46. レイラ /その②
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バーバクが案内した店は高級娼館、『白華館』。パサルナーンの街には娼館通りが二箇所ある。そのうち東地区と南地区の間にある娼館通り、『万華通り』は庶民たちが利用する店が集まっている。そのなかでは最も格上と目されている店だ。
「これはバーバク様。ようこそ、おいで下さいました」
高価な生地だが地味な濃紺の装いの、恰幅の良い人物がにこやかに一行を出迎える。男性なのか、女性なのか、年若いのか、年寄りなのか、見た目でも、声でも判別できない不思議な人物だ。
「セレスティン。済まないが、今日はよろしく頼む」
バーバクは剣帯ごと武器を外し、館の男衆に渡しながら館の主のセレスティンと挨拶を交わす。迷宮では斧を使うバーバクも、街中で身に帯びているのは小剣だ。これは他の斧や戦鎚を使う挑戦者たちも同様である。
「ほれ、お主たちも武器は預けていけ。武器を持ったままでは中には入れんぞ」
ハーミがファルハルドたちに声を掛ける。娼館の不文律として武器を帯びたままの入館はできない。一般人でもナイフぐらいは持ち歩いているものだが、例外なく全て入口で預けなければならない。
ファルハルドはじっと男衆を見詰め、武器を渡そうとしない。ジャンダルも不満顔だ。
「えー、ちょっと。豪勢な料理をご馳走してくれるんじゃなかったの。ナイフまで渡しちゃったら、食べらんないじゃん」
セレスティンはにこやかな表情を全く変えずに口を挟んだ。
「ご安心下さい。お使いいただく食具は、当館でご用意させていただいております」
ジャンダルは口を尖らせたまま、しぶしぶナイフや鎖を手渡していく。
「ほら、兄さんも」
ファルハルドはちらりとジャンダルに目をやり、溜息をつく。顔を上げ、横で手を上げた姿勢のまま待つ男衆に剣を手渡した。全員が武器を手渡したことを確認し、主のセレスティンが自ら案内する。
多くの花や彫刻、絵画が飾られた廊下を進んでいく。廊下は数多くの燭台が置かれ明るく照らされている。
しかし、強過ぎる照明によって、その陰を見ることはできない。飾られた花や彫刻がさらに死角を増やし、なにより天井から色とりどりの薄布が垂らされ、廊下はいちいち薄布を捲らなければ進むことも先を見ることもできなくなっている。
明るく華やかな雰囲気を醸し出しながら、同時に客同士が無用に顔を合わせるのを防ぐ造りになっている訳だ。
「本日はこちらの水仙の間に宴のご用意をさせていただいております」
セレスティンがゆったりとした動作で布を持ち上げ、一際豪華な部屋に案内した。
中央には全面に細かな刺繍が施された布を掛けられた、十人でも囲める大きな丸卓がある。その周りには無数のふかふかの座布団。四方の壁には絵画が飾られ、そこかしこに華やかな花が生けられた花瓶もある。
ファルハルドたちが座ると同時に、隅に控えていた楽師が静かな曲を奏で始める。演奏にあわせ、林檎と洋梨、柑橘、棗椰子を盛った皿が卓の中央に置かれる。各人に銀杯が渡され、着飾った女性たちが上等な葡萄酒を注いでいく。
「さあ、皆。楽しもうぜ。かぁー、美味い、沁み入るぜ。って、おいおい。なんだよ、ファルハルド。お前も呑めよ」
全員が杯を呑み干すなか、ファルハルド一人口をつけようとしない。
「お客様。そちらは当館でご用意できる最上の逸品、ネリオス産の葡萄酒でございます。よろしければ、どうぞお試し下さい」
全員に注目されながら、セレスティンに促される。しぶしぶ一口だけ口をつけた。バーバクたちは仕様がないと苦く笑う。ファルハルドに就いた女性が甘い声で話しかける。
「葡萄酒はお気に召しませんか。よろしければ他にも」
だが、ファルハルドは最後まで言わせない。
「水を貰えるか」
女性は不快さを欠片も見せず、にこりと微笑み、すぐに水を持ってきた。
セレスティンが手を叩く。
まず最初に運ばれてきたのは、羊のあばら肉と背中肉に香辛料をたっぷりと擦り込み焼きあげた料理。
当然、それだけではない。次から次へと料理が運ばれてくる。
擂り潰した豆と野菜の煮込み。様々な肉と野菜の串焼き。魚を丸のまま油で揚げ、甘酸っぱい汁をかけたもの。鳥の腹に米と野菜を詰め、丸のまま炙り焼きにしたもの。
去年食べた米料理に似たものもある。大皿に盛られ、上にはたくさんのお焦げが載せられている。
ジャンダルが歓声を上げ、即料理に手を伸ばすが横に就いた女性がそっとその手を抑えた。戸惑うジャンダルに女性が嫋やかに微笑みかけ、米料理を取り分ける。
見ればバーバクに就いた女性は羊肉の塊を切り分け、バーバクが食べやすいように口元に差し出している。
どうやら娼館で食具を用意するとは、女性たちが取り分けることを意味しているらしい。
ただ、ハーミに就いている女性はハーミのもりもり食べる速さに間に合わず、取り分けると言うより次から次へと料理を運ぶ係になっている。ファルハルドも直接女性から食べさせられたりはしていない。小皿に置かれた分だけを口にしている。ジャンダルも自分の好きに食べたいのか、結局女性は取り分けだけをしている。
バーバクは目だけで、そっとセレスティンに謝っていた。セレスティンは微笑んで頷き、部屋を下がる。
ジャンダルはほどよく酔いが回ったのか、女性相手に上機嫌に旅の話をしている。
ハーミも食欲は全く衰えないが、それでも食べるだけではない。時折話をしている。
バーバクは最初からでれでれしっぱなしでとても見られたものではない。
ファルハルドも口数は少ないが、完全に拒絶している訳ではない。女性の話を静かに聞き、ぽつりぽつりと自分のことも話している。
「でねー。水ほ汲もうほ川に向かっらたー、倒れてる人がいたんのねー。それがー、兄さんだったって訳、へへ」
ジャンダルがファルハルドと出会った件を大きな声で話している。
「まあ、そんな場所で出合うなんてまさに運命ですわね」
「ほうほう」
ジャンダルに就いた女性はさも驚いたように相槌をうち、ジャンダルは機嫌良く話しているが、ファルハルドとしてはその話を続けられるのは都合が悪い。
ファルハルドに就いた女性は二人の話に続けて当然の疑問を口にする。
「ファルハルド様はどうしてそんなところで倒れていらしたの」
イルトゥーランの王を殺して追手に追われているからだ、とは答えられない。
言い淀むファルハルドになにかを察し、女性は話題を変えてきた。
「今日はファルハルド様のお祝いだとか。どんな善いことがあったのですか、ぜひ聞かせて下さいませ」
ファルハルドは普段ならこんな質問には答えない。だが、今は助かると話題転換に乗ることにした。
ただ、ファルハルドが答えないと思ったのか、ファルハルドが話す前にさっさとバーバクが答えた。
「おーう、よく聞いてくれた。実はな、今日悪魔型の石人形、まあ手強い怪物だな。それをこいつがとうとう一人で倒しきったんだ。これで新人を卒業、一人前の挑戦者だ。いやー、めでたい」
バーバクが杯を持ち上げ、乾杯と唱える。ハーミとジャンダルもバーバクの掛け声に合わせ杯を空ける。ファルハルドもこれは断れず、皆に遅れて杯を空けた。
そして、あらかた料理を食べ終わり、皆の腹もほどよく膨れた。もっとも、ハーミだけはまだまだ食べ足りなそうだが。
「どれ、一通り食い終わったし、これでお開きにするか。俺は年が明けるまでここで過ごすけど、お前らはどうする」
ファルハルドが帰ると言いかけるが、その前にハーミとジャンダルが口を開いた。
「儂も些か腹が苦しいからの。今日は泊まっていくか」
「じゃー、おいらもー」
ハーミは自分の腹を摩りながら、ジャンダルは横に就く女性の手を摩りながら言う。
ファルハルドは自分には無関係とばかりに帰ると言おうとするが、その前にまたハーミが口を開いた。
「では、今日のところはファルハルドも泊っていくがよいのう」
ファルハルドは眉を歪め、表情だけでなぜだと問う。
「なんじゃ、忘れた訳ではあるまい。去年、お主は悪神の三日間に襲われたではないか。その際、二度と一人では立ち向かわぬと約束したな。今年もこの時期になにもないとは限るまい。せめて、年が明けるまでは一人歩きは止めておけ」
そう言われればさすがに反論しにくい。結局、ファルハルドも泊っていくことになった。




