44. 開戦 /その①
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会戦の地で、アルシャクス、イルトゥーラン、両軍は向かい合う。
周りにいる者たちが開戦の合図を待ち今か今かと気持ちを昂らせるなか、ダリウスはちらりと離れた場所にいるヴァルダネスに目を向けた。
現王であるアルシャーム十二世にとって、これは初めて総指揮を執る大きな戦。
内政でも、軍事でも優れた才能を見せる王ではあるが、どちらかと言うとその才は内政寄りにある。国の命運をその双肩に背負って戦に向かう重圧はどれほどのものか。
豊富な戦の経験を持つ王叔ヴァルダネスは王の幕下で王を支えるのが本来の姿だろう。
だが、ヴァルダネスは最前線で現場の指揮官として働くことを願った。
なんと言って説得したのかは知らない。ただ、ヴァルダネスがなにを考えそうしたのかは想像がつく。
他国への侵略を国是とするイルトゥーランと、長い国境線を接するアルシャクスは歴史的に何度も干戈を交えてきた。
特にその衝突が激しかったのが、先代であるデミル四世とヴォロガセス六世の代。両者共が優れた武人であったこと、イルトゥーランが他のめぼしい国や領地を制圧し終わったことが理由だ。
両国共が代替わりしてからは、たまに思い出したように小競り合い程度の紛争が為されていた程度だった。
だが、七年前に雪熊将軍が倒れてから流れが変わった。イルトゥーランで王の権勢が強まり、大規模な軍事行動を行える体制が整い始めたのだ。
ダリウスは紛争でぶつかる敵軍の動きや気組みからそれを感じ取っていた。王族であり太守でもあるヴァルダネスなら、よりはっきりと具体的にイルトゥーランの変化を掴んでいることだろう。
だからこそ、後方で助言に終始するのではなく、最前線で直に敵の戦意に身を曝し、自らの手で受け止め、意志を挫かんとするのだろう。
そして、その判断の幾分かには、ファルハルドの話が影響している筈。
ヴァルダネスがどれほどファルハルドに好感を持っていたところで、たかが一平民の、しかも他国者の都合に配慮して、王族としての行動を変えることはあり得ない。
ただ、ヴァルダネスには王族としての生き方とは別に、武人としての魂が息づいている。
自らが認める戦士が、自らにとっても敵である相手から、下種そのものである振る舞いで苦しめられたのなら、憤怒を覚えるは当たり前。
その憤怒が、いくつかある選択肢の中からファルハルドの助けとなる選択肢を選ばせたとしても不思議ではない。
それはダリウスも同じだった。
元々、ダリウスはこの戦に積極的に加わるつもりでいた。イルトゥーランがいよいよ体制を整え戦に乗り出す以上、万が一アルシャクスが敗れでもすれば以後勢いに乗ったイルトゥーラン軍から長く厳しい攻勢を受けることになる。
そんなことになれば、自分たちが守る開拓地も戦場となり、開拓村の人々が殺されるかもしれない。
だから、どのみちこの戦には積極的に加わる予定でいた。
そこにファルハルドに起こったことを聞かされ、腸が煮えくり返った。単に戦うだけでは足りない。大暴れし、必ずや王城を抜き、薄汚い暗殺部隊とベルク王をぶち殺してやると決意した。
どれほど困難であろうが関係ない。正規軍を差し置いて傭兵風情がと言われようとも関係ない。外交が、指揮命令系統が、と言われようとも知ったことではない。
今こそ戦士の誇りに懸けて、アレクシオスの無念を晴らし、アレクシオスが目を掛けていたファルハルドを助けてやる。
ヴァルダネスもちらりとダリウスに目を向けた。ダリウスは頷いた。二人の距離も、その身分も遠く離れている。しかし今、二人の思いは重なり合っている。ヴァルダネスはダリウスに頷きを返した。
ダリウスは口の端を吊り上げた。横にいるオリムも笑った。
「団長。最高だな」
オリムは実に楽しげに、獰猛な笑みを浮かべている。見れば黒犬兵団の団員たちは、皆が同じ表情を浮かべていた。ダリウスが同じ笑みを返せば、皆の笑みは深まった。
そして、両陣営から開戦を告げる喇叭と太鼓が響き渡る。ダリウスは胸の前で手甲を嵌めた両拳を撃ち合わせた。
「行くぞ!」
「おおぉお!」
皆は闘志を滾らせ、イルトゥーラン軍に向け一斉に駆け出した。
─ 2 ──────
村人は警戒心も忘れ、夢中になって話している。
ジャンダルたちはイルトゥーランと敵対する者たち。村人たちとは立ち位置が違う。ただ、興奮する村人たちはそんなことには気付きもせずに話を続ける。
「初戦で将軍様が一人、敵の傭兵に討たれちまったんだけんど、その後はこっちも負けてねえで敵の本陣を攻めたりしたらしい」
「ねえねえ、それっていつの話? 開戦したってのはいつ?」
ジャンダルは気になる点を訊いてみた。村人は初めて余所者がいることに気付いたようで、訝しげな顔になる。
「あ゛ぁ? なんだ、あんたら。どこの者だい」
「ああ、おいらたち王都にある神殿への巡礼の旅の途中なんだ」
大嘘だが、これまでに訊かれる度に違う理由を説明し、最も受け入れられやすかった説明を行った。
村人には少し疑う感じが残っているが、他の村人からも尋ねられれば疑いを忘れ話を再開した。
「なんでも、開戦したのは八日前らしいぞ」
八日前。ならば、四の月十一日。ジャンダルたちが白華館でゼブよりイルトゥーランの宣戦布告を聞かされてから、だいたい一月半が経っている。
それが早いのか遅いのか、ジャンダルたちには判断する術がない。ただ、わかる。事態がついに大きく動いた、と。
これからの戦の形勢や流れなどがどうなっていくのかはジャンダルたちには予想できないが、それでもたったの七人で王城に挑むジャンダルたちにとって、イルトゥーランの状況や態勢が乱れれば乱れるほど付け入るための隙が生ずることを意味する。
この機会を逃さぬようにと、ジャンダルたちは早々に買い出しを済まし村を発つ。
そして、開戦の話を聞いてから、二日後。大森林辺縁部を移動するジャンダルたちは戦闘音を聞きつけた。揉め事に近づく気はない。しばらく身を潜めてやり過ごそうと考える。
だが、しばらく聞き耳を立てていれば、聞こえてくる音はどうにも素人臭い。ジャンダルたちは視線と身振りで意見交換し、慎重に戦闘音の発生元を確認してみることにした。
うわあ、これは。木立の陰から覗けば、一目で状況が把握できた。
旅商人らしき八名の人間が、凶暴化した六頭の狼の群れに襲われている。そのうちの一頭は、瘴気の汚染が進み悪獣化する一歩手前。これは無事に切り抜けるのは厳しいだろう。
ジャンダルたちは素早く視線を交わし、決める。まずは見た目からいかにも頼りがいのあるカルスタンとラーナが木陰から飛び出し、声を掛けた。
「大丈夫か。手助けする」
旅商人たちがこちらを認識し、助かったという表情を浮かべたのを確認。
即座にアシュカーンが守りの光壁を展開。旅商人たちの安全を確保し、ジャンダルが魔力の小球で悪獣一歩手前の個体を撃ち抜き、カルスタン、ラーナ、ペールが残りの獣たちを片付けていく。アリマはなにかあれば即動ける状態で周囲の警戒を行う。
時を置かず、六頭全ての獣を屠った。旅商人たちは皆、負傷していた。ペールとアシュカーンが治癒の祈りを祈り、傷を治していく。
「ありがとうございます。皆さんのお陰で助かりました」
旅商人たちの中では一番年長の者が代表して礼を述べる。もっとも、年長と言ってもまだまだ若くジャンダルと同年代だろう。
詳しく聞けば、この八人は主にイルトゥーラン内で商売をしている三人組の旅商人と、故郷の村から王都へ出稼ぎに行く五人の村人が連れ立った集まりだと言う。
検問所で袖の下を要求されるのが煩わしく、それを避けるために大森林内を移動しようとして凶暴化した獣に襲われたらしい。
「袖の下をけちって死んじゃったら意味ないじゃん」
「いやー、ははっ、ごもっとも。まったく、お恥ずかしい」
ジャンダルが呆れて言えば、旅商人は気まずそうに頭を掻いた。
「おいらたちも王都へ行くんだけど、どう。良かったら、一緒に行かない?」
ジャンダルはそんな様子を見て、提案した。単純な親切心から、だけではない。イルトゥーランの住人と一緒に移動すれば、道もよくわかりなにかと疑いの目も逸らせるという考えだ。
「あ、本当ですか。ぜひ、お願いします」
旅商人たちは素直に喜んだ。危ないところを助けられた身としては当然の反応だろう。
「じゃあ、宜しくね」
新しい旅の連れと共に、ジャンダルたちはイルトゥーラン内を進んでいく。




