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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第三章:巡る因果に決着を

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47. 幻想迷宮 /その②



 ─ 2 ──────


 老爺のあとに付いて通り抜けた時に見た光景と同じ不思議な光景が拡がっている。


 ただ、前と異なる点がある。今のファルハルドにはこの世界に渦巻く力の流れが微かにだが感じられた。

 それは莫大な力。ファルハルドはわずかに怖れを覚える。


 ふと気付く。ファルハルドの着る服や装備、さらには身体までが半ば蜂蜜色に透き通っていた。


 この世界に存在する他の物と比べれば確かな形を保っているが、前回はこんな変化はなかった。

 服や装備の感触や重さには変化がなく、これといった身体の変調もなかったため、気付くのが遅れたのだ。


 身体を動かし確かめてみる。確認できた範囲内では不調はない。ひとまず、そういうものだと納得し気にしないことにした。


 きらきらと明るく蜂蜜色に透き通るものや、光を反射し輝く薄いかすみがどこまでも続く光景を見回せば、遙か遠くに大きな、とても大きな樹らしき存在が見える。


 それは単独で屹立きつりつし、他に比べるものもないため、いったいどのくらいの大きさがあるのか、またその大樹までどのくらいの距離があるのか把握できない。



 他には特に目立つものもない。ファルハルドはその大樹に向け歩き出した。その途端に周囲が変化し始める。


 この世界に存在するものは、有るか無きかあやふやな陽炎。それが一歩進むごとに、周囲の空間が歪み凝縮し、厚みと確かさを持った壁となっていく。


 それは囲い。ファルハルドを取り囲むように不透明な壁が形成される。

 いや、少し違うのか。完全に取り囲んでいる訳ではない。通り道は残されている。


 だとすると、これは。


「迷宮……、か?」


 一本道ではなく、枝分かれする分岐点を見、ファルハルドはそのことに気付いた。


 慎重に角を曲がり先を見通すが、なにもない。見えるのは変わらぬ風景。


 これが精霊の試みだとすれば、なんらかの障害が待ち受けているのだろうと考えたがなにもない。

 だとすれば、複雑な迷路であり通り抜けること自体が困難だということだろうか。


 考えてもわからない。じっと立ち止まり考え込んでも仕方がない。

 ファルハルドは進む。そして気付いた。不調があることに。身体に、ではない。感覚に、だ。


 ファルハルドはイシュフールの特性としての絶対の方向感覚を持ち、さらには鋭敏な感覚によって目に見えない壁の向こう側のことですら多少は感じ取ることができる。


 それが失われている。大樹のある方向がどちらなのか、今どちらの方向からどちらに向かっているのか、さらに壁の向こうが、直接は見えない向かう先がどうなっているのか、まるでわからない。


 額から冷や汗が吹き出し、頬を伝い落ちる。ファルハルドはかつて感じたことのない頼りなさに襲われていた。


 当たり前としてあった感覚が存在しない。どこにいるのか、なにが待っているのかわからない。それがこれほどまでに不安を掻き立てるとは。


 ファルハルドは普段は無用な緊張とは無縁だ。

 だが、今は。身体は強張こわばり、ただ歩くだけで体力は削られていく。


 初めて知った。他の者たちがどれほどの頼りない状態でパサルナーン迷宮に挑んでいるのかを。皆、なんと勇敢なのかと感嘆する。


 ファルハルドは深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着ける。


 気持ちを立て直し、角を曲がった時。影のように黒い霞の塊が襲いかかってきた。


 気持ちを立て直したファルハルドに遅れはない。さすがの反応速度で腰の剣を抜き、両断した。


 が、しかし。


 両断された霞はそのままファルハルドに襲いかかった。斬るために踏み込んだファルハルドにはかわせない。


 黒い霞に触れられた途端、喚起される不安感。思わずファルハルドは壁に手をついた。


 頭を振り、湧き上がった不安感を押し込め、すぐに態勢を立て直す。

 先ほどの黒い霞を探すが、どこにも見えない。触れた瞬間に消えたか、あるいはファルハルドの内に入り込んだのか。


 ファルハルドは進み、次の曲がり角が現れる。警戒し、剣は抜いたまま。飛び出すように角を曲がり身をかがめた。


 今度の曲がり角にはなにもなかった。ほっと息を吐き、身体を伸ばした、その瞬間。背後から黒い霞に襲われた。


 今度、呼び起こされるは悲しみ。母が死んだ時の、ナイイェルが斬られた時の、スィヤーを斬った時の、アレクシオス副団長を斬った時の、ヴァルカが死んだ時の、ハーミが死んだ時の、その悲しみを一度に思い出す。ぴしりと微かに心のどこかが軋む音がした。


 いつの間にかファルハルドは薄い霞のように見える床に丸まり、涙を流していた。


「糞ったれ」


 ファルハルドは涙をぬぐい、はらと手脚に力を籠め立ち上がる。



 この精霊の試みの仕組みがわかってきた。黒い霞はファルハルドに負の感情を呼び起こす。


 場が迷宮の形を取っていることと併せて考えれば、その負の感情に耐えるなり乗り越えるなりして、この迷宮を見事踏破しろというのが、この試練の内容だろう。


 えげつない。対峙する強大な敵に打ち勝てというのなら、頑張れば良いだけ。

 だが、心乱す内なる感情に打ち勝てというのなら、いったいどうすれば良いのか。


 迷い戸惑うが、この試練を乗り越えなければアレクシオスを助けられないのなら、逃げ出す訳にはいかない。



 ファルハルドは気合いを入れ直し、通路を進む。


 向かう先にやはり黒い霞が存在する。黒い霞はファルハルドに気付き、急速に迫ってくる。


 幸い距離がある状況で把握できた。ファルハルドは冷静に動きを見極め、躱した。


 筈だった。確かに躱した次の瞬間には、黒い霞はすぐ眼前にいた。もはや躱しようもなく、襲われる。


 呼び起こされたのは怒り。小さな怒りなら多数ある。

 だが、この時呼び起こされたのは悲しみとも重なり合った身を引き裂くほどに大きな五つの怒り。


 一つ、デミル四世が母を苦しめ続けたことに対する怒り。

 二つ、自らを狙う暗殺部隊がナイイェルを巻き込み傷付けたことに対する怒り。

 三つ、家族であったスィヤーが悪獣に変えられたことに対する怒り。

 四つ、カルドバン村が狙われ、ヴァルカとハーミが死んだことに対する怒り。

 五つ、再びナイイェルが斬られ、アレクシオスが連れ去られたことに対する怒り。


 ファルハルドは正常な思考を保てないほどの憤怒に身を震わせる。


 考えてみれば、一つを除き他は全て暗殺部隊によって引き起こされている。そして、その後ろにいるのはベルク一世。


 だとすれば、怒れる出来事全てはイルトゥーランの王によって引き起こされたと言って良い。



 ファルハルドは荒い呼吸を繰り返し、なんとか怒りを抑え込もうとする。


 すぐにだ。もうすぐ、イルトゥーラン王と暗殺部隊を殺す。だから、怒りはその時まで取っておく。

 ファルハルドは何度も自分に言い聞かせた。また心のどこかが軋むような音を立てた。


 駆け出したい衝動を、めちゃくちゃに暴れてしまいたい衝動を抑えるにはかなりの時間と労力を要した。


 どうにか気持ちを抑えたが、精神的な消耗が激しい。ファルハルドは見通しの良い場所まで進み、しばしの休息を取ることにした。


 休みながら自分の手を見てみれば、心なしか前よりも透明化が進んでいる気がした。

 なにかがまずい。ただ、どうすれば良いのかわからない。できるのは可能な限り早くこの忌々しい迷宮を抜けること。


 ファルハルドが歩みを再開するため立ち上がった瞬間。すぐ間近に黒い霞が現れた。


 避けようもなく黒い霞に襲われる。ただ。


「なに?」


 黒い霞に触れられたが、今度はなんの変化も起こらなかった。黒い霞はファルハルドをり抜けたのだ。


 ファルハルドを擦り抜けた黒い霞は、少し離れた場所で停止している。

 黒い霞には顔はもちろん明確な形すらないのだが、なんだか呆気にとられているように感じられた。


 やがて黒い霞は現れた時と同じく急に消え去った。


「なんだったんだ?」


 今までと違う展開に戸惑うが、なにも起こらないのなら当然そのほうが良い。ファルハルドは構わず進んでいく。


 しばらくは何事もなく、ただ進むだけ。順調ではあるが、ファルハルドは警戒を緩めない。

 パサルナーン迷宮での経験に基づけば、こういうなにも起こらない状態が続く時は、その先になにか大きなことが待っているのだから。


 そして、その予想は当たっていた。


 しばらく進んだ先はそれまでの通路と違い、広場になっていた。


 他とは明らかに違う造り。ファルハルドは素早く走り抜けようとした。

 だが、ファルハルドが通り抜けるよりも早く複数の黒い霞がファルハルドを取り囲むように姿を現した。


「くっ」


 精いっぱいの抵抗を。ファルハルドは魔力を引き出し、魔法剣術を発現した。


 魔力をまとった刃で斬れば、黒い霞は消滅した。しかし、斬られれば斬られただけ、消滅すれば消滅しただけ新たな黒い霞が出現する。


 ついに、抵抗虚しくファルハルドは黒い霞に触れられた。湧き起こる恐怖。思わず抵抗が止まったファルハルドに次から次へと黒い霞は殺到する。


「う、がぁぁ、ぁあぁぁぁっぁぁぁ」


 一斉に引き起こされた負の感情の連鎖にファルハルドは呑み込まれた。

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