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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第三章:巡る因果に決着を

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37. 闇の領域を行く /その④



 ─ 7 ──────


 夜。皆の疲労は限界に達している。ペールとアシュカーンは光壁の展開ができず、他の者たちも見張り番を行えない。


 だから、用意していた魔導具を使用した。


 魔導具、『一夜ひとよの光壁』。『一時ひとときの光壁』の上位品。持続時間はおよそ七刻。人五人を囲めるだけの大きさで守りの光壁と同じものを創り出す。

 きつく詰めれば、なんとかファルハルドたち七人でも中に入ることができた。


 一晩目に使わなかったのは、値段が高く一つしか用意できていなかったのと、効果が切れた時のことを考えてだ。


 素材のほとんどをファルハルドたち自身が用意して、それでも費用として大銀貨シグロイ一枚が掛かる。実に『一時の光壁』の六から七倍の金額だ。


 そして、もし光壁の展開中に大群にでも囲まれてしまえば、効果が切れると同時に大群の直中ただなかに取り残されることになる。


 有用な道具だが、なかなか使いどきが難しい。しかし、今はそんなことを言ってはいられない。たとえ後々きつい状態におちいろうとも、使用しなければ今この時を越えられない。



 光壁の外からは獣のうなり声が聞こえてくる。だが、気にしない。今はひたすら身を休める。


 深夜、その光壁に足音なく近づく者がいる。


 充分に近づいた時、ファルハルドは飛礫つぶてを放った。

 ジャンダルのように上手くはいかない。不意を打ち、当たりはしたが、それだけ。ろくに手傷を負わすこともできない。それで充分。気配は消えた。


 狙ったのは飛礫で倒すことではない。狙いは全員が疲労し眠りこけているところを襲おうとした暗殺部隊に、決して油断していないと示し、意図をくじくこと。もしも、あくまで襲ってくるなら全員を起こし応戦していた。


 それがわからないような暗殺部隊ではない。その夜、それ以上仕掛けてくることはなく、ファルハルドは意識の一部で警戒はしつつもしっかりと休んだ。



 朝が近づき、『一夜の光壁』の効果時間も終わりが近づく。


 まだ光壁は最低限の強度を保っているが、輝きは薄れ光壁の向こうが見て取れる。闇の怪物たちが集まり、目を光らせ光壁が消える時を待っている。


 その数、およそ三十。獣人や獣型の無機物たちが盛んに唸り声を上げている。敵に隙はない。


 同時に、ファルハルドたちにも不安はない。ゆっくりと眠り、深刻な疲労からは脱している。



 東の空で、地平線からわずかに太陽が姿を覗かせた瞬間。アシュカーン、ペール、アリマは唱える。


「我は難行を求むる者なり。試練の神タシムン・エル・ピサラヴィにこいねがう。我に害なすものたちの、その身を縛り給え」


「我は闇を討ち滅ぼす者なり。荒々しき戦神ナスラ・エル・アータルに希う。不可視の拳で我が目前の、悪しきものを撃ち給え」


「我が一なる意志に従いて、無形の刃は断ち切らん」


 アシュカーンは広く薄く一体一体を縛る力は弱くとも、三十体全ての怪物の行動を阻害した。そのわずかに動きが鈍った怪物たちに、ペールの不可視の拳とアリマの風の刃が放たれた。


 充分に回復した魔力が籠められた魔法は、速く鋭く怪物たちを蹴散らした。残る怪物は十四体。ファルハルドたちなら充分に戦える。


 ファルハルドは豹人や蜥蜴人、特に動きの素早い敵を狙い斬っていく。

 カルスタンとラーナは獅子人や牛人など力の強い敵から順に倒し、ジャンダルは死角からファルハルドたちに襲いかかる敵を撃ち抜いていく。


 朝日が完全に地平線から姿を現す頃、ファルハルドたちは三十体弱の敵を倒し終わった。



 一息つく間もなく、即座に移動を開始する。もう『一夜の光壁』はない。今日の日暮れまでに闇の領域を抜けんと先を急ぐ。




 戦い詰めで移動し、迎えたアータルの刻。現在地は見晴らしの良い尾根の上。周囲を見回す。


 何度か進む方角を変えながらも、ファルハルドたちは闇の領域内を北東に向かい進んできた。


 広く西側には高い山々がそびえ立ち、遙か先には遠く離れてさえ禍々しさを感じさせるより高くより荒れた山々が存在する。

 北西は、今まで通ってきた場所と同じく闇の領域の辺縁部。


 そして、北から北東にかけて。地形は次第に下り、やがて平地へと変化していく。


 といって、なだらかにつながっている訳ではない。山裾にあたる場所はほとんどが切り立った崖となっている。それ以外は、岩が崩れ落石が続く不安定な地形。

 その中のある一点をファルハルドは示した。


「あそこならイルトゥーランへ抜けられる」


 目の良いファルハルドには、一箇所だけ通り抜けられそうな地形が見えている。


「うーんと。ここからなら下りだから……、だいたい二刻ってとこかな。なんとか日のあるうちに抜けられそうだね」


 ファルハルドが指差す場所を見、ジャンダルはおおよその距離と掛かる時間に見当をつけた。出口が示され、続く戦いに少なからず草臥くたびれ始めていた皆も元気を取り戻す。


「よし。なら、さっさと行こうぜ」


 カルスタンの意見に、皆は一も二もなく賛成した。


 そして、下り始め一刻が過ぎた頃。最も会いたくないと考えていた敵とぶつかる。




 ─ 8 ──────


 三度の戦闘を経て、ファルハルドたちはそれまでとは異なる場所に足を踏み入れた。


 そこはガレ場から続く岨道そばみちであり、道の両脇が徐々に高い崖へと変わっていく広い道。


 この地形はかなりまずい。ここでは敵は崖上で身を隠して近づき、容易に高所から挟み撃ちを行える。


 もう一点、直接的にはそれがなにを意味しているのか不明だが、なぜか崖の表面が奇妙に変色している。


 ファルハルドたちは違和感をいだきながらもなにはともあれ早くこの場を抜けようと、石や岩が転がる険しく歩きにくい道を早足で進んでいく。


 足を動かしながらも、どうしても気になって仕方ないアリマがなにかを口に仕掛けた。


「――あ、あの、これって」


 しかし、その言葉は続かない。なぜなら、その時、皆が感じたから。地から伝わる振動と熱気を。皆は知っている。その存在を、その正体を。


 振り返りながら、ファルハルドは叫んだ。


「走れ!」


 現れるのはもっと奥地、あるいは火山帯だと考えていた。しかし、辺縁部でありただの山であるこの場で『迫る溶岩』が襲い来る。



 守りの光壁で止めることはできる。だが、ペールたちは朝からの連戦で疲労が溜まっている。光壁を維持したまま逃げきれるとは思えない。

 昔、ハーミが行ったように法術で迫る溶岩から力を奪うことも、疲労が溜まった今の状態では難しい。


 対抗するための魔導具も用意はしているのだが。


 ジャンダルは腰の後ろの小鞄からその魔導具を取り出し、後ろ目で迫る溶岩との距離を測った。そして言う。


「こりゃ、無理っ」


 空間的に制限される迷宮内とは違う。迫る溶岩は存分に広がり、本体までの距離は遠い。投擲武器を得意とするジャンダルであっても、とてもではないが届かない。


 走る。皆は懸命に駆ける。


 しかし、迫る溶岩の移動速度は速く、すでにアリマの息は上がっている。このままではすぐにでも追いつかれる。残された時間はもはやない。ならば、打つべき手は。


「ジャンダル!」


 ファルハルドはジャンダルに向け、手を伸ばした。ジャンダルはファルハルドの意図を理解する。ただ、その危険度は高過ぎる。ジャンダルは躊躇ためらう。ファルハルドは言う。


「他に手はない」


 ジャンダルは仕方なく、手に持つ魔導具を渡した。


 ファルハルドは横の崖へと走る。皆はそのまま道なりに走り、迫る溶岩は皆を追いかける。ファルハルドは崖を一番上まで駆け上がり、跳んだ。


 重力に従い、落下。皆を追いかける迫る溶岩は眼下に至る。


 ファルハルドは手に持つ魔導具を投げた。本体は外したが、それでもすぐ傍に落ち、魔導具は割れた。

 その瞬間、渦巻く冷気が発生し、迫る溶岩は急速に熱を奪われる。


 魔導具、『てつく満月』。『狂える巨人』の一体、霧氷の巨人から採れる素材を主として造られる魔導具。割れると同時に、強力な冷気を発生させる。


 高価であること、巨人たちの階層に挑む頃には迫る溶岩に出会う機会が少なくなること、発生する冷気の効果範囲がその都度違うことから、使われることのほぼない魔導具だ。

 ファルハルドたちもあくまで念のためにと、一つだけを用意していた。


「ファルハルド!」


 仲間たちは反転、地面に転がるファルハルドに駆け寄った。


 ファルハルドは落下の最中、冷気の発生に巻き込まれ左足に凍傷を負う。さらには着地した場所がまだ完全には熱を失っていない迫る溶岩の上だったため、火傷も負った。


 アシュカーンが手を当て、治癒の祈りを祈る。しばし祈り、なんとか歩ける程度には回復した。


 カルスタンとペールはまだまだ熱い溶岩の上を進み、動きの鈍った迫る溶岩の本体にとどめを刺した。


 ファルハルドは礼を言い、立ち上がった。が、歩こうとして、なにもないところでつまずいた。

 見れば、急速な冷却と加熱、落下の衝撃により、左足の靴がぱっくりと裂けていた。


 ここは闇の領域。近くに人家があるとは思えない。予備の靴も持っていない。これには困った。


「ちょっと、貸して」


 仲間に周囲の警戒を頼み、ジャンダルは革袋を切ってちょうど良い大きさの革を切り出し、針と革紐で裂け目を覆って縫いつけていく。

 さすがは『器用さ優れるエルメスタ』。作業はあっという間に完了した。


 地面を踏みしめ、蹴ってみる。激しく踏ん張る戦闘を行うには不安があるが、歩く分には支障なさそうだ。


「助かる」


 迫る溶岩を恐れ逃げ出したのか、近くに怪物たちの気配はない。ファルハルドたちはそれ以上の襲撃を受けることなく進む。




 いよいよ道がなだらかとなり、闇の領域である荒れた山々の終わりが見えた時。道の真ん中に一人の人物が立っていた。


 それは白木の杖をつき、見たことのない不思議な素材の服を着た白髪白髯の老爺。


 不思議な雰囲気を漂わせている。まるで、目の前にいながら、こことは次元の異なる世界に属するかのような、そんな奇妙な印象を与える人物だった。


 端とは言え、まだここは闇の領域。なのに一人で無事に立っている。

 であるのに、そのことに違和感を感じない。なぜか、この老爺なら当然のことだと思えてしまう。


 ただ、それほどまでに不可解な未知の人物でありながら、なぜか皆は以前会ったことがあるかのようにも感じていた。


 その老爺はファルハルドを認め、口を開いた。


मम पौत्रः।(我が孫よ。)|आत्मा इच्छानुसारम्, २.《大いなる存在の意思に従い、》|अहं भवन्तं उद्धर्तुं आगतः।《私はお前を迎えに来た》」

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