05. 出会い /その⑤
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次にファルハルドが目覚めた時には、すでに次の日の昼を過ぎていた。傷は痛んだが、毒は完全に抜けていた。多少動きづらいが歩くくらいなら問題なさそうだ。
「やあ、兄さん起きたのかい。まだ無理しないほうがいいよ」
なにか作業をしていたのか、ジャンダルは泥だらけの姿で小屋に戻ってきた。
「死骸は全部埋めてきたよ。血溜まりとかも拭いたんだけど、ちょっと跡が残っちゃった。小屋の持ち主さんに怒られちゃうかな。あ、あとで屋根の修理手伝ってね。おいらだけじゃ手が届かないんだよね」
「ああ。いろいろ済まんな」
「なーに、いいのいいの。まずは食事にしようか。といっても、昨日より一層具の減った粥しかないんだけどね」
へへへっ、と楽しそうに笑うジャンダルにまた、済まんな、と答えて共に食事を摂った。
「それでさ、兄さんはこれからどうすんの。なんか当てある?」
屋根の穴を塞ぎながらジャンダルが尋ねてくる。碌に道具もないなか、なかなか上手く直すものだ。さすが『器用さ優れるエルメスタ』と言われるだけのことはある。
それはそれとして、正直ファルハルドにはなんの当てもなかった。
というより、生きる理由がなかった。ここまで逃げ続けてきたのは、単に母を虐げたイルトゥーランの者たちに殺されるのが癪だっただけ。
逃げて、逃げて、いずれどこかで殺される。その日が来るまでは意地汚く生き残る。考えていたのはそれだけだった。
縄を渡しながら答える。
「いや」
「じゃあさ、おいらと一緒にパサルナーンに行かない?」
「パサルナーン?」
「知らない? パサルナーン神殿遺跡のある、パサルナーン迷宮のある、パサルナーンの街のことだよ。ついでに言うと街があるのはパサルナーン高原で、高原があるのはパサルナーン地方。なーんでか、国名はエランダールってのが惜しいよね」
にゃははっ、と楽しそうに笑う。ファルハルドはその街だか地方だかのことは聞いたことがなかった。
謡うようにジャンダルは説明を続ける。
「そこは全ての願いが叶う聖地。その地は神々に愛され、神々が降り立つ地。全ての人の子よ。パサルナーンを目指すべし、ってね。
なんでもパサルナーン迷宮は神々が人間を鍛えるために創った試練場で、強力な怪物たちが巣食ってるんだって。その全てを踏破して迷宮の最下層にあるパサルナーン神殿遺跡で祈ったら、どんな願いでも叶うらしいよ。
それにもし神殿遺跡に届かなくっても、迷宮で鍛えて英雄豪傑と呼ばれるようになったら各国の王様たちが頭を下げて迎えてくれるって話だよ。
忌み子と蔑まれていたおいらたちが王様に頭を下げさせるんだ、ざまあみろって話でしょ。
ねえ、一緒に行かない。おいら迷宮に挑戦するんだけど、あんま剣を振るのは得意じゃないんだよね。
その点、兄さんはあれでしょ。あんな敵に狙われるくらいだもん、そうとう腕が立つんじゃない。一緒に来てくれるとおいら助かるんだけどな」
話を聞かせられても反応はない。ファルハルドは興味を惹かれなかった。母親が死に、ファルハルドにはもうなにもなかった。叶えたい願いも、人を見返したいという欲もまるでない。今のファルハルドは空っぽな人形に過ぎない。
「ありゃ、気が進まないみたいだね。うーん、そうだ。この話は知ってる。パサルナーン迷宮に足を踏みいれた者は、それまでに外で犯したどんな罪も不問とされる。どこの国の権力も干渉は許されないってね」
気のない様子は変わらない。どうでもよかった。ファルハルドにとって許されようが許されまいが知ったことではない。
「あれれ、反応が無いね。うーん、まぁ、なんだか暗い目をしてるなーとは思ったんだけどね。うーん、でもねぇ、死に場所を求めるんならそれはそれでパサルナーンはお薦めだよ」
この言葉に始めて反応を見せた。切れ長の目を細め、ジャンダルを注視する。
「パサルナーン迷宮に挑む者たちは、ほとんどが三層目までも辿り着けずに死んじゃうらしいんだ。確か三層目に辿り着けるのは十人に一人だったかな。十人中九人は死んじゃうんだね。
兄さん今まで逃げてきたってことは、追って来た奴らには殺されたくないんでしょ。それならさ、いっそパサルナーン迷宮に潜ってみたらいいじゃん。
見事生き残って栄光を手に入れるもよし、志半ばで果てるもよし。兄さんに取ってはどっちに転んでも悪い話じゃないんでしょ。
ね、ここは一つおいらを助けるって思ってさ、ね、一緒に行こうよ、ねー」
奴らには殺されたくない。そう、それだけがファルハルドの唯一の意志だった。あいつらを満足させてたまるか。ジャンダルのこの言葉に初めて心動かされた。
「わかった」
「やった、よろしくね」
すっ、と右手が差し出されてきた。多少戸惑いながらも、ファルハルドはその手を固く握り締めた。
次話、「国境を越えて」に続く。