33. アヴァアーンで /その③
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ファルハルドたちは通行証を受け取り、宮殿を出た。
通行証は余人ではなく、ヴァルダネスにカースィムと呼ばれていた側近がわざわざ持ってきてくれた。手渡しながら、「可能な限り、奴らの兵を引きつける。頑張れよ」と伝えて。
馬車を街外れに停め直し、宮殿を出たファルハルドたちは三戦神の神殿に向かった。
神殿内の様子に変わりはない。の、だが。
ファルハルドがファイサル神官が今もこの神殿に在籍しているかどうか尋ねると、その尋ねられた神官はファルハルドの顔をまじまじと見詰めた。
「これは、教権師様ではありませんか。ささ、どうぞこちらへ」
意味がわからないが、どんどん集まって取り囲み、ぐいぐいと手を引っ張る神官たちの暑苦しさと強引さに、疑問を口にする暇も抵抗する気力も奪われる。
奥の来客用の部屋に通され、しばらくすればファイサルと前に導師と呼ばれていた老神官が姿を見せた。
「教権師殿、よくぞ来てくれた」
「…………」
戸惑い返事もできない様子を見て取り、こちら側の人柄を知るファイサルが説明をする。
「ファルハルド殿、お久しぶりですね。ファルハルド殿のお陰で、長年誰も読むことができなかった『聖文碑』を読むことができましたからな。その功績を讃え、神官たちの学識を深め導く者であることを表す『教権師』の位を贈らせていただいたのです」
それは嫌がらせか。ファルハルドは危うく腰の剣に手を伸ばしかけたが、なんとか踏みとどまる。
奥の扉から、品のある手箱を捧げ持った若い神官が現れた。その手箱を導師は受け取り、ファルハルドに差し出して蓋を開いた。
「教権師のために神官服を用意した。さあ、着るが良い」
そうか、斬っていいのか。ファルハルドの目の色が洒落にならない変わり方をしたのを見て取り、慌てて仲間たちは割って入った。
「それは名誉なことだねえ」
「まったくです。本当に素晴らしい」
「ただ、ファルハルドは剣士なのである。神官服を着ては精緻な動きに影響が出かねん。残念であるが、神官服は別の機会に着るのである」
ジャンダル、アシュカーン、ペールが言い繕い、カルスタンとラーナはファルハルドの肩を掴んで止めている。アリマとゼブは不自然な笑顔で何度も頷いている。
ファイサルは笑っている。どうやらファルハルドがどんな反応をするかわかったうえで、半分揶揄いの気持ちも籠めての発言だったようだ。
「それで、どうされたのです。暇ができたので遊びに来た、という訳でもないでしょう」
ファイサルはアリマやラーナ、アシュカーンとも面識がある。これだけの実力者が揃って旅しているなら、それ相応の理由があるのだと予想する。
今はファルハルドの精神状態が怪しいため、代わってジャンダルが説明をした。
厳つくも穏やかだったファイサルと導師の顔付きに厳しさが表れる。
「国と国の関係ならば立ち入る気はないが、武器すら持たぬ手弱女を斬り、童男を攫うとは許しがたい」
「はい。生きることは戦い。であろうとも、力なき者を傷付けるなど戦神様は許されません。
導師様。ファルハルド殿は教権師。ならば、これは迫害と見做せるのではありませんか」
このファイサルの発言にペールとアシュカーンの顔色が変わる。息を呑み、揃って導師の答えに注目する。
「ファルハルド殿が教権師となったことを布告していなかったこと、本人もそれを知らなかったこと、神官としての活動を行っていなかったこと、教権師であると他の者が判断できるように示していなかったことを考え合わせると、迫害が行われたと言い立てるのは無理がある」
なんの話なのか、ファルハルドたちには理解できないが、神官たちは揃って渋い表情をしている。
「だが、我らが被害を被った戦神様の僕に手を差し伸べるのはなんら問題ない」
神官たちは、おおっと息を吐き、愁眉を開く。いや、戦神に仕えた覚えはないが……、とファルハルドは思うが、それを口に出せる雰囲気ではない。
「部屋を用意しよう。本日は泊まられれば良い。イルトゥーランでも神殿の協力を得られるよう、連絡牒を用意しよう」
ファルハルド一人なら、イルトゥーランに入ったあとは人目を避け王城まで進むことも可能だが、今回は仲間がいる。敵地をどう移動するかは悩みどころであっただけに、この申し出はありがたかった。
神官どころか信徒にすらなった覚えがないという点に目を瞑れば、だが。
「闇を打ち払う猛々しき神であるナスラ・エル・アータルよ。我ら人は争い、血を流し合う。何卒、罪深き我らを赦し給え。そして、苦難に立ち向かう、この者たちに祝福を」
導師はファルハルドたちのために祈った。それは法術を発現する祈りではない。加護を授ける祈りでもない。光の神々を信ずる神官としての純粋なる祈り。
これでなにが変わる訳でもない。だが、その気持ちを感謝と共に受け取った。
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そのあとは夜までファイサルと互いの話をして過ごす。ファルハルドは指摘する。
「それは墨か」
ファイサルの指や袖には黒い染みが点々とこびりついている。
「やや、これは」
ファイサルは照れた様子でつるりと頭を撫でた。なんでも、今では神官戦士として『聖文碑』の警備の長を務めると同時に、イシュフールの言葉を神官たちに教える教師の役目も務めているらしい。
「多くの者が聖文を読めるようになるため、ぜひイシュフールの言葉を覚えたいと希望しておりましてな。
ただ、なかなか耳慣れぬ言葉だけあり、皆も苦労しております。おお、そうだ。書き付けを確認していただいても良いですか」
ファイサルはファルハルドからイシュフールの言葉を学んだ際の覚え書きを基に教えているが、その書き記した内容に間違いがないかを確認して欲しいと言う。
「ああ、構わない」
ファルハルドとしても、なかなか使う機会のないイシュフールの言葉に触れられるのは嬉しい。自身、母に教わっていた時のことや、ナイイェルと一緒にアレクシオスに教えている時のことを思い描いていた。
「そういえば、あの石碑の失われた部分がないか、各地で探すとか言っていたのはどうなったのだ」
各地の神殿、荒々しき戦神の神殿だけでなく、狡知なる戦神、抗う戦神の神殿とも協力し探しているが、捗々しくはないらしい。
ただ、その過程でイシュフールの言葉でも、広く使われるオスクの言葉でもない、未知の言葉で書かれた石碑や古文書が見つかっていると言う。
「それは今では失われたアルマーティーやウルス、エルメスタの言葉か?」
「おそらくは。それらの言葉を知る者がいないかも探しているのですが、それもなかなか」
この話題にはアリマが身を乗り出して食いついてきた。
「見、見たい、です」
ファイサルはアリマの勢いに少し身を引いた。
「それらの写しならば、あるにはあるが」
「どこ、見たい」
ファイサルはアリマと面識があるが、きちんと話したことはなかった。そのため、大人しく物静かだと思っていた女性の意外な姿に驚いている。二人の様子を見て取り、ジャンダルが助け船を出す。
「なに? ひょっとして、アリマはエルメスタとかの文字が読めるの?」
こう問われ、アリマはぴたりと動きを止めた。
「――い、いや、読めない、けど」
「なぁんだ。じゃあ、見てもしょうがないじゃん」
アリマは視線をあちらこちらに彷徨わせる。
「――で、でも。『愚者の集いし園』で資料を読んだことは、ある、よ。教導なら、いくつかの単語は読めた、と思う、し」
「ほう」
ファイサルの顔が明るく輝く。
「なるほど、パサルナーンの魔術院には資料があるのですか。その資料を拝見させていただければ助かりますね。それに、その教導と仰るかたにも協力いただければたいへんにありがたい」
後日、正式に協力を要請してみると言う。
アリマにもなにかわかればと写しを見せてくれた。結局、アリマには読むことはできなかったが、昔見た資料から考えて、おそらく見せられた写しに書かれている言葉はアルマーティーの文字である筈だとは言う。
アリマは許可を貰い、その内容を書き写させてもらった。そのあとはずっと一人で、にやにやその写しを眺めている。
ファルハルドたちは夕食を神殿の神官たちと共に摂った。
食卓の会話でパサルナーン迷宮での戦いの話を請われ、話して聞かせた。
戦神に仕える神官たちは闇の怪物、特に悪竜と戦う話に大いに感心し、ファルハルドたちに深い敬意を示した。
次話、「闇の領域を行く」に続く。




