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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第三章:巡る因果に決着を

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22. 真鍮の竜 /その①



 ─ 1 ──────


 南区の裏通りにあるバーバクの店。今日はナイイェルが手伝いに来ている。


「ありがとうございました」


 昼時はかなり混み合い忙しかったが、ピサラヴィの刻となり、店内に残っていた最後のお客も食事を終え帰った。ナイイェルは皿を片付け、空いた卓を布で拭き、椅子を卓に上げ、床を掃いていく。


 客が全てけ、店の皆のためのまかないを用意したバーバクは、ナイイェルに声を掛けようと厨房から顔を覗かせ、思わず言葉を失った。ナイイェルは箒を手にしたまま、じっと床を見詰めている。


 訊かずともわかる。ナイイェルが考えていることが。パサルナーン迷宮に挑むファルハルドのことを案じているのだと。


 バーバクは知っている。パサルナーン迷宮がどれほど厳しい場所であるのかを。そこでの戦いは、わずかな不運一つが取り返しの付かない悲劇に繋がることを。誰よりも身に染みて知っている。


 ましてや今、ファルハルドたちが挑んでいるのは九層目。それは未知の階層。わずかに存在する手懸かりは、具体性の欠けた神聖王たちの伝記と穴だらけのファルハルドの前世の記憶。危険度はこれまでの階層の比ではない。


 案じるのは当たり前。だからこそ掛ける。


「あいつらは大丈夫だ。今日も無事に帰ってくる」


 バーバクはナイイェルに極めて気楽な言葉を掛けた。実に無造作に、殊更に平然と。

 不安をあおることに意味はないと知っている。そんなことを口にするのはただの害悪にしかならないとわかっている。


「ええ」


 ナイイェルは落ち着いて応えた。不安が去った訳ではない。自分を気遣うバーバクの気持ちを汲んだのだ。


「さあ、食事にしようぜ。レーヴァたちを呼んでくるから、料理を並べておいてくれ」

「はい、わかりました」


 ナイイェルは清掃道具を片付け、卓に上げている椅子を下ろしていく。


 上の階にいるレーヴァたちを呼びに行きながら、バーバクは思う。待つ身というのは辛いもんだな。自身が挑戦者として潜っていた頃には想像もしなかった。待つ側の人間の気持ちを。まさか、これほどまでにもどかしく、不安にやきもきするものだとは。


 ナイイェルの気持ちを考え、これ以上心配を掛けぬよう挑戦者など辞めてしまえとファルハルドに言いたくなる。

 しかし、それでは魔力増幅薬の副作用で失われたナイイェルの寿命は短くなったまま。もう諦めろなどと言える訳がない。それでもいいじゃないかと口にできる筈がない。


 まったく、ままならないものだ。バーバクは深く溜息をつき、頭を掻いた。




─ 2 ──────


 ファルハルドは真鍮しんちゅうの竜の体当たりをくらい、吹き飛ばされた。避けようとして避けきれず、受けた衝撃に息が詰まり立ち上がれない。




 真鍮の竜は下位の竜の中では最も手強い。身体能力や魔法抵抗性はあかがねの竜と変わらない。違うのは一点。弱いながらも毒の息を吐く。この一点だけで、脅威度も対処法も全く変わる。真鍮の竜からが、悪竜らしい竜となってくる。


 イシュフールの血を引くファルハルドは、毒に対して強い耐性を持つ。毒の息を吐く真鍮の竜に率先して突っ込んでいった。


 そこに折悪しく。アシュカーンの行動阻害の法術が振りほどかれ、真鍮の竜の体当たりをくらうことになったのだ。



 ファルハルドたちが真鍮の竜と戦うのは、今日が初めてではない。これまでにも三度、戦った。

 その三度の戦いに於いて、ファルハルドたちは一度も勝てていない。三度とも命からがら逃げ出している。


 最近になり、やっとあかがねの竜に勝てるようになってきたことから、今度こそ真鍮の竜も倒してみせると気合いを入れ立ち向かった結果がこれだ。


「ちっ」


 カルスタンが、倒れたファルハルドに襲いかかろうとする真鍮の竜に戦鎚を振るった。

 重い戦鎚の一撃により、その一見金にも似た、しかしどこか安い輝きを反射する鱗は割れた。竜は狙いをカルスタンへと変える。


「ぬんっ」


 カルスタンは間近から吐きかけられた毒の息を、魔力をまとわせた魔法武器の一振りで断ち割った。微かに漂う毒素はアシュカーンによって掛けられている『抗毒の祈り』の効果によってしのぐ。


 試練の神に仕える神官が得意とする法術のうち、味方の強化用の法術には他の法術と明確に異なる点がある。それは一度掛けさえすれば、一定時間はそのまま効果が持続すること。


 他の法術であれば、効果があるのは使い手の神官が祈りを上げている間だけ。当然、他の法術と併用はできない。それが、一定時間効果が持続する味方の強化用の法術であれば、他の法術との併用も可能となる。


 もちろん注意点もある。他の法術であれば、法術の発現に使われるのは祈る者の魔力。対して味方の強化用の法術の場合、使われるのは掛けられた側の魔力。法術が効果を発揮し続ける間、法術を掛けられた者の魔力がずっと消費され続けるのだ。



 アシュカーンが再度、行動阻害の法術を祈り、カルスタンは竜を攻め、アリマが火の矢を浴びせかける。ペールは駆け寄り、ファルハルドを回復させる。だが、打ち所が悪かったのか、立ち上がったファルハルドはふらついている。


 ファルハルドの状態を見て取り、ジャンダルは判断する。


「撤退!」


 即座にペールは、カルスタンたちと真鍮の竜の間に守りの光壁を展開し分断した。

 ラーナはファルハルドに肩を貸し、半ば持ち上げるようにして運んでいく。ジャンダルは手に魔導具『(あざむ)く人影』を握り、逃げる仲間たちの最後尾に付いている。


 一行が懸命に駆け、一定の距離を得られた時、ペールとアシュカーンの法術が限界を迎え、竜が解放される。


 まだ休息所までには距離がある。ジャンダルは振り返り、通路の壁に『欺く人影』を投げた。玉が割れ、黒い霞が立ち昇る。


 たちまち、竜は『欺く人影』に惹きつけられ、壁に向かって牙を立てた。壁の削られる音を聞きながら、竜の気がれている今のうちにと一行は走る。


 休息所が見えた。ただし、『欺く人影』の効果も切れる。真鍮の竜は再びファルハルドたちへと襲い来る。


 ジャンダルは腰の後ろの小鞄に手を入れた。仲間たちへと声を掛ける。


「臭い玉、使う!」


 ひぇっ。仲間たちは顔を引きらせた。全員が大きく息を吸い、息を止めたまま駆ける。

 ジャンダルは小鞄から暗緑色の玉を取り出した。後ろ目で竜の位置を確認。迫る竜に手にした玉を投げつけた。


 途端に漂う凄まじい悪臭。竜は悶え苦しみ、ファルハルドたちは涙と吐き気が止まらない。



 これもベリサリウスたちとの記憶から取り入れた方法だ。強い臭いで竜の優れた嗅覚を潰し、悶絶させる。ただし、人にも効果があるため、臭い玉を使いながらではとてもではないが戦えない。逃げ出す時、それも他に手がない時だけ仕方なく使う方法となる。


 ファルハルドたちは咳き込み、走れない。が、なんとか足を動かし、休息所に辿り着いた。休息所内の空気は清浄に保たれている。皆は大きく息をつく。何度も深呼吸し、水袋の水で顔と目を洗う。


 ただ、ファルハルドの調子が戻らない。一人で歩こうとするが、二、三歩進んだところで、突然(うずくま)り嘔吐した。


 仲間たちは焦る。打ち所が悪かったのか、竜の毒の影響なのか、臭い玉の臭いを嗅ぎ過ぎたのか、原因は定かではないが、この状態はかなりまずい。


 嘔吐の治まったファルハルドを抱え上げ、仲間たちは急ぎ地上に戻り、中央大神殿に運び込んだ。医療神の神官たちの祈りにより、青かったファルハルドの顔にも赤味が戻る。ファルハルドたちは感謝の表れとして、多額の布施を行った。


 中央大神殿を離れる前に、ファルハルドは水場を借り、身を清め見た目を取り繕う。ナイイェルと結婚してからは、よくこうしている。怪我や襤褸襤褸となった姿を見せ、心配を掛けないためだ。


 もっとも、度々誤魔化せないほどの怪我をしているので、どこまで意味があるのかはわからないが。



「兄さん、大丈夫?」


 ジャンダルが顔を覗き込み、尋ねる。この質問には多くの意味が込められている。


「大丈夫だ」


 ファルハルドのこの答えにも多くの意味が込められている。


「そう」


 挑戦者は続けるも辞めるも、生きるも死ぬも自分次第。だから、余計なことは言わない。ジャンダルの応えが、皆の気持ちを代弁している。

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