道の親を討つことは子としての聖なる責務とされる。


 今回の一件も、ファルハルドが自分は王子であると言い立てるなら、おそらくは無罪、せいぜいが言い訳程度の罰金で済むだろう。


 だが、ファルハルドの返答は最初から決まっている。禍々しいとさえ言える雰囲気を漂わせ、強い言葉で吐き捨てる。


「俺の親は母のみ。父などいない」


 デミル四世が父親であることを完全否定する。当然、王子であると主張する筈もない。


 裁判官はファルハルドの憎悪の籠もった目を見、そうかと頷いた。

 もっとも、ファルハルドが否定したところで、デミル四世の子であることはあとでパサルナーンの上層部に報告されるだろう。今後、ファルハルドを取り巻く環境になにかしらの変化が起こるかもしれない。それは今は誰にもわからないこれからの話だ。



 裁判官は姿勢を正し、重々しく告げる。


「それではこれより沙汰を言い渡す」


 裁判官の告げるその内容により、ファルハルドの、そして仲間たちのこれからが変わる。

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