55. 三層目連戦 /その②
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「なんだか、迷宮って怪物の出方も外とだいぶ違うよね」
休息所で休みながら、ジャンダルがふと思いついたことを口にする。
「ん、なにがだ」
「いや、ほらさ。おいら、あちこち旅して、そりゃ、何度も闇の怪物にも襲われてるけどさ。獣人とか、悪獣とか、悪獣までいかないけど凶暴化した獣とかはよく見るけど、石人形とか泥人形とかはたまにしか出会ったことないよ。
ましてや巨人なんて、会ったこともなけりゃ、見かけたって話自体、一回?二回?聞いたことがあるぐらいなんだよね。
そりゃさ、おいらはほとんど闇の領域近くは行ったことがないし、いざ戦いってなっても飛礫とか笛の音とかの援護がほとんどで、あんま間近で怪物たちを見たことがなかったってのもあるかもしんないけどさ。
でも、ほら、ここじゃ外では見かけない怪物がわんさと出てくるじゃない。その上、基本階層毎に行儀よく分かれて出て来るし。
なんじゃ、そりゃって感じだよ。
あ、あとさ、これが外だったら、こんだけ怪物たちがまとまって出てくるんなら瘴気とか凄いことになってる筈だもんね。なのに、ここじゃそうでもないし。
そりゃ、まー、神々の試練場なんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど。ちょっと違い過ぎるよなーとか思ったりして」
これには、干し肉を齧っていたハーミが顎を擦り応じた。
「ふむ、確かにここでは外では滅多に見かけぬ怪物たちも多数出て来るし、出方も違うの。
たとえば巨人どもは闇の領域では見られるが、人の領域ではまず見かけん。もっとも、闇の領域から怪物たちが溢れ出る時には人の領域に攻めてくることもあるがの。
儂も昔一度だけ、修行中に神官団の一員として戦ったことがある。
あとはそうじゃの。迷宮下層には悪竜どもの巣もあると言われておるが、儂もさすがに竜の実物は見たことはないな。
外では闇の領域の奥深く、『悪神の箱庭』にしかおらんらしいしの。本山の文書庫に保管してある資料で、大昔に戦神の神殿から悪神の箱庭へ大規模な遠征を行った記録があるが、その中にそれらしいことが書かれておった。
聞いただけと言えば、迷宮内で悪魔に出会ったという話を聞いたことがあるが、どうなのじゃろうな。
悪魔どもは神々や悪神たちの世界に属する存在だからの。儂らのおるこの世界に顕現することは、基本ない筈なんじゃが。
ふむ、本当かどうかはわからんが、下位悪魔らしき存在は昔、世が乱れた時に姿を見せたとも言われておるからの。もしかしたら、パサルナーン迷宮になら姿を見せるのかもしれんの。
そう思うと、確かに迷宮内は外とはだいぶ出方も違っておるの。
あと、瘴気はそうじゃの。
はっきりしたことはわからんが、昔潜り始めた頃に言われたことがある。光の宝珠で怪物たちの光を回収するのを忘れると、迷宮内に瘴気が立ち籠めることになると。
といって、本当かどうかは確認しようもないが……。
ただの。お主は遭わずに済んだみたいだが、『呪われし亡者』は人の領域内でもそれなりに現われるぞ。戦神や清浄の神の神官には亡者を浄化することを専門とする者もおるぐらいだ」
「ほへー」
ファルハルドも興味深そうに話を聞いているが、バーバクは立ち上がりながら話の流れを変える。
「ま、巨人だの悪竜だのは、もっと下の階層の話だ。そんなことより、まずは目の前のことだろ」
「まあねー」
「んじゃ、もう一戦いっとくか」
通路を進み、五体の犬人たちの群れに中った。犬人たちは遠吠えを上げ、一斉に駆け出す。
二体をハーミが光壁で包み、分断。残り三体にファルハルドたちは一対一で立ち向かう。
バーバクは突進を正面から受け止め、あっさりと胴を真っ二つに切断した。
ファルハルドは咬みつきを躱しながら、胴を薙ぐ。犬人は深手を負うも、反撃。振り翳してくる爪を盾で受け止め、胸を貫く。
ジャンダルは飛礫を投げる。避けられる。が、その程度は予想済み。すかさず、鎖を投げつけた。
しかし、犬人の素早さはジャンダルの予想を上回った。鎖までもが跳んで避けられる。
それも単に避けただけではなかった。攻防一体。跳んだ犬人は、そのまま次の対応が遅れたジャンダルに上から襲いかかった。
ジャンダルは犬人に覆い被さられ、床へと押し倒される。
ジャンダルの喉笛を喰い千切らんと、犬人は唸り声と共に汚れた牙を剥き出す。
ジャンダルは、眼前で剥き出される牙は覆い被さられながらなんとか構えた盾で受け止めた。
だが、牙を防ぐだけで手いっぱい。伸しかかる犬人を押し返すことはできず、乱雑に振り回される爪を全て防ぐこともできない。犬人の爪がジャンダルを傷付ける。
ファルハルドが助けに入ろうとするが、その時背後側から遠吠えを聞きつけた新たな犬人が四体襲ってきた。
止むを得ず、一太刀ジャンダルに覆い被さる犬人の背中を斬りつけ、ファルハルドはバーバクと共に新たな犬人を迎え撃つ。
ジャンダルは犬人がファルハルドに斬られた瞬間に合わせ、力を籠め犬人を撥ね飛ばした。犬人に体勢を立て直す隙を与えず、鉄球鎖棍棒で殴りつける。
犬人は倒れない。頭から血を流しながらも、その爪でジャンダルを引き裂こうと狙う。ジャンダルは盾で受け、後ろに下がり距離を取る。犬人が距離を詰める前に飛礫を放つ。
今度は避けられることなく、眉間に当たる。続けて投げナイフを放ち、崩れる犬人に鉄球鎖棍棒で止めを刺した。
新たに姿を現した犬人のなかに一体、虎毛の身体が一際大きな個体がいた。バーバクが叫ぶ。
「あいつは俺がやる。三体は任せる。時間を稼げ」
おう、とファルハルドは応え、三体に対して大きく剣を振るい牽制しつつ自分に引きつける。三体の犬人がファルハルドに殺到する。躱すことに専念。
その間にバーバクは虎毛の犬人と渡り合う。
犬人にしては力が強い。それでも獅子人にも及ばない。バーバクを圧倒できる筈もない。
バーバクは盾を掲げて体当たりを行う。そのまま壁まで一気に押し込んだ。虎毛の犬人は悲鳴と共に息を吐き出す。壁と盾に挟まれ動けない。
激しく暴れ抵抗するが逃さない。押し込んだまま、振り回される手足を斧で断つ。抵抗する力を失った犬人の頭を真っ二つに割った。
ファルハルドは三体の犬人の攻撃を躱し続けていた。
一体がファルハルドの喉に咬みついてくる。横に滑るように避ける。
別の一体が爪を振り翳し、襲い来る。後ろに下がり躱す。
間髪入れず、最後の一体が跳びかかって来る。横に跳び避ける。
壁際に追い込まれる。三体が逃げ口を塞ぎ、一斉に襲い来る。
ファルハルドは壁を蹴り、犬人の頭上を跳び越した。
犬人たちは壁にぶつかり、怒りの声を上げる。再びファルハルドに襲いかかろうと、向き直る。
その時、犬人たちの一体の首にジャンダルの投げナイフが刺さる。犬人は力なく崩れた。
「待たせたな」
バーバクも駆けつけた。二対二。もはや、結果は決まった。
犬人たちを倒しきり、一行は大きく息を吐いた。
「はー、きっつ」
「ああ、さすがに疲れたな」
ジャンダルは項垂れながら深く息を吐き、バーバクも流れる汗を拭いながら溜息をついた。
ファルハルドも相槌を打とうとしたその時、ハーミの鋭い声が上がる。
「上だ」
黒い鱗を持つ蜥蜴人が一体、天井を伝い忍び寄っていた。
天井から飛び降り、襲い来る。ファルハルドたちが反応するより早く、バーバクが斧を振るった。
蜥蜴人は上下に両断され、地に転がった。
今度は気を抜くことなく、手早く素材の回収を行い休息所に急いだ。
「ちょっと、なんなの。出てき過ぎじゃない」
ジャンダルが我慢できずに愚痴る。バーバクも激しく同意する。
「まったくだ」
「これはあれだの。今日は三層目に潜っておる者が少ないのだろう」
ファルハルドが問い返す。
「なぜだ」
「明日は夏至祭ではないか。今日から呑んだくれておるのだろうよ」
「なんてこったい」
ジャンダルが忌々しげに吐き捨てる。
五の月の最後の日、三十日《下のティシュタルの日》は一年で最も日の長い夏至の日だ。そして、この日には各地で夏至の祭りが行われる。
当然、ここ、パサルナーンの街でも夏至祭が行われる。といっても、新年祭や秋祭りに比べればかなり小規模なものになる。
それでも各神殿で祈りが捧げられ、北地区や南地区では規模の大きな踊りの披露も行われる。その踊りを楽しみにしている市民は多い。
なにせその踊りは、この街の高級娼婦たちが揃って着飾り、舞台で踊るのだ。
貧しい市民たちにとっては一年で一度、唯一高級娼婦の顔を見られる機会となる。
貧しくない市民にとっても華やかな踊りは心浮き立つ一時だ。豊かな者たちにとっては高級娼婦たちへ衣装を用意するなど、後援者として自らの財力を誇る大事な行事でもある。
そして踊り手が娼婦のためか、風紀の乱れを防ぐため夏至祭の間は飲酒は固く禁じられている。
そのため呑ん兵衛たちは仕事を休み、前日のうちに浴びるように酒を呑む。
そのあたりの理由で今日は三層目に潜っている挑戦者が少なく、怪物たちが次々に出てくるのだろうという話だ。
「うっはー、やってらんねー」
ジャンダルは心底うんざりした声を出す。
「今日は止めだ、止め。美味いもんでも食おうぜ」
今日ばかりは、ファルハルドもハーミも一も二もなく賛成した。
次話、「夏至祭」に続く。




