10. 英雄の望み /その①
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亡者の女王はファルハルドたちを部屋の中央へと誘った。
ファルハルドたちは困惑する。つい先ほどまで命懸けで戦っていた敵からの誘い。そんなものにほいほいと付いて行く馬鹿はいない。
ただ、背中を見せる亡者の女王からはなんの敵意も感じられない。ファルハルドの首を落とせる斬撃も止められた。警戒は緩めぬまま、様子を探るためにも話だけは聞いてみることにした。
部屋の中央にある風の刃で切り刻んでいた玉座はいつの間にか修復されていた。亡者の女王はゆったりと腰掛ける。
ペールはカルスタンに治癒の祈りを祈り、血を吐いていたカルスタンも回復する。鉄球鎖棍棒を杖代わりに突き、自分の足で歩きカルスタンも集まった。
ファルハルドたちは亡者の女王から少し距離を置き、武器を手にしたまま押し黙っている。カルスタンだけは今にも攻めかかりそうに気を昂らせた状態で。
「さて、気骨のある挑戦者たちよ。其方らはなかなかに見込みがある。名はなんという?」
ファルハルドたちは押し黙ったまま答えない。
「はて? 如何した? 答えぬか。ふむ、なんじゃ、先に妾から名乗れということか」
亡者の女王は一人頷く。ファルハルドたちは警戒し黙っているだけなのだが、亡者の女王はなにやら一人で納得している。
「妾はセリアじゃ。さあ、これで良かろう。名乗れ」
アリマとペールが亡者の女王の名を聞き、ぴくりと反応した。しばしの逡巡の後、アリマとペールが名乗り、続けて仲間たちも名乗っていく。が、カルスタンだけは名乗ろうとはせず、亡者の女王に噛みついた。
「闇の怪物がなにをほざく。人であるつもりか」
明確な敵意。人と闇の怪物は根源的な敵。決して交わることはない。カルスタンの態度は当たり前のものだと言える。
それでも、もし今すぐ戦闘再開となればファルハルドたちが生き残ることは難しく、逃げ出せるかも怪しい。それがわかっているからこそ、皆は警戒はしながらも、こうして亡者の女王と言葉を交わしているのだ。
普段なら、それがわからないようなカルスタンではない。ラーナたちが壊滅させられたことが影響している。どうしても冷静さを保てない。
ただ、亡者の女王は熱り立つことなく、機嫌良く応じた。
「うむうむ、活きの良いことよ。そうでなくてはの」
カルスタンの不機嫌さも、亡者の女王にとっては幼子の駄々に等しい。まるで歯牙にも掛けない。
「其方らは迷宮深層に挑み、その先を目指すのであろう。ふむ、九層目に挑むには些か実力が足りておらぬが、まあ良かろう」
「実力が足りないだと? なぜ、お前にそんなことがわかる」
カルスタンは手出しこそ控えているが、苛立ちを抑えようともせず反抗的に文句を口にする。
それは裏を返せば、亡者の女王を闇の怪物だと拒絶するカルスタンが、この亡者の女王を会話の成り立つ相手だと認めているという意味になる。ファルハルドたちはこの奇妙な状況に皮肉を覚えた。
ファルハルドたちの戸惑いに関わらず、会話は進んでいく。
「なぜ、わかる、とな。簡単なことよ。昔、パサルナーン迷宮を全層踏破し、神殿遺跡に辿り着いたことがあるからじゃ」
ファルハルドは、カルスタンは、ジャンダルは衝撃を受け、ペールとアリマは驚きつつも「やはり」と呟いた。
ファルハルドたちはペールたちに目を向けた。視線での問いかけに答え、ペールとアリマが説明をする。
「セリアという名は今では珍しくない名である。其方らも知り合いに一人二人はいるであろう。その名が広く使われるようになったのは、パサルナーン迷宮を踏破した神聖王の仲間に肖ってである」
「――さ、最後の挑戦を共に行い、迷宮から戻ることのなかった大魔術師様の名前がセリア、です」
「間違うておるのう」
亡者の女王は口を挟んだ。
「『大魔術師』ではなく、『大魔導師』じゃ。妾のことは大魔導師セリア様と呼ぶが良いぞよ」
違いが良くわからず、ファルハルドたちはアリマに解説を求めた。
「――えっと、あの、特に違いはない、です、けど」
セリアの目付きが鋭さを増した。戦っている最中よりもよほど厳しい。アリマはカルスタンの背に逃げ込んだ。陰に隠れたまま、慌てて説明を付け加える。
「た、ただ、セリア様は、当時は未発達だった今で言う魔導具などの様々な魔法効果を発揮する道具類の開発を飛躍的に進歩させた方で、現在、それらを『魔導』具と呼ぶのも、セリア様の自称に、由来し、ます。魔術師の歴史に残る偉大な方、です。み、皆もセリア様から多大な恩恵を受けている、と、思い、ます」
セリアはこのアリマの必死な説明に満足そうに笑った。
「ほほっ、小娘。なかなかにわかっておるではないか。其方、見所があるのう」
「――は、はひぃ。あ、ありがとう、ござい、ます」
アリマはカルスタンの陰から顔を出すことなく礼を述べた。
この気の抜ける遣り取りを耳にしても、カルスタンの苛立ちは変わらない。刺々《とげとげ》しく吐き捨てる。
「だから、なんだ。それがどうした」
「なにを言うておる。なぜ、其方らが九層目に挑むのに実力が足らぬと妾にわかるのか、其方が尋ねたではないか」
セリアはころころと笑い、カルスタンは青筋を立てる。セリアへ向け足を踏み出すが、ペールが間に入り止めた。
ジャンダルがのんびりとした話し方で口を挟む。
「ふーん。じゃあさ、三百年前に生きていた人で、その頃のことを覚えているんだ」
「ほお、もう三百年も経っておるのかえ。二百年かそこらかと思うておったが……。まあ、百年を越えたところで刻を数えるのは止めておったからのう。そんなものかの」
「亡者は皆、生前のことを覚えているのか」
ファルハルドは問いかけた。それはファルハルドにとって、とても大切なこと。
これまで多くの亡者たちを斬ってきた。覚悟を決めて行ったこと。避けようはなく、必要であった。亡者に生前の記憶があろうとなかろうと、今までもこれからも行うことに変わりはない。
それでも問わずにはいられない。自分が斬ってきたものたちのことを。宿っていたかも知れない意思を。
ただ、セリアは軽く答えた。
「まさか、の。亡者は死骸が変質した存在。死骸などただの物に過ぎん。記憶など残ろうものか」
「ならば」
なぜ、セリアが神殿遺跡に辿り着いたことを覚えているのか。説明がつかない。ファルハルドたちは不審を覚え、改めて警戒を強める。
セリアは笑う。
「決まっておるわ。今の妾は闇の怪物でもあり、闇の怪物でもない存在だからじゃ」
なにを言っているのかわからない。セリアは目を細める。
「ふむ、そこから話すとするかのう。そもそも、妾は死んだこともなければ、瘴気に侵食されたこともない。この身となったのは神殿遺跡で願った結果じゃ。
ときに、其方ら。神殿遺跡で祈ればどんな願いでも叶うという話をどう考えておる」
考えたこともない質問。ファルハルドたちは完全に虚を衝かれた。カルスタンですら一瞬、苛立ちを忘れた。
「どうって言われても。なんて言うか、一種のご褒美、みたいな」
ジャンダルが言い、ファルハルドとカルスタンも小さく頷く。より詳しく知っているとすればペールとアリマだが、その二人の話も特段違わない。
「宗派の違いで神学上の意味づけなどに多少の違いはあるが、つまるところ地上で唯一、『神々の大地』に通ずる場所であるパサルナーン神殿遺跡で祈ることで、光の神々に直接願いを伝えることができ、神々の恩恵により願いを叶えていただけるとされているのである」
アリマはカルスタンの背中から顔を覗かせ話す。
「――そ、そうだね。願いが叶うのは、パサルナーン神殿遺跡が特別な場で、そこでは存在の根源たる魔力に直接干渉し、様々に変質させることができるからではないか、という仮説を読んだことがある、けど……。
確かなことはわからない、です。そもそも、神殿遺跡に辿り着いた人自体が少なく検証ができてない、から」
「ふむ、妾たちの頃と変わらんの。三百年も経っておきながら、なに一つ進歩しておらんのか」
セリアは小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。
「どういうことでありますか」
ペールは少し不満そうに尋ねた。
「どうもこうもない。相も変わらず、夢物語が信じられているようだの」
「実際は違う、ということでありますか」
「で、あるな」
「それはいったい……」
セリアは両腕を広げた。
「この身がそれを示している。妾はなにも闇の怪物になりたいと願ったのではない。望みがあってのう。その望みが叶うその時まで生きていたいと願ったのじゃ。
それは人の身では叶わぬ願いであったのであろう。結果的に、この身は闇の怪物と似たものと成り果てた」
ペールは大きく目を見開き呟いた。
「……闇の怪物に成ろうとした訳ではないと」
「当たり前じゃ。そんなものを望む者がどこにおる。いや、仮におったところで光の神々に願って闇の怪物に成るのではおかしかろうよ」
「……確かに」
「パサルナーン迷宮は神々の試練場。光と闇、双方の力が強く息づき、せめぎ合って均衡を保つ世界の縮図。神殿遺跡で願いを叶えることにも、光の神々だけでなく悪神も関わっておるのであろうよ。その始まりが『始まりの人間』の意思に基づいておったとしても、の」
「…………」
「なぜ、そうなっておるのかを解き明かしてみたくはあるがのう。差し当たり、この話から其方らが覚えておくべきことは一つじゃ。
神殿遺跡で身に過ぎたる望みを願えば思わぬ結果を招くこととなる。ときとして不幸な結果を、な。努々《ゆめゆめ》忘れるでないぞよ」




