29. 打立 /その②
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突然の凶行を目にした村人たちは悲鳴を上げ、怒号を上げる。興奮する村人たちに取り囲まれたまま、ジャンダルは手を叩いてよく響く大きな音を立てた。耳目を集め、殊更に軽く話す。
「はいはーい。よーく見てね」
ジャンダルは爪先で斬られ倒れている村人の右手をつついた。
「あ、えっ?」
その手には抜き身のナイフが握られている。それも、刃にぬらりと光を反射するなにかが塗られたナイフが。
なんだと手を伸ばそうとした村人をジャンダルが止めた。
「それ、毒が塗られているから、触っちゃ駄目だよ」
村人は慌てて手を引っ込めた。
「村長さんにもまとめて説明したいから、誰か呼んできてもらってもいい?」
ジャンダルに声を掛けられた村人は、転げるように村長を呼びに向かった。急ぎ村長を呼んでくる必要を感じたからというより、ファルハルドの近くにいるのに耐えられなかったからだろう。
村長がやって来る頃には、騒ぎを聞きつけたユニーシャーやカルスタンたちも集まってきていた。村長に問いただされ、ジャンダルがパサルナーンであったことから始め、事の次第を説明した。
「奴らは当然、この村にも見張りを置いてるだろうとは思ってたんだけどね。このお人がそうだってこと」
村人たちは突然聞かされた驚愕の話に戸惑っている。元々、ファルハルドにはなにか複雑な事情があるだろうとは思っていたが、その因縁は想像を超えていた。
急に聞かされた話、六年前村を大群から救ってくれた恩、自分と同じ村人を突然殺された恐怖、全てが合わさり混乱する。
村長は冷静に聞き入っている。ユニーシャーたちと村長には、悪獣の大群を退けたあと、なぜそんなことが起こったのか詳しい説明を行っていたからだ。
だからこそ、今回の出来事も落ち着いて受け止めることができている。ただ、そのままジャンダルの話を鵜呑みにしたりはしない。
「イルトゥーランの者たちがファルハルドさんを狙っているのは確かなんでしょうが、だからと言って、そのウトゥクがファルハルドさんを殺そうとしたとなぜ言えるのですか」
疑っているというよりは、村人たちの手前、ちゃんと皆を納得させられるだけの根拠を示せと言っているようだ。
「なに? この村って、毒を塗ったナイフ、普段から持ち歩くんだっけ? そんなやばい村だった?」
村長は顎を撫で、少し考える。
「ふむ。悪獣や害獣の退治に毒を使うことはありますが、普段は狩りでも使いませんな。しかし、そのナイフに本当に毒が塗られているのですか」
「なら、ちょっと確かめてみよっか」
ジャンダルは素早く飛礫を打ち、空を飛ぶ鳥を落とした。死んではいない。鳥は地面で藻掻いている。翼を折られ、飛ぶことができなくなっただけだ。
ジャンダルは藻掻く鳥に近寄り、皆の目の前で倒れている村人、ウトゥクが握っていたナイフで浅く傷付けた。
途端に鳥は激しく身を震わせ、全身から血を吹き出し死んだ。
村人は怖れ慄いた。村人たちが使う毒はそこらに生える毒草から作るもの。こんな強力な毒は誰も見たことがなかった。
「うっはー、想像以上の猛毒だね。こんな猛毒のナイフ、殺し以外のなにに使うっての。
それにこのお人、昔からのこの村の住人じゃないよね。おいら、一度見た人の顔は忘れないからね。あの大群に襲われたあとに移住してきた人、だよね。手の者を紛れ込ませるには、そりゃ良い機会だったろうさ」
村人も村長も反論はしないが、どうにも納得しかねているようだ。なにか言いたそうに不満顔だ。
やはり、村長が代表して疑問を口にした。
「ウトゥクが毒のナイフを持っていたのはわかりました。ただ、それがすなわちファルハルドさんを殺そうとしたことを意味する、とはならないでしょう」
ジャンダルは顔を顰めた。確かに襲いかかる前に斬ったため、ウトゥクが殺意を持っていたと証拠立てるのは難しい。暗殺部隊の手の者である以上、毒のナイフ以外の証拠を残しているとも考えにくい。その点を突かれると、どうにも苦しい。
「猛毒のナイフを手に持って、人影に隠れてふらつく兄さんに忍び寄る。命を狙う以外にどんな理由があるっていうの?」
ジャンダルは苛立たしげに言う。村長はジャンダルに真っ直ぐな目を向ける。
「疑わしいというだけで村人を殺され、わかりましたと呑み込めると思いますか。皆さんには返しても返しきれぬ恩がございますが、それはそれ、これはこれ。村人を殺され、なにもなかったことにはできません」
ジャンダルは言葉に詰まり、ユニーシャーたちが助け船を出そうとした時。ファルハルドが口を開いた。
「確かにそうだ」
ファルハルドがこれまで無言であったのは、話される内容に無関心であったからではない。意識の集中と拡散を行い、ウトゥク以外に不自然な動きを見せる者がいないか注意を払っていたのだ。
周囲に他に手の者は隠れていないと見極めがついた。ここからは自らの責任として引き受ける。
「俺の因縁にこの村を巻き込んだこと、申し訳なく思う。村長が言うことはもっともだ。命を奪った以上、罰せられて当然。この首を刎ねるなり、括るなり好きにしてくれ。
だが、俺はアレクシオスを取り返さなければならない。今は償うことができない。アレクシオスを連れ返したあとならば、どのような罰でも受ける。だから、アレクシオスを連れ帰るまで待ってもらいたい」
ファルハルドは毅然と言い、静かに頭を下げた。
「ちょっ、兄さん」
仲間たちは焦り、村人たちは狼狽する。
仲間たちにはわかる。ファルハルドが完全に本気で言っているのだと。自己防衛を行っただけ。なのに、あっさりと死ぬ気でいる。
村人たちは知っている。六年前の戦いで、ファルハルドが最も厳しい場で戦い続けたことを、戦いのあと、なに一つ恩に着せることなく黙々と村の復旧を手伝ってくれたことを、どう見ても人付き合いが苦手なのに村人たちが話しかければ断ることなく誠実に対応することを、子供たちの相手をしている姿を見ればわかる不器用な優しさを持つことも。
ファルハルドを疑っている訳ではない。罰したい訳ではない。ましてや殺したい訳がない。ただ納得したい、それだけなのだ。その気持ちは村長も同じだ。だから、言う。
「ファルハルドさん。あなたの首を刎ねてもなんにもなりません。奪った命に見合う金を払って下さい」
ファルハルドはこの発言に戸惑った。
「命を奪ったのだ。それを金で償うのか?」
「そうです。このままでは、働き手を失ったウトゥクの家族は困窮します。彼らの暮らしが成り立つ以上の、充分な金額を払って下さい。それを贖いとしましょう」
ファルハルドの戸惑いは収まらない。
「払うのは、もちろん構わないが……、しかし……」
「では、ウトゥクの家族に選ばせましょう。確か、妻と息子がいたな。誰か、呼んできてくれ」
二人の村人が連れ立ち、ウトゥクの家族を呼びに向かった。ただ、その二人はなかなか帰ってこない。やっと帰ってきたと思えば、なにやら女性と男の子を追い立てるようにして連れてきた。
村長は訝しげに問いただす。
「お前たち、なにをしている。呼んでくるようにと言ったのだぞ。なにを手荒い真似をしているのだ」
ウトゥクの家族を連れてきた村人は怒りを交えて答えた。
「いや、村長。聞いて下さい。こいつら、こそこそ村から逃げ出そうとしてやがったんです。疚しいことがある証拠ですよ」
「本当なのか」
村長はウトゥクの妻に問いかけた。ウトゥクの妻はずっと怯え震えている。とてもまともに答えることのできない状態だ。怯える妻が答えるより早く、男の子が声を上げた。
「父ちゃん!」
男の子は血を流し地面に伏せるウトゥクの姿を見つけ、駆け寄った。ウトゥクの身体を揺さぶり、何度も何度も何度も呼びかける。ウトゥクが応えることはない。男の子は父親が事切れていることを悟り、大泣きする。
「父ちゃん……、なんで……」
震えたまま妻は男の子をその胸に抱え、周囲の視線から庇い、震える声でファルハルドに言った。
「お、お許しを」
妻と男の子を連れてきた村人は、この二人になんの説明もしていない。
なのに妻は質問した村長にではなく、ファルハルドに対して話した。それも許しを請うて。
もはや疑う余地なく、ウトゥクがファルハルドの命を狙ったこと、妻はウトゥクがそうすると知っていたことが示された。
命を奪おうとする者は自らが奪われても仕方がない。誰もがそれを当然だと考える。明文化された法ではない。自然な感情に基づいた人の世の掟だ。
皆はファルハルドの様子を窺う。ファルハルドが償う必要はないと、むしろウトゥクの妻と子を処罰すべきではないかと考えながら。
「その男は俺が斬った。俺には為さねばならないことがある。それを為したあとならば、望む償いをする」
「おいおい、その男は敵だろう。償うってなんだ」
カルスタンはファルハルドの発言に反発するが、ファルハルドは取り合わない。
ただ、ウトゥクの妻にはファルハルドの言い分に耳を傾ける余裕もないのか、ずっとお許しをと繰り返し続けている。
噛み合わない状況を取りもつのは、やはり村長だった。
「ルヤ。このファルハルドさんはこう言っているが、ウトゥクが命を狙った以上は返り討ちに遭ってもそれは仕方がないと思う。ファルハルドさんがお前たちを責めたとしても、私には止められない。
それでも、償いたいと言われておるのだ。贖い金を貰って終わらせてはどうだ」
ウトゥクの妻、ルヤはおろおろとあちらこちらに視線を彷徨わせる。助けを求めようにも味方はいない。視界に入るほとんどの者が腹を立てている。皮肉なことに、最も同情的なのがファルハルドであるほどだ。
ルヤが同意の言葉を口にしようとした時、男の子が叫んだ。
「うるさい!」
男の子は母親の腕の中から抜け出し、ファルハルドに殴りかかった。ファルハルドは避けることなく、そのまま殴られるに任せる。男の子はおそらくアレクシオスと同じぐらいの年齢だろう。子供の腕力でどれだけ殴りつけられようとも、なにほどでもない。
殴り疲れた男の子はファルハルドの服を掴み、揺さぶろうとする。当然、子供の腕力と体重ではできない。自分の身が揺れている。
男の子は泣きながら叫ぶ。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。父ちゃんを返せ! 殺してやる。お前を殺してやる。ぜったいに殺してやる」
憎悪に染まり、血走るその目はとても幼子が持って良いものではない。ほとんどの村人たちは気を呑まれている。多少なりとも平静なのは、村長たちやファルハルドたちだけだ。
村長やニユーシャーたちは悲しげに眉を顰め、ジャンダルたちは痛ましさと苛立ちの混ざった表情を浮かべている。ファルハルドだけがなんの感情も見せず、静かな目で見詰めている。
子供の体力が尽き、叫び続ける言葉も途切れた時、ファルハルドは言う。
「俺だけを狙うのなら良い。いつでも俺を殺しに来い」
皆は一斉にファルハルドを見た。ファルハルドは続ける。
「俺は強いぞ。そう簡単には殺れぬと知れ」
男の子は反射的に叫んだ。
「のぞむつぐないをすると言ったな! なら、俺をきたえろ! お前を殺せるように、お前が俺をきたえろ!」
あまりにも無茶な言い草に皆は呆気にとられる。だが、ファルハルドは平然と言った。
「わかった」
皆はより一層呆気にとられた。




