32. アヴァアーンで /その②
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アヴァアーンの様子に特段の変化は見られない。
太守であるヴァルダネスの統治手腕の賜物か、直接的には戦場にならないためであるのかはわからない。パサルナーンよりは人口少なくとも、大勢の人々で賑わい活気に満ちている。
苦役刑の行き帰りでは、近くを通りはしてもアヴァアーンに立ち寄ることはなかった。そのため、ファルハルドがこの街に入るのは七年ぶりとなる。
といって、街並みを眺めても懐かしさは感じない。神官戦士のファイサルのことを思い出していた。
ファイサル神官は、農耕神の神官が赴任するまでカルドバン村で在村神官の役目を肩代わりし、在村神官が到着したあとファルハルドを追いかけパサルナーンにやって来た。
その後、一年ほどイシュフールの言葉について学んでから、この街にある戦神の神殿に帰って行った。
今もいるかどうかはわからないが、あとで訪ねてみようと考える。
まずは公的に効力のある鑑札に書かれた用を済ませるため、宮殿へと向かう。
前回、黒犬兵団の用件でアヴァアーンを訪れた際は、街に入ってすぐの場所に宿を取り、荷馬車を預け歩いたが、今回は鑑札とパサルナーンの名家ガッファリー家の名により、宮殿傍まで馬車で進むことができる。
宮殿横の馬車溜まりに馬車を停めれば、特徴的な青緑色の丸屋根と黄色がかった石壁を持つ宮殿は目と鼻の先だ。
ファルハルドもこの宮殿に足を踏み入れるのは初めてだ。ワリドやダリウスたちと来た際は宮殿ではなくそのすぐ手前にある建物に向かい、ヴァルダネスと謁見したのは戦場近くの天幕であったのだから。
そのため、一行の誰もが宮殿になど初めて足を踏み入れる。ただ、それを理由に緊張している者はいない。権威や権力に興味も関心もない者たちばかりだからだ。唯一ゼブだけが、主家に迷惑を掛けぬようにと多少気を払っているくらいのものだ。
控えの間に案内されたファルハルドたちは豪華な調度品を眺めながら一刻ほどを過ごした後、呼び出しの声を掛けられた。
相手はこの街を統べる者。戦の準備で忙しい中、拝謁を申し込んでも断られるのではないかと考えていたが、あまり待たされることもなく順番となった。
拝謁を断られれば、それを理由にさっさと街を出て先を急ごうと思っていたのに当てが外れた。仕方なく案内役に従い、大人しく謁見の間へと進む。
謁見の間は広いは広い。ただ、主の身分から考えれば、意外に狭い。セレスティンの私室より二回り狭いくらいだ。
その謁見の間には二十人ばかりの人々が詰めている。過半数は太守の護衛である警護兵。残りは政務や軍務を司る近臣たち。
そして、三段高くなった場所に太守の座が据えられている。他の者を立たせ、太守であるヴァルダネスだけが威厳に満ちた様子でただ一人その座に腰掛けている。
以前会った時にも威厳に満ちた人物であったが、今はその時の比ではない。公的な場に相応しい豪奢な衣装をまとい、抑えることなく王者の気配を放っている。
どんな立場にあるのか知らない者が見たとしても、何処かの王族であると一目でわかる。
もっとも、そんなヴァルダネスを目にしても、やはりゼブ以外の仲間たちは気圧されたりはしていない。もっと遙かに圧倒的な存在感を放つ者と対峙した経験があるのだから。
三百年前の英雄の一人にして、亡者の女王、セリア。あの理外の存在感と比べれば、王者の気配もそよ風にすぎない。
ファルハルドたちは案内役の指示に従い、ヴァルダネスとは大きく離れた位置で立ち止まった。ここからなら剣で斬りかかろうとも、魔術を放とうとも、警護兵が充分に対処できるだけの距離がある。
謁見の間に着く前に案内役からこの場の作法を伝えられている。這いつくばる必要はなく、ヴァルダネスに直接話しかけることも許されているそうだ。面識のあるファルハルドが代表して発言する。
「パサルナーン迷宮挑戦者ファルハルドと、その一統でございます。ヴァルダネス様に於かれましては、以前に悪獣の群れに襲われ多大なる被害を被ったカルドバン村にお慈悲を賜れましたこと、厚く御礼申し上げます」
ファルハルドはカルドバン村の住人でなければ、そもそもアルシャクスの国民でもない。礼を述べる筋合いはないが、まずはこれを言わなければ話が始まらない。そのため、仲間たちと考え、暗記するまで練習した。
続けて、用件を述べる。
「この度、アルシャクス内の通行許可を願いたく、罷り越しまして、ございます」
途中、つっかえてしまったが、充分許容範囲だろう。
「何故、通行を望む」
ヴァルダネスは甘さも親しさもない声で問う。公式な場であるためだろう、前回の謁見時とは勝手が違う。
「はっ、イルトゥーランにより連れ去られた我が子を取り返すためでございます」
「なに。彼の国が其方の子を連れ去ったと言うか」
「はい。詳しい話はこの者より述べさせていただきます」
ファルハルドは説明役をゼブと交代した。あまり長い時間、ファルハルドが話すと襤褸が出てしまう。そのため、予め練習していた口上を済ませればさっさと交代すると決めていた。
ファルハルドが下がり、ゼブが前に出る。
「パサルナーンのガッファリー家に仕えるゼブと申します。それでは、私より述べさせていただきます」
ゼブはベルク王や暗殺部隊の名を出さず、パサルナーンで起こったことを上手くまとめて話した。近臣たちは騒つき、ヴァルダネスの眉間に皺が寄る。
近臣たちがゼブにより詳しい説明を求め問いただした。ゼブが答えるよりも先に、ヴァルダネスが右手を上げた。場の空気が張り詰め、近臣たちは口を閉ざした。
「皆の者、退がれ」
ファルハルドたちに付いていた案内役も、近臣たちも一人を残し退出する。警護兵たちは変わらずそのまま。
ファルハルドは一人残った近臣を見、気付く。この近臣は前に謁見した際にも同席していた側近の者だと。
近臣たちが退出すれば、ヴァルダネスは深々と溜息を吐き、厳しく引き締めていた顔を少し緩めた。
「相も変わらず、特異な目に遭っておるな。まったく。俺に仕えておれば、手出しなどさせなんだものを。まあ、良い」
ヴァルダネスは愚痴らしきものを口にしたが、側近の者が咳払いをすればそれ以上続けることは控えた。
「それで、なにがあったのだ。先ほどの説明では経緯がわからん。なにを伏せておるのだ。詳しく話せ」
わざわざ近臣たちを退がらせ、話をしろと言ったということは、忌憚なく話をさせるためだろう。
なにをどこまで話すのかは問題だが、ファルハルドのことは妙に気に入られていたし、ほとんどのことは国が本気で調べるなら調べが付くこと。態度や言葉遣いを普段通りにして良いのであれば、話して聞かせても良いかと、ファルハルドは話し始める。
エルナーズたちやセレスティンなど、この場にいない者たちに関することはぼかし、母ナーザニンが死んでから起こった一連の出来事を淡々と感情を交えず掻い摘まんで話し終えた。
途中からは側近はもちろん、警護兵も話に引き込まれていた。ただでさえ波瀾万丈な上、敵国であるイルトゥーランと対立し、その意思を挫いてきた者の話なのだ。夢中になるのは当たり前だと言える。
「待ち受けるのは死地であるぞ。わかっておろう」
ファルハルドが話し終えると、ヴァルダネスは問うた。ファルハルドは迷うことなく答える。
「どうでもいい。我が子を取り返し、奴らは殺す。それ以外は、心底どうでもいい」
長い沈黙の後、ヴァルダネスは溜息をついた。
「カースィム、どうだ」
ヴァルダネスは後ろを振り返り、残っていた側近の者に問いかける。
「確かに、闇の領域を通ってイルトゥーランに入国するのが最良でしょう。あとは日数を合わせることができれば、効果的かと」
「ふむ」
ヴァルダネスは再びファルハルドに顔を向け、話す。
「国内だけなら、護衛を付け、もっと近場で国境を越えさせてやることもできるが、イルトゥーランに入ったあとのことも考えれば、やはり西部開拓地まで行き、闇の領域を通り抜けるのが最も奴らの備えが手薄であろうな。国内を進むための通行証を用意してやろう」
「ありがとうございます」
これには仲間たちも喜び、ファルハルドは心からの礼を述べた。
「良い。俺も奴らの遣り方は気に入らん。ふん。まったく、恥知らずどもが。それでよくも『戦士の国』などと称するものだ。
それにお前が奴らに一泡吹かせてくれれば、それはこちらの戦にも利するでな。では、控えの間で待っていろ。通行証を届けさせよう」
ファルハルドたちが感謝の言葉と共に謁見の間から退出しようとすれば、最後にヴァルダネスは付け加えた。
「我らが軍の鎧姿、似合っているではないか。全てが終われば、また訪ねて来い。パサルナーン迷宮のことも聞いてみたい。ゆっくり杯を交わそうぞ」
ファルハルドは承諾の返事をした。




