68. 騒動のあと /その①
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あの日の騒動から十数日後、ファルハルドは昏睡状態から目を覚ました。
ここはどこだ。目を開いたファルハルドは不審を覚えた。目に映る景色は見慣れない場所だった。
寝床は拠点で使っているのと同じ、寝台に藁を詰めた袋を敷き上に布を掛けたもの。室内には簡素な丸い机と二脚の椅子がある。それ以外に家具は見当たらない。
拠点の自室には机や椅子はなく、代わりに装備を仕舞うための木箱があるが、ここまではさしたる違いはない。
大きく違う点は二つ。
鎧戸が閉められている窓には鉄格子が嵌められ、ファルハルドの両手首は縄で堅く縛られている。
手首を縛る縄は一本の縄で、寝台の下を通り両端でファルハルドの両手首を繋いでいる。多少は腕を動かす余裕もあるが寝返りを打てるほどの長さはない。
意識を失う前のことを思い出す。レイラが斬られる姿を見た。その後のことははっきりとしない。
次に思い出せるのはレイラ?に名を呼ばれた気がする。あとは、敵?だろうか? なぜ敵だと思うのか思い出せないが、敵らしき人物の喉をジャンダルが掻き切る姿。あれはおそらく街中のこと。
その後のことはまた思い出せない。
そして、ジャンダルが喉を掻き切っていた男はレイラを斬った人物とは違うようにも思うが、その点も判然としない。
思い出せる限りの記憶と現状が上手く結びつかない。
ファルハルドは考える。
斬られた筈のレイラに声を掛けられたということは、レイラは助かった、のか?
だが、あれは命も危ういほどの深手に思えた。ならば、声を掛けられたというのは勘違いか?
いや、そもそもレイラが斬られたというのが、間違いだろうか?
いや、あの惨劇ははっきりと目に焼きついている。記憶違いだとは思えない。
ならば、なにがどうなっているのか。やはり、わからない。
現状、縛られていることを考えると敵の仲間に捕らえられたのか。
いや。ファルハルドにとって、敵と言って思い浮かぶのはイルトゥーランの暗殺部隊。奴らなら、縛っておくなどという甘いことをする筈がない。必ず、命を奪う。
ならば、別の敵? といって、それ以外に敵対する相手など思い浮かばない。だとすれば、敵に捕らわれた訳ではないのか?
であるならば、街中で揉め事が起こり、それに巻き込まれ? もしや、揉め事を起こした? 揉め事に関連して、衛兵にでも逮捕されたのか?
なぜ、揉め事が起こり縛られるのか、やはりわからないが、揉め事の内容によっては充分あり得る。ただ、それならば逮捕した者を置いておく場所としてはこの部屋は快適過ぎる気がする。
となると、揉め事が起こりファルハルドが怪我を負い、医者の所にでも担ぎ込まれたか?
確かに身体があちこちが痛み、少し動くだけで全身の関節にぴりっとした痛みが走る。刃傷らしき傷もある。厚い布で覆われ見ることはできないが、両肩と右手の傷が酷いようだ。特に左腕は全く動かすことができない。
どうやら、手厚い手当がなされているようだ。縛られているのは治療の痛みでファルハルドが暴れるのを防ぐためだろうか?
つらつらとファルハルドが考え込んでいるうちに、目を覚ましたことに気付いたのか、閉じられている扉の向こうで人の動く気配があった。
しばらく間があり、扉が開かれる。三人の人物が入ってきた。姿を見せた人物は街の衛兵だった。ただし、ファルハルドが見慣れた衛兵たちと比べ、なにやら身に着けている武具や衣服が少し華やかだ。
ファルハルドは苦労しながら身をずらし、寝台の上で上半身を起こした。
三人の内、一人は扉のすぐ横に立ち、一人は部屋にある椅子を運びファルハルドの寝台の横に置いた。そして残る一人、兜に羽根飾りを付け、身に着けている革鎧に縁取りがされている人物が椅子に腰掛ける。椅子の用意をした者はファルハルドと椅子に座った人物の間、もしファルハルドがなにかすればすぐに止められる位置に立つ。
羽根飾りの人物が口を開いた。
「私は保安隊、第八小隊小隊長アッバスである。意識が戻ったようでなによりだ。貴殿は倒れる前のことをどこまで覚えておられる?」
保安隊がなにかははっきりとはわからないが、言葉の響きや格好から考えて衛兵たちと似た役割の者たちなのだろう。
ファルハルドは、これはやはりなにか問題が起こって勾留されているのかと考えながら、思い出せる限りのことを話す。もっとも思い出せることはほとんどないのだが。
アッバスは頷きながら話を聞き、扉横に立つ隊員がファルハルドの発言を木札に書き留めていく。
「なるほど。では、少し貴殿の状況を伝えておこう」
アッバスによれば、ファルハルドは街中で騒動を起こした容疑により逮捕された。ファルハルドが意識を失っていた間に保安隊は騒動の経緯についての取り調べを行った。
保安隊が集めた証拠、資料はすでに法務官に提出され、明日裁判官より沙汰が言い渡されることになっている。ただし、ファルハルドが意識を取り戻したことにより、沙汰が言い渡される前に一度裁判官の前で証言をする機会を与えられる。
「一つ教えてもらいたい。レイラは、斬られた白華館の女性はどうなったろうか」
アッバスは目元を緩め、穏やかな目でファルハルドを見る。ただし、部下の手前、職務規定から外れることはできない。
「貴殿は明日、裁判官殿に証言することになっている。その前に余計なことを教えることはできない。
ただ、そうだな。自分の状況がなにもわからないのでは貴殿も混乱することだろう。代わりにはならぬだろうが、貴殿を逮捕した容疑についてならもう少し詳しく話せるか。
貴殿は街中において他の迷宮挑戦者と斬り合った。その際、娼館の中で斬り合い、さらに大勢の人々で込み合う大通りで斬り合った。
他の迷宮挑戦者と斬り合ったこと、街中で騒乱を起こしたこと、さらに多くの住民たちを危険に曝したこと。以上の容疑により逮捕した」
「そうか……」
ファルハルドは記憶を辿るように考え込んでいる。
「さて、これ以上は縛っておく必要はないな」
ファルハルドは軽く目を見張り、頭を上げる。
「よいのか。逮捕者を自由にしても」
「言葉を交わし、貴殿が充分に理性的な人間であることはわかった。それに有力者からの口添えもあるのでな」
「有力者?」
アッバスは少し目を細め、笑う。
「貴殿は人の縁に恵まれているな。縁と言えば、貴殿の仲間たちも面会を希望している。だが、沙汰が言い渡されるまでは許可できぬ」
アッバスは扉の前に立つ隊員に目を向け、軽く頷き合図を送る。隊員は手に持つ木札や筆記具を仕舞い、ファルハルドの両手首を縛る縄を解いていく。
「それでは今日はこれまでだ。明日、裁判官殿を訪ねるにあたって身形を整えてもらう。それまでに身を休め、できる限りなにがあったか思い出せ。なにか必要があれば扉の前に部下を立たせているので声を掛ければいい」
アッバスたちは部屋を出て行き、ファルハルドは一人なにがあったかを思い出そうとする。
─ 2 ──────
次の日。二の刻の鐘と共に、保安隊の隊員二人とファルハルドの身支度を行う女性が一人、ファルハルドの下を訪れた。現状、左腕が全く動かないため、身支度を手伝ってもらえるのはとても助かった。
ぬるま湯で身体を拭い、髪を整える。渡された衣服は粗末な生成りの布を縫った、簡素だが清潔な服だった。
前後を隊員に挟まれ、部屋を出る。痛む身体を動かし、ゆっくりと廊下を進んでいく。
途中、ファルハルドは何度かなにもないところで躓きそうになった。
廊下は少し狭く、所々に槍を携えた隊員たちが立っている。ファルハルドが寝泊まりしている部屋は二階にあった。階段を降り、一階へ。そのまま分厚い扉を開ければ、中庭に出る。
中庭はなかなか広く、多くの草花が植えられ、四阿や噴水もある。居心地の良さそうな場所だが、単にそれだけの場所ではない。
中庭は四方を建物に囲まれ、通りに出るためには保安隊の控え室を通り抜けるしかない。ファルハルドは、なるほど、厳重なものだと納得した。
ファルハルドは手枷を嵌められ、檻車に乗せられる。
パサルナーンの街中では荷馬車、馬車の類の使用は制限されている。街中では基本的に人が曳く小型の荷車のみが許され、それ以外は全て、一つ一つ許可を取らねば使用できない。
ただし、議員や役人たちが利用するものに関しては最初から使用が許可されている。保安隊が使う檻車や荷馬車もこれに当たる。
檻車に揺られながら、ファルハルドは見るとはなしに通りを眺める。今日もパサルナーンの街には大勢の人々が出歩いている。
ファルハルドが騒乱を起こしたというが、こうして眺める分にはこれといって影響は見られない。騒乱といってもそれほどのものではなかったのだろうか。ファルハルドは少し安堵した。
しばらく進み、通りに並ぶ建物の特徴から今いる場所が東地区だと気付いた。檻車は中心区画近くを通り過ぎ、北地区に入る。北地区の中央付近には政庁関連の建物が集まっている。その一角に辿り着く。
辿り着いた建物は周囲を高く分厚い塀に囲まれ、出入り口には保安隊隊員が歩哨として立っている。ファルハルドは保安隊隊員に連れられその建物内を進んでいく。
一つの部屋に辿り着く。重々しい音を立てながらゆっくりと扉が開かれる。連れて行かれた部屋には四人の人物がいた。
二人は警備を行う保安隊の隊員。一人は記録を残す書記係。そして、最後の一人が裁判官。今日、ファルハルドの運命を決める者。




