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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第一章:挑みし者たち

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57. 夏至祭 /その②



 ─ 3 ──────


「おう、早いな」


 魚の丸焼きにかぶりついていたバーバクが、広間に帰ってきたファルハルドを見かけ声を掛ける。

 ファルハルドは目を伏せたまま、ああだか、ううだか、よくわからない返事を返した。


 バーバクたちは互いに目を合わせ、忍び笑いを零す。が、心優しく、それ以上つっこんだりはしなかった。


「それじゃあ、どっか旨いもんでも食いに行くか」

「よいのう」

「賛成」


 一行が広間を出て行こうとしたところで、どよめきが起こる。なんだと振り返れば、レイラが広間に姿を見せていた。



 昼間に踊った高級娼婦がこんな場に姿を見せるなど異例。かつて一度もなかったことだ。広間に詰めていた人々は響めきを上げたあとは息を呑み、しわぶき一つ上げずレイラを目で追う。


 セレスティンと共に談笑していた後援者たちも目を見開き驚いている。

 レイラはこの白華館のなかでも少々特殊な立ち位置にいる。館の主であるセレスティンでも彼女が本気で嫌がることは無理強いすることはできない。


 後援者になれるほどの財力がある者たちでも、レイラに袖にされた者もけんもほろろに追い返された者も大勢いる。レイラの気を惹く難しさは彼らこそが身に染みて知っている。


 人々の様子を気に掛けることなく、レイラはセレスティンに少し頭を下げファルハルドの下に足を運ぶ。ファルハルドに近づき、一言、お見送りいたしますと告げた。



 人々は一層驚いた。まさかこの日に高級娼婦がわざわざ一人の人物を表まで見送るなんて。

 しかもその相手は特に金を持ってそうでも、特に英雄の片鱗を感じさせる訳でもない。十把一絡げの、なんの変哲もないただの挑戦者。


 確かに顔の造作はいい。十人に訊けば、まず九人までは端正な顔立ちだと答えるだろう。

 だが表情はなく、眼差しは暗い。まるで人形のようで、人としての魅力は乏しい。その程度の者なら掃いて捨てるほどいる。


 その上、一目見てわかるように忌み子でもある。

 各地から迷宮目指して人が集まるパサルナーンの街は、他の地域よりも忌み子を見かける割合は高く、比較的忌避感は薄い。

 それでも、関係を結ぶ相手として選ぶとなると躊躇ためらう者のほうが多いだろう。


 なのに、最高級娼婦であるレイラが特別な親しみを見せる相手は、その忌み子。



 いったいなぜ。人々は自分の目で見、耳で聞いたことが信じられない。


 広間中の注目が集まるなか、ファルハルドは一言、ああと返すだけだった。

 バーバクたちがそこはもっと言い方がと頭の痛そうな顔になった時、広間を引き裂く怒号が鳴り響いた。




 ─ 4 ──────


 怒号を上げたのは頭の禿げあがったがたいのいい挑戦者らしき男。かなり呑んでいるようで、その頭の先まで真っ赤になっている。


「おいおいおい。なんでそいつだけ特別扱いなんだよ。おかしいだろ」


 内容は単なる言いがかり。だが、それは広間中の人々の気持ちの代弁でもあった。人々は声こそ上げないものの、禿男に同意するようにファルハルドに面白くなさそうな目を向ける。


 ファルハルドのまとう空気が変わる。つい先ほどまではどこか浮ついた頼りなげな様子だったのが、今では迷宮で戦う時と同じ戦士の気配をまとっている。

 呼応するように禿男も怒気をより険悪なものに変える。


 二人の間にいる人々は真っ青な顔でその場所から離れていく。二人の間には誰もおらず、遮るものはなにもない。


 今日はあまりに多くの人が広間に詰めかけていることから、いつものように娼館で武器を預かってはいない。各々がそのまま身に付けている。ファルハルドは奥に案内される際、一度は預けたが広間に戻って来た時に返されている。


 禿男が興奮そのままに腰の小剣に手を伸ばそうとした時、レイラの涼やかな声が響いた。


「あらあら。お客様、どうされました。なにがそんなにお腹立ちなのですか。ここは皆様が楽しく過ごす場。ましてや、今日はめでたき晴れの日ではございませんか。

 せっかく、こうして美酒佳肴をご用意させていただいているのです。さあさ、ご気分を直して、お客様も楽しくお過ごし下さいませ」


 レイラはファルハルドと禿男の間に立ち、笑顔のまま滔々(とうとう)と述べ、広間にいる店の娘に目で合図する。

 娘は酒を満たした杯を手に取り禿男に近寄ろうとしたが、禿男は乱雑に手を振り、近寄らせない。禿男は怒気をそのままレイラに向け、不機嫌に言い募る。


「煩ぇ。そいつだけ特別扱いすんのがおかしいっつってんだろが」


「まあ。店の女がご贔屓筋をお見送りするのは当たり前。不思議でもなんでもございませんでしょう」


「なにが当たり前だ。お前がわざわざ見送るなんて見たことねえ。どう見ても特別扱いだろうが」


 レイラは怪しく笑みを深め、皮肉っぽく唇を歪める。


「あらあら。ご贔屓の相手を特別扱いするのはそれこそ当たり前ではありませんか。嫉妬はお見苦しくありますよ」


「なにが嫉妬だ。身体を売るしかできねえ女が、めた口をくんじゃねえ」



 場の空気が変わった。

 禿男に同意するような目をしていた人々が、一斉に刺々しい目を禿男に向ける。周囲の変化に気付くことなく、禿男は一人(いき)り立つ。


 レイラは禿男を全く恐れない。笑顔のまま冷えきった目を向ける。


所詮しょせん、娼婦は売り物。興味があるのは身体だけ、金を積めば好きにできるただの肉、ですか。

 ですから、貴方様はあちらでもこちらでも袖にされるのですよ。


 こちらのお方は貴方様とは違う。私を娼婦としてではなく、一人の人として向き合うお人。

 遊び慣れたお方の余裕のある振る舞いとも違う。散々、欲を満たしてきたお方のもう充分だという飽きとも違う。


 ただ誠実に自分と同じ人間と認め、真摯にただの男と女として向き合って下さるるお方。私たちのような身の女にとって、それがどれほど心震える振るまいか。

 そのお方と貴方様で扱いが違う? 特別扱いをしている? ご冗談も大概になされませ」


 レイラの言を聞き、広間中の人々はある者は恥ずかしそうにうつむき、ある者は感動に胸打たれた表情となる。

 どちらの反応を見せた者も、その後の行動は変わらない。広場にいた人々はたちまち禿男を口々に非難し始める。


 かっとなった禿男は衝動的に腰の剣の柄を握った。

 ファルハルドが前に出て、その背にレイラを庇った時。剣を抜きかけた禿男の手を別の手が止めた。



 ファルハルドは目を細める。禿男の手を止めた人物に見覚えがあった。


「おいおい。言い争いだけでもみっともないってのに、剣まで抜いたらまずいだろよ」


 がたいのいい禿男よりさらに背が高く体格に優れた人物。ウルスと見紛うオスクの戦士。今は四層目に挑戦している。

 以前、訓練所で声を掛けてきた戦鎚せんついを使う挑戦者、カルスタンだった。


 禿男も力は強いが、カルスタンには敵わない。ましてやカルスタンは酔ってはおらず、対して禿男はかなり呑んでいる。抵抗するがそのまま引き摺られ、最後には娼館から蹴り出された。


「済まない。助かった」


 ファルハルドの礼を受け、カルスタンは気にしなくていいと手を振った。


「なーに、そちらのねえさんの気風きっぷの良さに惚れ込んじまったのさ。なかなか面白いものを見せてもらったよ」


 からっと笑う。


「つーか、どう見てもあんたらがやられる訳ねえもんな。感謝ってんなら、あの禿げこそ感謝するべきだろうよ」


 明るいカルスタンの口ぶりにファルハルドの表情も緩む。バーバクも笑いながら話しかける。


「これから旨いものを食いにいくところだ、一緒にどうだ。よかったら、奢らせてくれ」


 カルスタンにも連れがいる。訓練所でも見かけたアズール、デルツ、ペールが一緒にいた。全員を見回し、頷いた。


「せっかくだ。御馳走になるか。あとあれだ、そのうち姐さんに酌をしてもらっていいかい」


 レイラは笑顔でお待ちしておりますと応え、主のセレスティンも礼の言葉ともにいつでも歓迎いたしますと応えた。




 レイラやセレスティン、館中の女たちに見送られ、一同は街に繰り出した。


 その日は朝まで徹夜で騒いだ。

 普段は酒を口にしないファルハルドも杯を交わし、口数こそ少なかったもののカルスタンたちと楽しそうに喋っていた。デルツだけは最初少し目に険があったが、朝までには打ち解け親しくなった。


 挑戦者らしいと言うべきか、カルスタンはしつこく手合わせをしようと誘って来る。バーバクたちも最後には笑って同意した。いつにするのか日取りを合わせ、約束を取り付けた。

 ただ、その頃にはカルスタンはしたたかに酔っていた。かなりの確率で約束は忘れられることだろう。


 それでもその日は、気持ちのいい相手と気持ちのいい酒が呑めた、気持ちのいい日だった。



 一方、白華館から蹴り出された禿男は、一人裏路地に寝転んでいた。

 館から追い出される際に、散々殴られあちこちが痛む。酔いが回り、立つのもしんどい。塵芥ごみが散乱する路地に倒れ込み、いつまでもぶつぶつと文句を垂れていた。



 その禿男に近づく一つの影があった。

次話、「禍殃」に続く。

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