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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第一章:挑みし者たち

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48. レイラ /その④



 ─ 6 ──────


 そうだ。母はあんたと同じくイシュフールだ。



 母は何度も故郷ふるさとでの暮らしを懐かしそうに話してくれた。俺はずっとオスクの城で育ちイシュフールの暮らしを知らないが、母の話を聞きまるで自分も暮らしていたように感じている。

 もっとも、勘違いしている部分もあるのだろうが。


 衣食住、全ての恵みは天地自然から不足なく得られる。日ごとにその日一日を生きる糧のみを自然から得、得られた収穫は皆で等しく分かち合う。多く取る者も、食べるのに困る者もいず、相争う者などいない。

 母の話に出て来る故郷の暮らしは、豊かで穏やかな理想的な暮らしだ。



 だが、その暮らしはイルトゥーランの先王、デミル四世に捕らえられることで終わりを告げた。


 ある日母は自分の父親、俺の祖父にあたる人物の病に効く薬草を求め、一人薬草を摘みに出かけた。

 祖母は反対したそうだ。その薬草はイルトゥーランの王城近く、ときにオスクの者たちも足を踏み入れる場所にしか生えず、危険だからだと。


 イシュフールは他種族の前に姿を見せないのだろう? なぜなのかよく知らないが。


 ん? そうなのか、そういうものなのか。確かに母が捕えられたことが全てを表しているんだろう。あんたもそうなのか? そうか、あんたは違うのか。


 ああ。その後の母の生活にあるのは、ただただ苦しみだけだった。何度も逃げ出そうとし、それが叶わぬと悟った時、母は死のうとしたそうだ。


 だが結局死にきれず、城の侍医による手当てを受けた際、初めて俺をはらんでいることがわかった。


 その時母が抱いた気持ちは絶望だったと言う。当然だ。自らを苦しめる憎い男の子供。そんなもの、嬉しい筈がない。そんな子供をなぜ産もうと思ったのか。未だに理解できない。


 だが、母は言った。産まれてきた俺を見た時、母の胸は言い知れぬほどの喜びに満たされたと。

 故に、俺に『ファルハルド(  喜び  )』と名付けたのだと。あなたは私の喜び、と。


 おい、待て。なぜ、泣く。いや、しかし。ここまでだ。話はもうよいだろう。そ、そうか。わかった。わかったから、もう泣くな。


 そうだな。俺を産んでからは部屋は地下に移された。俺はその部屋しか知らないが、そうらしい。そこは日が差すこともない、暗くじめじめした部屋だった。


 食料も一日二度、朝晩に城の者たちの食べ残しを下げ渡された。今思えば貧しい食事だ。あんなものは食事とも呼べないだろう。

 だが、俺たちはそれを分け合った。母と分け合い摂った食事は、俺にとってこの世で最も幸せな食事だ。


 食事を持って来る者は決して俺たちと目を合わせようとせず、声を掛けてくることもなかった。城には大勢の人がいたが、その誰もが俺には話しかけようとはしなかった。それどころか俺が話しかけようとすると、皆足早に立ち去った。


 幼かった俺にはまるで理由が理解できず、母に尋ねてしまった。なぜなのかと。

 その時の母の表情は忘れることができない。それ以来、二度と尋ねることはしなかった。


 さて、どうかな。辛く感じた覚えはないが、覚えていないだけかもしれん。必要なことは全て母が教えてくれた。俺にはそれで充分だった。特に不便は感じなかった。



 ……そうだな、いつからかは覚えてはいない。思い出せる最初の記憶では、すでに母を城から逃がすと決心していた。それだけが俺の生きる理由だった。


 最初は抜け穴や城の者たちの目を掻い潜る手段を探した。だが、どうしてもその方法は見つからなかった。

 だから城の包囲を斬り破ろうと考えた。強くなりさえすれば母を助け出せると、そう考えたのだ。


 愚かしい。己を鍛えに鍛えたが、結局母を助けることは叶わなかった。本当に愚かしい。監視役のいるなかで、どれほど強くなったところで母を助け出すことなどできなかったろう。


 きっと、助け出すために必要だったのはもっと別のなにかだったのだ。今になってそう思う。



 全ては虚しい。母を助け出すことだけを目指していた筈なのに。全てを費やしていた筈なのに。それだけを生きる理由としていた筈なのに。


 なのに、俺は母を助け出すことはできなかった。母は俺が十五の年に衰弱し死んだ。


 なぜだ。なぜ俺は生きている。母を助けられず、なにをおめおめと生きている。わからない。俺にはなにもわからない。俺にはなにもできない。俺にはなにもない。俺は空っぽだ。俺は無価値な存在に過ぎない。全ては虚しい。


 おい、なにを。おい……。




 ─ 7 ──────


 女性はファルハルドを抱きしめた。きつく、ぎゅっと抱きしめた。力任せに引き剥がすこともできたが、なぜかファルハルドはその気になれなかった。


「あなたはなにも悪くない。ファルハルド。あなたはなにも悪くない。なにも悪くない」


 女性はいつまでも同じ言葉を繰り返した。気付けばファルハルドの頬を熱いものが伝っていた。母が死んだその日にも涙を流さなかった、流せなかったファルハルドが泣いていた。


 女性は気付いていた。自分を責め続けるファルハルドに必要なのは赦しだと。心の中で血を流し続けるファルハルドに必要なのは赦しだと。なぜも、なにもない。ただただ赦す。それこそが必要なのだと気付いていた。




 二人は朝までそのまま抱き合っていた。ファルハルドは身体を求めることなく、ぬくもりだけを求めた。女性もまた、それに応えた。

 いったいいつ以来なのか。もしかしたら初めてかもしれないほどの安らぎに包まれ、ファルハルドは朝を迎えた。



 雲間から漏れる朝日が窓から差し込み、ファルハルドと女性を照らす。

 ファルハルドは柔らかく微笑み、身を起こした。二人は静かに見詰め合う。


「ありがとう。確かに気が軽くなった」

「いえ、それが私の役目ですから」


 晴れやかなファルハルドの顔を見、女性も優しく微笑む。


「その、あんたの名前を聞いていいだろうか」

「ふふっ、もちろんですわ。レイラ()。レイラですわ」


「レイラ」

「ええ」


「また、会いに来てもいいか」

「ええ」

「そうか」



 館の入口大広間ではハーミとジャンダルが待っていた。ハーミは普段通り。ジャンダルは明らかな寝不足顔ながら、やたらと元気いっぱいだ。


「やあ、兄さん。いい朝だね」


 悪神の三日間だけあり、今年も曇り空だ。が、ジャンダルにとってはいい朝なのだろう。


「そうだな」


 ハーミはちらりとファルハルドの顔を見るだけで、なにも言わない。


「さて、支払いはバーバクに任せて、儂らは帰るかの」


 セレスティンがわざわざ見送りに現れた。バーバクは寝ているのか、姿を見せない。



 拠点に帰り、それぞれの部屋に分かれる前にハーミが不意に言う。


「お主らは若いんだ。行きたくなったらいつでも行けばよい」

「ああ」

「だねー」


 こうしてわずかになにかが変わり、また一年が過ぎ去った。

次話、「二層目攻略」に続く。

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