60. 対決 /その①
この物語には、残酷な描写ありのタグがついております。ご注意下さい。
─ 1 ──────
「レイラ!」
ファルハルドが叫ぶ。
禿男はゆるりと振り向いた。そこにはなんの表情も見られない。ただ、取り憑かれたような熱を帯びた眼差しだけがある。
無表情だったその顔が歪む。そこに浮かぶは嘲り。
そのあと起こったことは、バーバクたちでもはっきりとは認識できなかった。
ファルハルドの気配が変わった。
ファルハルドの姿が消えた。
ファルハルドが手に持つ木箱が床に落ち、音を立てた。
禿男になにかがまとわりついた。
禿男の首があり得ない角度に捻れた。
禿男が倒れた。
その隣にファルハルドが佇んでいた。
広間にいる誰もが呼吸を忘れ、沈黙する。いったいなにが起こったのか。誰もなにも理解できず、誰もなにも動けない。
何者かが悲鳴を上げた。
沈黙が破られる。
人々の頭が目の前で起こったことを理解し始める。
バーバクたちはやっと認識した。
レイラが禿男に斬られ、自らの内の激情に衝き動かされたファルハルドが禿男の首を捻折った。
やっと動き始めた頭は信じたくない現実を認識させた。
─ 2 ──────
ファルハルドの口から漏れ聞こえるは、泣き声とも哭き声とも区別のつかぬ聞く者の胸締めつける声。ファルハルドは震えながら倒れ伏すレイラに手を伸ばす。
ファルハルドの手がレイラに届くその直前、周りにいた禿男の仲間がファルハルドを罵り、腰に佩いたままの剣を抜いた。
ファルハルドが一切の予備動作なしに移動した。その身体はまるで糸で操られるかの如き歪な動きを見せた。
一足で禿男の仲間たちに迫る。
迅い。
バーバクたちが知るファルハルドより遥かに捷い。この速さは単に理性の箍が外れたというだけでは説明がつかない。
鮮血が舞う。ファルハルドは止まらない。一人斬り、二人斬る。ファルハルドは止まらない。三人目にその剣を振り下ろす。
バーバクが割って入った。小剣を抜き、ファルハルドと禿男の仲間の間に跳び込んだ。ファルハルドの剣を自らの剣で受け止める。
ハーミはレイラに駆け寄った。即座に治癒の祈りを唱える。
ジャンダルは呆然と立ち竦んでいた。ハーミが叱咤する。
「ジャンダル! 薬だ。傷口を押さえよ。急げ」
ジャンダルが慌てて駆け寄った。
バーバクは剣を撃ち合わせながら、ファルハルドに呼びかける。
「ファルハルド! 落ち着け! 戻ってこい!」
ファルハルドに反応はない。どこを見ているのかわからぬ目で、闇雲に剣を振るう。
だが、その剣は迅く、鋭い。急所を狙う動きは普段のままに。速度は普段以上。連撃の繋げ方は普段とまるで異なる。
ファルハルドの癖も実力もよく知る筈の、バーバクの予想をも上回る激しく容赦のない凄まじき攻撃。バーバクが押される。
バーバクの頭へ大振りに剣が振るわれる。軌道にバーバクが剣を翳す。
撃ち合う直前、軌道が変わる。またも予想外。がら空きの胸が狙われる。
バーバクはくらいつく。柄頭でファルハルドの剣の平を叩き、逸らした。
手強い。バーバクの背筋を冷たい汗が流れる。言葉は届かない。力で抑え込むしかない。だが、できるか。
手強い。それでも、バーバクが我を忘れた男になど負ける筈がない。
バーバクは脳内でファルハルドの実力の想定を二段上げる。頭を切り替えさえすれば、時間は掛かり苦戦したとしても、闇雲に暴れる男を斬り捨てることはできる。だが、その男は自分の仲間。
仲間を斬る? あり得ない。仲間を斬れる筈がない。
手強い。無事に取り押さえるのは難しい。
ファルハルドは疾く、動きは予想を超え、癖も剣筋も把握している筈のバーバクにも動きが読めない。
実力差はわずか。わずかにバーバクが上回っているに過ぎない。無事に取り押さえられるほどの圧倒的な差はない。
手強い。バーバクは撃ち合いながら苦悩する。どうする。このままでは……。
その時、放心しファルハルドとバーバクの斬り合いを呆然と見ていた禿男の仲間が、悲鳴を上げ通りへと逃げ出した。
「馬鹿野郎!」
バーバクは思わず罵倒する。あいつが表に出たら。
迷いのないファルハルドの反応はバーバクよりも速い。ファルハルドはバーバクを捨て置き、禿男の仲間を追いかけた。
万華通りは多くの群衆で犇めいている。
焦る禿男の仲間は犇めく群衆を無理やり掻き分け、強引に進む。群衆は口々に罵り、責める。禿男の仲間には人々を気に掛ける余裕などない。強引に分け入っていく。
そこに禿男の仲間を追いかけ、ファルハルドが剣を翳し、躍り込んだ。禿男の仲間は必死に避ける。
ファルハルドは禿男の仲間だけを狙い、幸運にも通りにいた人々が斬られはしなかった。しかし、人々の眼前を血に濡れた真剣が通り過ぎ、頭上を血に塗れた刃が掠める。
人々は叫び、慌てふためいた。ある者は腰を抜かしへたり込み、ある者は他の者を押しのけ二人から逃れようとする。
人々は押し合い圧し合いぶつかり合う。立ち塞がる者は突き飛ばされ、転んだ者は他の者に踏みつけられた。
ファルハルドたちが暴れる場所を中心に混乱が広がっていく。次第に万華通りが無秩序に呑まれていく。
ついに禿男の仲間が追い詰められる。ファルハルドに逃げ道を塞がれ、もはや足掻く気力もなく立ち尽くす。
逃げ惑う群衆に邪魔され、バーバクは未だファルハルドたちの下に辿り着けない。
ファルハルドがゆるゆると剣を振り上げる。振り上げられた剣が頂点に達し、止まる。
禿男の仲間は完全に気を呑まれている。抵抗する気力もなく、青褪めた顔で歯の根も合わず震えることしかできない。
そして、剣は無情に振り下ろされた。
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