24. 崩落 /その①
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「あぁ、糞っ」
ジャンダルが悪態をつく。魔力をまとわせ投擲した大振りのナイフが、尾の一振りで払われた。悪竜を倒したあと、回収すれば、ナイフは大きく刃が欠けていた。
地上に戻り、中央大神殿での光の奉納を済ませてから、ファルハルドとジャンダルは連れ立ってオーリン親方の店に向かった。
フィルーズの使っていた剣を手に入れてからは、ファルハルドがオーリンに武器の作製を依頼することはなくなっている。ただ、時々こうして足を運んでいる。一つには研ぎを頼むために。もう一つには。
「おお、よく来てくれた。また見せてもらって良いか」
ファルハルドたちが挨拶する間すらなく、オーリンは早口で言ってきた。ファルハルドもここのところ毎度のことなどで余計なことは言わず、腰の剣を抜きオーリンに手渡した。
そう、オーリンは一目見た時から、フィルーズの剣に夢中なのだ。顔を合わせる度にファルハルドから剣を借り受け、じっくりと吟味している。
三箇月ほど間が空いた際には、わざわざファルハルドたちの住む拠点にまで剣を見せてくれないかと訪ねてきたこともあるほどだ。
「済まんな」
オーリンに代わり、長男であるファーリンが少し困り顔で二人に声を掛けた。
「いんや、別に良いよ」
ジャンダルに特に気にした様子はない。エルメスタの中にも職人仕事を家業とする者たちがいる。エルメスタはこだわりの薄い者が大半だが、なかには職人気質の強い者だっている。ジャンダルにとって、オーリンの態度は充分に理解できるものだった。
ジャンダルは腰の後ろに差している大振りのナイフを抜いて示す。
「ほら、ここのところが欠けちゃって。研ぎを頼みたいのと、替わりのナイフが欲しいんだよね」
昔は自分で手入れをしていたのだが、右手を失ってからはジャンダルも手入れに出すようになった。研ぎには四日ほど掛かるということだ。
ジャンダルが新しいナイフを選び終わっても、まだオーリンは熱心にフィルーズの剣を眺めている。若干の呆れを見せながら、ファーリンはファルハルドたちが手持ち無沙汰にならぬよう話を続ける。
「そういや、妹がまた子供を産んだんだが」
「おおー、おめでとう。えっと、何人目だっけ」
「五人目だな。仲睦まじいのは結構なんだが、どうにも今度は妹の体調が戻らなくてな。ずっと伏せったままなんだ」
「医者や神官はどうしたんだ」
ファルハルドが尋ねるが、ファーリンの表情は曇ったままだ。
「医者には診せたが、その結果がそれでな。神官様にお願いするのは、ちょっといろいろとな……」
産後の肥立ちなどに対しては『治癒の祈り』は効果が薄く、効果がある法術となると家庭の安息を司るウェール・エル・モサーラカトや医療神メルギル・エル・モサーラカトに仕える神官の法術などに限られる。
一般人にとっては気軽に頼むには高く、それ以上に需要に対して法術を使える神官の数が少な過ぎることから頼んだところでなかなか順番が回ってこない。よって神官に法術を頼むのは、些か敷居が高いのだ。
「そうなのか」
迷宮挑戦者は怪我の治療のための祈りは、中央大神殿で優先して受けることができる。金銭的にも、多く稼ぎ、多く使う挑戦者たちの感覚は一般人と違っている。そのため、ファルハルドにとってはどうにも理解しがたい話だった。
「あー、うーん、もしかしたら、ぐらいの話だけど、役に立てるかも」
このジャンダルの発言に、ファーリンは身を乗り出し、オーリンも剣から目を離し振り返った。ジャンダルは少し焦る。
「いや、あの、本当、もしかしたら、だかんね。
ほら、今おいらたち九層目に潜ってるじゃん。その悪竜から採れる血から抽出した成分を薬に併せたら、効果が高まる場合があるらしいんだよね。
どんな薬の場合がそうなのかは知んないんだけど、上手くすれば滋養強壮に効き目があるって話になるかもって思って」
「そういえば、アリマもそれらしいことを言っていたな」
ファルハルドも聞いた話を思い出し、ジャンダルの話を補強した。ただ、オーリンとファーリンの表情は曇ったままだ。
「そうは言っても、そりゃ貴重なもんだろ。俺らにゃ回ってこないし、もし回ってきても、庶民にはおいそれとは手が出ねえ金額になるだろうしな」
実にもっともな意見だが、ジャンダルはその点は心配ないと言う。
「そこら辺は大丈夫だって。
だってね、今のところ悪竜の階層に挑んでんのはおいらたちだけなんだからさ。おいらたちが採ってこなきゃ誰も手にいれられないんだもん。一人分ぐらいなら、無償で譲って欲しいなって言えば通ると思うよ。
渋るようなら、魔術院のほうから一言言ってもらってもいいしね。ねー」
ジャンダルはにまーっと笑う。オーリンとファーリンの目は真ん丸になっている。ファルハルドはほうっと息を吐いた。言われてみればなるほどとなるが、ファルハルドからは出てくることのない発想だった。
「あー、でも、さっきも言ったけど、あくまでももしかしたら、だかんね。産後の肥立ちとかに役に立つかは知らないんで。そんな話でも良いんだったら、このあと、調薬組合に行って話をしてみるけど」
オーリンはジャンダルの手を両手で握った。
「済まん。頼む。この恩は必ず返す」
「別にいーよー。おいらたちも世話になってんだし」
オーリンとファーリンは揃って深々と頭を下げた。
拠点に帰り、モズデフのことをナイイェルに話せば、ナイイェルは見舞いに行くと言う。モズデフはファルハルドとナイイェルが結婚した際、仲間内で開いた宴の席に祝いにやって来てくれており、ナイイェルとも顔見知りだ。
「娼館ではいつも妊婦や赤子がいたものよ。出産で体調を崩した人も多く見ていますし。
それに、私もアレクシオスを産んだ時は、出歩けるようになるまでかなり日数が掛かっていろいろと試したじゃない。少しは、お役に立てることもあるんじゃないかしら」
「なら、明日にでも行ってみるか」
「いえいえ」
ナイイェルは艶然と微笑む。
「殿方が一緒ではできない話もあるのですよ」
「むっ」
ファルハルドは言葉に詰まる。確かに出産に関わることなら女性にしかわからないことも多いだろう。
荷物持ちや行き帰りの用心に付き添うつもりだったが、そう言われてしまえば無理にとは言いがたかった。日中の街中なら、危ないこともそうはあるまいと受け入れた。
「そうか。なら、行き帰りには気をつけてくれ」
「はい」
ナイイェルの戻りは日もだいぶ暮れてからとなった。ファルハルドはとても心配させられたが、ナイイェルは何事もなく無事に帰ってきた。ただ、かなり憔悴している。
「なにかあったのか。随分、遅かったな」
ナイイェルはなにもないと言うが、その表情は憂色が隠しきれていない。
「どうした」
ナイイェルは迷う素振りを見せたが、しばし逡巡した後、口を開いた。
「モズデフさん、あまり良くなくって……」
碌に食事も口にできないほど弱っているらしい。ナイイェルが知る限りの方法を試したが、状態は改善しなかったと言う。
「オーリンさんが新しい薬を貰ってきたから、それが効けばいいんですけど」
「そう、か……」
ファルハルドはモズデフに恩がある。モズデフの助けがなければ、こうして生きていることもないだろう。
「俺から、医療神の神官に頼んでみるか」
「そう、ね。でも、聞いてくれるかしら」
「無理そうなら、フーシュマンドなり、セレスティンなりを通して頼んでみる。それでなんとかなるだろう」
「そうね」
結果を言えば、医療神の神官の手配はせずに済んだ。調薬組合が用意した悪竜の血を使った滋養薬で、モズデフの体調は回復したからだ。オーリンたちからも、モズデフの夫のラフィークからもいたく感謝された。




