29. そして、パサルナーンの街へ /その②
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厚い石壁に囲まれ白黒二本の尖塔が立ち、湖の中央に浮かぶ街パサルナーン。その姿はとても目を惹きつける。
だが他にも目をやれば、パサルナーン高原にはパサルナーンの街以外にもいくつかの村や小さな街が見てとれる。
ジャンダルの話では高原全体にある街や村全てを併せて、一つの自治都市パサルナーンを形成しているらしい。
高原は南北に歩いて二日、東西に三日ほどの距離がある。無理すれば南北一日、東西二日で歩くこともできるだろう。
ファルハルドたちも強行軍をすれば、今日の日暮れ後にはパサルナーンの街に辿り着くことも可能だ。だが今は、ゆっくりとこの景色を見ていたかった。
満足いくまで景色を眺め、二人はイルマク山を下山した。高原というだけあり、エランダール側はアルシャクス側よりもかなり標高が高くなる。イルマク山の中腹から山の麓までさほど下がらない。高原は全体として、北から南西に向け緩やかな傾斜になっている。
その日はイルマク山の麓にある村で宿を乞うた。
古い街道を使う者が少ないため、この村で宿を借りる者は普段いない。それでも高原一帯ではパサルナーンの街を目指す者、皆に宿を提供する風習があるため、ファルハルドたちも不審がられることなく村長宅に宿を借りられた。
村長は昔パサルナーン迷宮に潜っていた元挑戦者だったため、食卓での話題は自然と迷宮のことになる。
なんでも迷宮を全層踏破した者は、この三百年出ていないらしい。そのため迷宮が全部で何層目まであるのか、正確には伝わっていない。迷宮に潜る挑戦者たちの間では、漠然と十層だろうと言われている。
特徴として、それぞれの階層ごとに現れる闇の怪物の種類に一定の傾向が見られるそうだ。ただし厳密なものではなく、まるで傾向の異なる敵が突然現れることも珍しくないため、思い込みは禁物だ。
「傾向? たとえば?」
「そうだな。一層目、二層目は動く石人形などの意思持つ物体が中心になる。三層目、四層目は狼人などの獣人が多いな。五層目には巨人たちがいたが、俺は二度挑戦しただけで引退したからな。よくはわからん。
五層目を主戦場に戦えれば、中堅どころと呼ばれるな。もっとも、ここ何十年も七層目に足を踏み入れた者はいないから、中堅より上の者は今はいないがな」
そして迷宮に現れる怪物たちは、外で出会う怪物に比べ、硬く頑丈な身体や致命傷を受けてもなかなか死なないしぶとさを持つものが多い。
そのためファルハルドたちのような非力な者は苦戦することが多いそうだ。全体的に迷宮に挑む者は、重鎧で身を固め、斧や戦鎚を扱う力の強い者が生き残りやすい。
もっとも、迷宮の怪物たちはその身に毒を帯びているものも多く、その点で言えば非力でも毒に耐性を持つイシュフールや解毒に詳しいエルメスタが必ずしも不利とは言いきれないらしい。
また、非力である不利は魔法を使う、あるいは魔力を帯びた武器を持つことで補える。ただ、これはこれで難しい。
戦闘に向いた法術を使えるものは少なく、魔術を使えるものは絶対数自体が少ない。魔力を帯びた武器を手に入れられる頃には中堅と呼ばれるようになっており、最も死亡率の高く、最も必要になる最初の頃には間に合わない。
「やっぱそうだよね。この前、魔術が使える者がいないと進むのが難しくなるって聞かされて。その時に魔術師を探したり、魔術院に顔を繋いだらいいって忠告されたんだけど、やっぱ難しいよね」
「そうだな。俺たちが五層目への挑戦を諦めたのも、結局は魔術師がいなかったのが一番の理由だ。五層目からは魔術なしではかなりきついぞ。かといって魔術師を仲間にしたくてもな」
「だよね」
「なにが難しいんだ」
「あー、なんて言うかな。そもそも魔術師って、人数が少なくってまず知り合うのが難しいのね。
で、知り合っても結構偏屈者ばっかりで仲良くなるのも難しいんだ。そんで仲良くなっても魔術師って、あんま戦闘に興味ない人が多くって。どっちかって言うと学者に近いのかな。
だからパサルナーン迷宮に潜ろうなんて思う魔術師はさらに少なくなるんだよ。
でも、必要で仲間にしたいと思ってる人は多い。となれば競争相手が多過ぎるね。とんでもなく難しいよ」
結局、魔術師を仲間にするのは後回しにして、最初は誰か迷宮に慣れた者と潜るのがいいだろうと忠告を貰った。
ファルハルドの怪我について尋ねられ、悪獣に襲われた話をすると非常に驚かれた。最後は旅の神官たちに助けられたと伝えたが、それ以前にただの飛礫で額の目を潰したり、悪獣の攻撃を躱しながら額の目を突き刺すなどなかなかできるものでない、と言う。
ファルハルドに自覚はなかったが、あれはやはり致死の襲撃であったらしい。その襲撃を退けたファルハルドの前に新たな追手がそう簡単に現れないことも、なるほどと納得できた。
村長からはいろいろと有用な話を聞かせてもらえた。お返しに村長には東国の話やファルハルドの体験した戦いの話を話して聞かせた。
翌朝、前途を祝う言葉と共に村長は二人を見送った。
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一歩進むごとにパサルナーンの街が近づく。街の周囲は高く厚い石の壁に囲まれている。所々煉瓦で補修されているのは街が襲われた跡だろうか。
城壁には多くの見張り台が見え、湖に架かる十の橋にも橋頭堡が築かれている。
壁の大きさも圧巻だが、やはり一番の驚きは街そのものの巨大さだ。ファルハルドの知る最も大きな街はイルトゥーランの王都だが、パサルナーンの街は比べものにならないほどに大きい。
ジャンダルもここまでの街を見るのは初めてだと言う。それもその筈。パサルナーンともう一つ、都市国家でもある神聖王国ネリオス、この二つの街こそが世界で最も大きな街だと言われているのだ。
そう聞かされてもファルハルドには疑う気持ちは湧いてこない。むしろもう一つ、並び称されるほどの巨大都市があることこそ驚きだ。
そのパサルナーンへと続く人の列は滞ることなく進んでいく。パサルナーンの門には衛兵が立っているが、特に荷物や通行証などを検めることはない。衛兵たちはあくまでも闇の怪物の襲撃や、他国の高官の急な来訪に備えている。
そしてついに、ファルハルドとジャンダルはパサルナーンの街へと足を踏み入れた。二人の新たなる冒険はここから始まる。
次話、「第一章 『神殿と組合』」に続く。
ここで一区切り。
新しくお読みいただいた方は多少なりともお楽しみいただけましたでしょうか。物語はまだまだ始まったばかり。二人の冒険もまだまだ始まったばかり。しばらく説明中心の話が続きますが、よろしければ続きをお楽しみください。
旧版をお読みの方は、違いはどうでしょうか。少しは読みやすくなったでしょうか。一章も修正した分量は少なくなりますが、印象が変わる箇所もあると思っております(「迷宮への初挑戦」とか、「胸焼く想い」とか)。よろしければ違いをお楽しみください。
さてさて、この物語がご満足いただけましたなら、どうか拍手喝采を。
なんて、ね。