47. レイラ /その③
─ 4 ──────
ハーミとジャンダルはそれぞれ横に就いていた女性に手を取られながら、別室に消えていった。バーバクは女性を先に部屋に行かせ、自分はそのまま水仙の間に残っている。
就いていた女性が熱の籠った目で、じっとファルハルドの目を見ながら軟らかくその手を取る。が、女性の態度に反してファルハルドの雰囲気は硬い。
セレスティンが再び姿を見せた。二人の様子を見て取り、女性に目で合図する。女性は名残惜しそうに、ファルハルドに流し目を残しながら手を離した。
「ファルハルド様、当館自慢の華々をご賞翫下さい」
不審顔をするファルハルドにバーバクが笑って説明する。バーバクは娼館に不慣れなファルハルドのためにわざわざ残っていたのだ。
「館中の女たちがお前を待ってるぞ。その中から、一夜を共にする女を選ぶって訳だ」
バーバクは朗らかに笑いながら、ファルハルドの背中を押す。
水仙の間を出て奥に進めば、廊下には大勢の美しい女性たちが並んでいる。媚びた目を向けてくる者、挑発するような仕草を見せる者、腕にそっと触れてくる者。
その全てにファルハルドは無関心な目を返す。
廊下に並び客を誘う女性たちは、比較的格下の娼婦となる。より格上の娼婦たちはそれぞれ自分の部屋を持ち、そこで客のほうからやって来るのを待つ。
セレスティンは順にそれぞれ格上の娼婦たちを紹介していくが、それでもファルハルドの無関心な目は変わらない。
より館の奥へと廊下を進んでいく。何度か廊下は曲がり、長い距離を進み白華館の誇る多くの娼婦たちを見る。が、ファルハルドはあいかわらず興味を見せない。
バーバクがこれは今回は無理か、まあ、娼館に足を運ばせただけでよしとするかね、と考え始めた頃、廊下は行き止まりに辿り着く。手前にある最後の部屋に入る。
その部屋の女性は入口に背を向け、豪奢な鏡台の前に腰掛けていた。ファルハルドたちが部屋に足を踏み入れても、背を向けたまま振り向かない。
セレスティンが声を掛ける。館の主に声を掛けられても、顔を向けようともしない。
セレスティンが仕方なさげにファルハルドたちを部屋から出そうとした。
その時、鏡越しにファルハルドと女性の目が合った。ファルハルドの目が大きく見開かれ、心臓が止まった。
女性が着ているのは首元が大きく開かれた飾りの少ない、いっそ質素とも言える薄緑色の衣装。乳脂の如き白く滑らかな肌を持ち、痩せ形だが均整のとれた身体付きであることはわかる。
だが、その顔まではわからない。
髪は葡萄色の布で隠され、顔もまた黒い透ける薄布で隠されはっきりとは見えないからだ。唯一見ることのできるのは目だけ。
そして、その目はファルハルドに母を思い出させた。
─ 5 ──────
立ち止まり動かないファルハルドを残し、バーバクたちは部屋をあとにする。部屋に残るはファルハルドと女性のみ。呼吸すら忘れたファルハルドに、鏡に向かったままの女性が声を掛ける。
「いつまでそうされているのですか」
不思議と男心を揺さぶる艶のある声だった。それでも、ファルハルドは動かない。女性は立ち上がり、ファルハルドに寄ってそっとその手を取った。
「さあ、いらして下さいな」
やはりファルハルドは動こうとしない。息を詰め、じっと女性の目を見詰めている。
「どうされました」
「……だ」
女性は息がかかるほど近寄り、ファルハルドの腕を触れるか触れないかの微かな力の入れ方で撫でながら囁く。
「なにかしら。もう一度、おっしゃっていただけますか」
「あんたは、……誰だ」
「もちろんただの娼婦、一夜の夢を売る女ですわ」
ファルハルドの眉間に皺が寄る。その顔を見て、女性が笑った。顔を背け、口に手を当て笑い声を零した。
「まあ、ごめんなさい。つい、ふふっ。ごめんなさい」
なにがつぼにはまったのか、女性は笑いが止まらない。
「だって、貴方。ここは娼館ですわよ。しかもこんな奥までわざわざ足を運んでおいて、なにその不快そうな顔。ふふっ、娼婦はお嫌いかしら」
ファルハルドは自分の首を撫でながら、珍しく困りきった声を絞り出す。
「いや、そういう訳では……。ただ、母は攫われ、死ぬまで慰み者とされていた。それを思うとつい、な」
「まあ、…………」
女性としては娼館に慣れていない堅物を少し揶揄っただけ。なのに思った以上に真摯に返された。それ以上揶揄う気にはなれず、寝台ではなく卓にファルハルドを誘った。
女性はファルハルドに触れ合うように腰を下ろし、卓上の呼び鈴を鳴らす。下働きの娘に葡萄酒と杯を用意させ、杯を満たしファルハルドに差し出した。
「先ほどは随分驚かれていらっしゃいましたわね。いったい、なににそんなに驚かれたのかしら」
ファルハルドは杯に口をつけながらついっ、と顔を背けてぼそりと呟く。
「あんたの目が……、母に、似ていた、だけだ」
女性は柔らかく笑った。息を吐き、髪と顔を覆う布を外す。
その艶やかで腰より長い豊かな髪が下ろされる。髪が下りると共に華の香が部屋いっぱいに広がった。
その顔は玲瓏。気品のある繊細な美しさ。天上の職人が創り賜いし至上の宝物。そして、長い睫毛の下にあるのは男を包み込む包容力を感じさせながら、どこか翳りのある眼差しだった。
ファルハルドは息を呑み、そして理解した。なぜその目を見た時、母を思い出したのかを。
一つは包容力がありながら翳りのあるその眼差しが同じであったから。
そして、もう一つの決定的な理由。その瞳と髪は母と同じ鮮やかな碧だった。
呆気にとられるファルハルドに、女性が自身の髪に触れながら話しかける。
「見ての通り、私はイシュフール。御母堂様もそうだったのですね」
「あ、ああ」
「御母堂様はどのようなかただったのですか」
「あ、ああ。ん? ああ、いや。聞いて楽しい話ではない。そんな話、聞いてどうする」
女性はファルハルドの手に自分の手を重ねる。
「私の役目は貴方様を楽しませること。貴方様は一夜の快楽を求めに来た訳ではないのでしょう。話して貴方様の背負うものが軽くなるなら、それは私の聞きたい話ですわ」
ふわりと微笑む。
「貴方様の前にいるのは一夜限りの夢の者。なにを話されようとも外に漏らすこともございません。それに私がどう思うかなど気に病む必要はありません。私はただ貴方様を喜ばせたいと願っているだけなのですから」
ファルハルドの視線が宙を彷徨う。杯に口をつけ、目を瞑った。
「そうか」
一気に杯を煽り、空になった杯を音を立てて卓に置いた。




