27. ラーメシュとニユーシャー /その④
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ファルハルドはその後十日ほどを、右腕を吊ったままで過ごした。ファルハルドとしてはちょっとした仕事を手伝うつもりだったが、誰もかれもがいいから安静にしろと言う。
こうも人から心配されると逆に落ち着かなくなる。他人から向けられるのは無関心か嫌悪、あるいは憎悪。それがファルハルドにとっての当たり前だった。旅の間、助け合うならまだしも、腰を落ち着けた状態だとどうにもむず痒くていたたまれなくなる。
結局十日経ち、右腕が動かせるようになってからは無理を言って仕事を手伝った。力仕事はさすがに止められたが、ラーメシュたちの店での料理の給仕、裏の畑の草むしり、左手での薪割りなどを行った。
そのどれもがファルハルドにとっては新鮮な体験だった。考えてみれば、まともな暮らしを送るのはこれが産まれて初めてだ。細々したこと全てがファルハルドに驚きと喜びを与えた。
ジャンダルは昼は薬の材料を採りに出かけたり、村人たちの診察を行ったりした。最初は鋳掛屋を開こうとしたのだが、この村には鍛冶屋がいたため断念した。
畑仕事は性に合わないのか手伝おうとはしなかったが、夕方から開かれる店の手伝いは行った。笛の演奏や巧みな会話で場を盛り上げる。
またジャンダルは一度停泊地に出かけ、新しくジャンダルとファルハルドの服や靴を手に入れてきた。特にファルハルドの服が必要だった。
一年間の森の中での逃走と悪獣との戦いで襤褸襤褸になり、荷車に載せていた晴れ着に着替えた。ただし厚く包帯を巻く必要から、右袖を切り落として着ていた。
そのため、包帯を巻かなくても良くなったのを機に、多少は防御力も期待できる丈夫な上着に替えたのだ。
夏場には些か暑苦しいが厚手の革製だ。靴も旅人向けのしっかりした作りだ。革の手袋も用意した。手袋で悪獣の牙を防ぐのは無理だが、少しでも保護になるように用意することにしたのだ。
ジャンダルの分もある。ジャンダルのものは飛礫打ちの邪魔にならないような薄手のものだ。
ラーメシュたちは昼間は畑仕事をし、夕方から店を開く。忙しくて料理を作る暇のなかった村人や、ときには旨い酒を片手にお喋りに花を咲かせたい村人たちが集まる、一種の社交場として賑わっている。
対して、宿屋は閑古鳥が鳴いている。宿屋の客はファルハルドたちだけだった。
元々、この村の横をパサルナーンとアルシャクスを繋ぐ街道が通っていた。だが今はもっと便利な街道ができ、こちらの古い街道は滅多に旅人が通らない。
そのため、たまに希望者がいたときだけ客を泊めている状態だった。
そんな状態なので無料で使ってくれて構わないと言われたが、それは断った。ニユーシャーたちは金は頑として受け取ろうとしなかったので、荷車で運んできた荷物、ファルハルドたちの手伝い、ジャンダルの薬を宿泊代の代わりとした。
ファルハルドが右腕で剣を振れるようになるまで、都合一月半をこの村で過ごした。その頃までには多くの村人たちと知り合い、親しくなっていた。
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ある日、仲良くなった猟師連中からイルマク山での狩りに誘われた。大物の猪を狙い、何人かの猟師で協力して大々的な狩りを行うらしい。それに加わらないかという誘いだった。
それまでもジャンダルは、何度かイルマク山に鳥を獲りに入っていた。その飛礫打ちの腕前を買ってのことだった。もちろん、イシュフールの血を引くファルハルドの感覚の鋭さで獲物を見つけることも期待されている。
「いやー、見事だったな」
酔っ払った猟師たちが酒杯片手に次々にやって来て、ファルハルドの肩を無遠慮に叩いていく。集まった村人たちもファルハルドに話しかけたそうにしている。
今日の狩りは大成功だった。村の空地ではちょっとしたお祭り騒ぎになっている。狩りの獲物の解体が行われ、順に村人たちへ配られていく。
そして空地の中心には櫓が組まれ、一際大きな猪が焼かれている。ファルハルドが止めを刺した山の主だ。
この村の猪猟の方法として、猪を勢子に追わせ、予め掘っておいた落とし穴に落とした猪に長槍で止めを刺す方法を取っていた。
そこに仲間を救いに来たのか、生息域を荒らす人間を排除しに現れたのか、山の主である半ば体毛が白くなった大猪が姿を現した。
猟師たちは次々と長槍を投げつける。だが、年を経た山の主の毛皮は槍を通さない。猟師たちは叫び声を上げ、逃げ惑う。
興奮した大猪は逃げ遅れた年若い猟師に狙いを定めた。ジャンダルは近くの木に登り、樹上から飛礫を打ち大猪の気を引こうとする。だが大猪は飛礫を一切気に掛けず、真っ直ぐ若者に迫る。
その時、地に刺さる長槍を拾い上げ、ファルハルドが大猪に立ち塞がった。猛進する大猪の正面に立ち、長槍を構え、真っ直ぐ猪の額に向け繰り出した。激しい衝撃音を立て、長槍が突き刺さる。
が、ファルハルドの右腕はまだ本調子ではなかった。突撃の衝撃に右腕が痺れ、力が抜ける。呻き声と共に長槍を取り落とす。
大猪の牙からの回避が遅れた。身を翻し避けるが、牙がファルハルドの腿を浅く抉った。
槍が刺さり、さらにはファルハルドを狙おうとしたことで進路が変わり、ぎりぎりで年若い猟師は大猪の突進を逃れた。走り抜けた大猪は興奮し、再度ファルハルドを狙って突進してくる。
ファルハルドは小剣を抜く。大猪に向かって駆ける。大猪の牙がファルハルドを捉える寸前に跳躍。宙を舞いながら、狙い過たず眼下を走る大猪の首の付け根に剣を見舞う。
大猪は小剣を首に刺したまま、進む。避けることなく、激しい音を立て立木にぶつかった。太い幹を圧し折り、大猪は止まった。
猟師たちは誰も動かない。ファルハルドは地面に落ちている長槍を拾い、大猪に向け投げた。血泡を吹く大猪はぴくりともしない。慎重に大猪に近付き、死亡を確認した。
多くの獲物が持ち帰られ、村人たちが農作業の手を止め三々五々集まってくる。見たこともない大猪が持ち込まれた時、村人たちは響めいた。
上機嫌な猟師たちから、声高に大猪を仕留めた経緯が語られ、村人たちは口々にファルハルドを褒め称える。
この一件を契機として、カルドバン村の村人たちは完全にファルハルドたちを仲間と見做した。これまで忌み子たちめ、と距離を置いていた村人たちまで、口々にこのまま村で暮らせばいいと言い出してくる。
だが、それはできない。今はまだ姿を見せていなくとも、必ず追手たちはやって来る。この村を巻き込む訳にはいかない。お祭り騒ぎの中、二人は出発を決めた。
ジーラとモラードは二人との別れに大泣きした。エルナーズも悲しそうな顔で見送る。
ファルハルドたちは餞別を用意していた。モラードにはファルハルドたちが使っているのと同じ、暗殺部隊の小剣を。ジーラとエルナーズ、ラーメシュには停泊地で手に入れた細工物の髪飾りを。ニユーシャーには葡萄酒の小樽を、それぞれに贈る。
二人は必ずまた会いに来ると約束して旅立った。七の月に入り、もうじき夏が終わろうとしていた。
次話、「そして、パサルナーンの街へ」に続く。




