45. レイラ /その①
─ 1 ──────
十の月に入り、ファルハルドたちの二層目での戦いはだいぶ安定したものになってきた。
二人は二層目の敵との戦闘経験を積み、多くのことを身に付けた。
どの位置で攻撃を受けるべきか。受けきれない攻撃はどう流すのか。攻撃する際にはどこを狙うと効果的か。連撃はどう繋げるべきか。どこまでなら無理をしても大丈夫なのか。
一つ一つは些細なことの積み重ねにより、戦闘はより確実に、より安定したものとなってきた。
あとはいくつかの未使用の魔導具を使うことや、援護のない状態で戦うこと、そして単純な力の押し合いで押し勝つことなどができれば先に進んでも良いだろう。
身体作りを考えると、三層目に向かうのは来年の夏辺りか。五層目に足を踏み入れるのは、そこから一年後だろうか。
それがバーバクとハーミの間で話し合われていることだ。ファルハルドたちには話していない。彼らは今はまだ先に進むことを考えるより、愚直に力をつける時期だからだ。
それに今はまだ自分のことだけを考え、今日は敵が楽に倒せたと喜んだり、高価な魔導具を使うのにおっかなびっくりになったりと、目の前のことに一喜一憂し人生を楽しんでもらいたい。
そして今、パサルナーン迷宮の二層目に打撃音が響き渡る。ファルハルドが一対一で悪魔型の石人形と渡り合っている。
仲間たちは共に現れた泥人形たちを倒し、今はファルハルドの戦いを見守っている。
バーバクとハーミは無傷だが、ジャンダルは傷を受けハーミから解毒の祈りを受けている最中だ。それでも必要とあらばいつでも援護できるよう、投げナイフに手をかけじっとファルハルドの戦いを見詰めている。
悪魔型の石人形の撓らせた尾が頭上からファルハルドを襲う。ファルハルドは目を向けることもなく避ける。
素早く踏み込み、石人形の胸を狙い鞭を突き出す。石人形は避けようとするが、完全には避けきれない。左肩を捉えた。音を立て、石人形の左腕が床に落ちる。
悪魔型の石人形は奇声を上げ、翼をはためかせる。行かせはしない。勢いに乗る前にファルハルドは盾を翳し、身体ごとぶつけ移動を止める。
ファルハルドと石人形、両者の力比べが行われる。ファルハルドは歯を食い縛り、深く腰を下ろし押し込む。石人形は大きく翼を動かし、ファルハルドを押しのけようとする。
仲間たちは固唾を飲み、見守る。力比べは拮抗していた。徐々に均衡が崩れ始める。ファルハルドの足が少しずつ床の上を滑り始める。
無理だ、保たない。仲間たちがそう思った時、ファルハルドは盾の角度をずらし、石人形を進ませた。通路の壁に向けて。
石人形が壁に激突する。勢いがつく前だったためか、目立った損傷は見られない。だが、石の壁に激突したことで一拍動きが止まる。ファルハルドに無防備な背を晒す格好で。
すかさずファルハルドは跳び上がり、両手で鞭を振りかぶる。狙い過たず、石人形の首を叩き割った。
一対一の場を作るのに仲間の協力があった。それでもファルハルドはついに二層目における最強の一角、悪魔型の石人形を単独で倒した。それに最後に押し負けこそしたが、それでも石人形相手に力比べを行え、さらには均衡が崩れた瞬間の咄嗟の判断も見事だった。
「はっはっはっ、やったな。とうとう、一人で悪魔型の石人形を倒しやがったな」
バーバクが機嫌良く、兜の上から手荒くファルハルドの頭を撫でる。ふらつかせられながらもファルハルドも嬉しそうだ。ジャンダルとハーミもファルハルドの背中や肩を叩きながら共に喜ぶ。
「やったね、兄さん。いやー、凄いねぇー」
「うむ、見事だ。特に身体ごとぶつかって動きを止めたのがよかったの。あそこで距離を取られていたら手古摺ることになっておったろう」
ファルハルドも少しはにかみながら自分の戦いを振り返る。
「咄嗟の判断だったが、止められてよかった。だが、結局押し負けた。まだまだだ」
「なーに、この一年でたいした成長ぶりじゃないか。最初の頃ならそもそも止めること自体できなかっただろうよ。これで一人前だな」
ちらりとバーバクがハーミに目配せし、一際大きな声を張り上げる。
「よぉーし、今日は一丁祝いの席を設けるか」
「それはよい。丁度、明日からは悪神の三日間だしのう。一年の労いを兼ねて豪勢に行くとするか」
「そりゃいいやぁ。当然バーバクの奢りだよね」
「おまっ……。まあ、いいけどよ。なんで、今日の主役のファルハルドじゃなくてお前が言うかね」
ジャンダルはにこにこしたまま、バーバクの苦笑いを気に掛けない。
「まあまあ、いいじゃない。ねー、兄さんもそのほうがいいよね」
ファルハルドは少し困ったように笑う。
「そう、だな。だが、悪神の三日間に備えて今年は酒樽を買い揃えていただろ。わざわざ奢りでなくとも、あれでいいんじゃないか」
バーバクが大きな音をさせ、ファルハルドの肩を叩く。
「遠慮すんな。せっかくだ、ぱぁーといこうぜ」
ハーミもジャンダルも同意する。
─ 2 ──────
地上に戻り、奉納と換金を済ませ一行はバーバクのお勧めの店へと繰り出した。
「悪魔型の石人形を一人で倒したし、次は魔法でしか倒せん相手を余裕を持って倒せるようにならんとな」
やはり、道中の話題も迷宮への挑戦についてだ。
「魔導具を使いこなすということか。…………。厳しいな」
先頭で歩くバーバクが振り返る。
「そのあたりは、追々でいいだろ。それより先に、ジャンダルも一人で悪魔型を倒せるようにならないとな」
「だぁー、そりゃたいへんだー。ま、でも絶対やってみせるけどね」
「おう、その意気だ」
パサルナーンの街は、明日からの悪神の三日間に備える買い出しの人々で賑わっている。今日は職人たちも仕事納め。明日から休みということで、まだ日のあるうちから酒盛りを楽しんでいる。
「どこも込み合っているな。大丈夫なのか」
「任せろ。行きつけの店だからな、それなりに融通をきかせてもらえるぞ」
バーバクのあとを付いて行きながら、ジャンダルは周りを見回し不審げに眉を歪める。
「でもさ、この通りって……」
バーバクは声を張り上げ、ジャンダルが続きを口にするのを邪魔する。
「さあさ、さっさと行こうぜ。まったく、今年はやたらと寒くて敵わねえな」
「お、おぉ、そうじゃの。確かに今日はよう冷える。そういえば、ファルハルドは寒そうにしておらんの。夏も平気そうだったが、あまり暑さ寒さは気にならん性質なのか」
ファルハルドは少し考え込む様子をみせたが、
「さて、な。よくはわからない。イルトゥーランにいた頃は碌に着る物もなく、湿気だらけの夏は暑く冬は寒い部屋を宛がわれていた。それに比べればどうということもないからではないか」
と、するりと重い内容を口にする。
「そ、そうか」
「…………」
ハーミたちが掛ける言葉に迷う中、ジャンダルが話題をずらす。
「やっぱ、あれなの。イルトゥーランはここより北だから、冬はパサルナーンより寒いのかな?」
「母の生まれた森では背丈より高く雪に埋まると聞いたが、王都辺りはそれほどでもない。雪は足首くらいまで積もったか。一番降った年で脛の真ん中くらいまでだった」
「ほおー、やっぱ違うもんだな。俺もおっさんもエランダールの東隣、ギランダールの南部の出だからな。パサルナーンに来るまで雪を見たことはなかったぞ」
「いや、儂は本山で修行していた時に雪を見たぞ。本山はギランダールとアルシャクスの国境近くの山の上だからの。パサルナーンの周辺の山々と似た感じで薄らと積ったものだ」
頭の後ろで手を組み、通りの店を眺めながらジャンダルがなんの気なしに尋ねる。
「へえー、二人とも同じギランダールの生まれなんだ。なに、同じ村の生まれとか?」
「いや、パサルナーン目指して旅をする途中でたまたま知り合ったんだ」
「ふむ、そうじゃの。まったく、こやつはあの頃からいい加減でな。よく揉めたもんだ」
「……さあ、もう直だ。ほら、皆。旨い飯が待ってるぞ」
自分でも思い当たることがあるのか、バーバクは反論せず話題を変えた。
「さあ、皆。着いたぞ」
バーバクはうきうきした声を出すが、ファルハルドは目を細め、ジャンダルは顔を顰める。
一行の前にあるのは、日の落ちた街に一際輝く煌びやか建物。過剰なまでの灯りと色とりどりの飾りに彩られている。中からは楽器の音と共に、嬌声も漏れ聞こえている。
「あーと、バーバクさん。ここはもしかしなくても娼館ではないですか」
「ん、そうだぞ」
「そうだぞ、じゃないっての。なーに考えてんの」
「は? なに、初心なこと言ってんだよ。祝いの席って言えば、当然これだろ」
ジャンダルは顔を強張らせる。といって娼館に不慣れでびびった訳ではない。
実際のところ、ジャンダルはこの四人の中で最もそちら方面の経験が豊富だったりする。
ジャンダルは旅をその生活とするエルメスタ。もちろんこの忌み子めがと拒絶する者も多かったが、ジャンダルは常ににこにこして人当たりが良く、話をしても飽きさせない。どこに行こうとも、誰にも頼らず暮らせるだけの甲斐性もある。
そして、旅から旅への風来坊。関係を持っても妙な後腐れはない。
一生を共に添い遂げるなら話は別だが、『器用さ優れるエルメスタ』の指使いも相俟って一夜限りの目眩く悦びを、というならまさに打ってつけのお相手。外見は子供っぽいが、そこに関しては好みの問題。誘って来る女性は決して少なくなかった。
よって、ジャンダルが顔を強張らせたのは別の理由から。
ジャンダルは気忙しげに、ちらちらとファルハルドの様子を窺う。母親のことがあり、娼館と聞いてファルハルドがどんな反応をするかが読めない。以前、モラードたちの集落が襲われた話を聞いた時も様子がおかしかった。
もしも、この場で突然我を忘れでもしたら……。
ジャンダルの心配を余所に、がしがし頭を掻きながらバーバクが話を続ける。
「つっても、別に女抱けって訳じゃないぞ。ここは飯も旨くてな、たまには綺麗どころに囲まれて楽しく騒ごうって訳だ」
「それなら……、まあ、いいけど……」
ジャンダルは心配したが、ファルハルドも案外冷静だった。
いつも通りの無表情に、いつも以上の尖った雰囲気。なに一つ楽しげではないが、少なくとも突然我を忘れて剣を抜くことはなさそうだ。
「せっかくのバーバクの心尽くしだ。楽しもうではないか」
ハーミに背中を押されながら、ファルハルドたちは店に入っていった。
今話が全四回。これで旧版に追い付きますので、今話の更新完了と共に旧版を削除いたします。




