49. 幻想迷宮 /その④
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少しずつ、ファルハルドの内でただの魂の欠片として静かに眠っていたフィルーズの魂が目覚めていく。
同時にファルハルドに耐えがたい痛みが走る。それはカルドバン村の戦いで根源の領域を満たす魔力を消費した時に似た痛み。
違いは痛む場所。根源の魔力を消費した時には主に身体に痛みが走っていた。今、痛みが走るは魂に。
共通点は痛みの種類。少しでも気を抜けば、そのまま自分という存在が揺らぎ、ばらばらに砕け散ってしまう。
ファルハルドは必死に耐え、抵抗する。
肉体は一つ。魂が二つ。魂の座を巡り、二つの魂がぶつかり合っている。一瞬の気の緩みも許されない緊張。
あまりに厳しい。今にも存在の全てが崩れ去りそうだ。どこまで耐えられるか。
声が聞こえる。ファルハルドの名を呼ぶ声が。
その温かく気遣いに満ちた声を頼りに、ファルハルドは痛みに、痛みを生む魂のぶつかり合いに耐える。
ファルハルドは精神を集中し、体内魔力を操る感覚を活用し自らの魂の輪郭を強く意識する。
そこにぶつかり来る異物。それこそがフィルーズの魂。
触れ合うその場所から、フィルーズの記憶が、意識が、感覚が伝わってくる。
フィルーズは商団を率いる行商人の子として産まれ、物心ついてすぐに両親は闇の怪物に襲われ亡くなった。
別の土地で商団を率いている伯父夫婦に引き取られ、将来は両親の跡を継いで行商人となるように育てられた。
だが、フィルーズの関心は商売にはなかった。幼きあの日、自分を守りながら闇の怪物に襲われ死んでいく両親の姿を瞼に焼きつけたフィルーズは戦う力を得ることを望んだ。
伯父の商団に所属する護衛役から剣を習い、空いている時間全てを剣の稽古に当てる。
伯父夫婦にどれほど反対されようとも、フィルーズは鍛錬を辞めない。そして、商団を襲う敵とは率先して戦った。
そんなフィルーズの姿を、伯父夫婦は苦い顔で見ていた。
闇の怪物が巣食う神々の試練場、パサルナーン迷宮の噂を耳にしたフィルーズは、成人後には商団を離れそこに行くことを希望し伯父夫婦に許可を願った。
当然、許される筈がない。懸命に説得し、フィルーズは三年を掛け伯父より出された課題を果たし最終的に許可を得た。
ファルハルドは自分との違いを感じていた。
幼き日から戦う強さを求めた意思はファルハルドと重なり合っているが、それ以外は違う。
フィルーズに両親を失った怒りや悲しみはあっても人々に存在を否定されることはなく、親代わりである伯父夫婦に大切に育てられたのだから。
後の神聖王であるベリサリウスをパサルナーン迷宮に誘ったのはフィルーズだった。
元々、行商で回っていた村の一つに住んでいたベリサリウスとは知り合いだった。
この少し前にベリサリウスの生存が地方豪族である父親にばれ、育ての親に厳しい追及が行われていた。
その追求を逃れるため、免罪特権を得られるというパサルナーン迷宮に共に行くことを決めたのだ。
後に共に迷宮に潜ることになるシアーマク、アーラームとも、このパサルナーンへの旅の途中で知り合った。
ただ、この時は二人はパサルナーン迷宮に向かう気はなく、単に気の合う友人として知り合っただけだった。
再会し、共に迷宮に潜るのは数年後の話になる。
フィルーズとベリサリウスの関係を思えば、フィルーズの立ち位置はどちらかと言えばジャンダルに近いようだ。
行商人として各地を回った経験から年齢の割に世間を知っており、人当たりも良い。
ただ、フィルーズはあまり損得に興味がなく、どう考えても商売人には向かない。性格は面白みがなく、いたって真面目。その意味ではファルハルドと同じだとも言える。
セリアと出会ったのは迷宮三層目に挑んでいる頃だった。
当時、フィルーズたちとセリアはそれぞれ別の仲間たちと迷宮挑戦を行っていた。
別々に潜っていたフィルーズたちとセリアが組むようになったのは、知り合ってから二年後。五層目への挑戦で互いに手痛い敗北を喫し、それぞれが仲間を失ってからだった。
ただ、残った者同士で共に潜るようになる前から、はっきり言ってしまえば初めて会ったその時から、フィルーズはセリアに心惹かれていた。そして、それはベリサリウスも。
セリアは気位が高く、頭が悪い言動をする者を露骨に見下す悪い癖があるが、聡明で優秀、なにより他人のことを良く見ていて、誰も見捨てず困っている者をさりげなく手助けする優しさを持つ。
二人ともセリアが気になって仕方がない。
そんな者たちが協力し命懸けの挑戦を行う迷宮攻略ができるのかと言えば、通常はまず無理だ。関係がぎくしゃくし、冷静な判断も巧みな連携もできなくなる。
できたのは、フィルーズもベリサリウスも自分たちの気持ちに蓋をしたから、さらに優れた迷宮挑戦者であったからだ。
…………。どういう状況だ? ファルハルドは、ちょっと理解しかねた。
やはり、巨人たちは手強い。五層目からの迷宮攻略は遅々としたものとなった。
ただ、フィルーズたちには、ファルハルドが苦役刑のために迷宮挑戦から一時的に抜けたような出来事はなかったため、ゆっくりとではあっても滞ることなく攻略は進んだ。
そして、六層目への挑戦。重戦士のシアーマクと高位神官のアーラームが合流したこの頃から、フィルーズたちは英雄としての片鱗を見せ始めた。
特にベリサリウスが凄まじかった。神官としての法術も、戦士としての剣術も大きく伸びていたが、なにより元より優れていた状況判断能力が突出し始めたのだ。
自身、一流と呼ばれる実力を身に付けつつあったフィルーズだが、ベリサリウスと比べれば自分などただの凡庸な剣士に過ぎないと考えていた。
それは大きく違う点だ。ファルハルドは他人と比べて自分の評価を行いはしない。
他人の実力を測りはする。学べるものを探るために。それぞれができることを把握し、目の前の困難に対処するために。
ただ、ファルハルドは自分を評価しない。そんなものに興味はない。
考えるのは、為すべきことを為すために必要な実力を持っているかどうか、なければどうすれば身に付けられるか。それだけを考える。
比べざるを得ないほどベリサリウスの輝きが眩しかったのかも知れないが、ファルハルドは自分との違いを強く感じた。
セリアとの仲が深まったのは、ベリサリウスのお陰だった。
英雄の煌めきを放つベリサリウスと稀代の魔術師と呼ばれ始めたセリア。二人はお似合いだ。自分が入る隙などない。そう、フィルーズは考える。
自分は仲間としてそんな二人を支えよう、それで良いと。
ベリサリウスは気付いていた。ずっと前からセリアの心の中にいるのがフィルーズであることに。
だから、素直になれない二人をちょっとばかり後押しした。大切な仲間なのだから。
その日はフィルーズにとって人生最良の日だった。
良かったな。一時、苦痛を忘れ、ファルハルドの心も喜びに満たされた。
そして、亡者の階層を越え、悪竜の階層をも越えた先で。フィルーズは最後の刻を迎える。悪魔との戦いで。




