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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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135. そして、戦いは終わり /その③



 ─ 5 ──────


「意識を失っている間、熱心に看病を行ってくれたと聞いた。ありがとう」


 目を覚ました数日後、畑仕事を手伝うべく鍬を片手に畑へと歩いていたファルハルドは、同じく畑仕事を手伝いに向かうエルナーズと顔を合わせた。

 しばらく並んで歩くうち、ふとフーシュマンドから聞いた話を思い出し改めて礼を述べた。

 エルナーズははにかみながら首を振る。


「ううん、そんな。別にたいしたことはしてないよ。近所の子が寝込んだ時とか、よく看病の手伝いに行って慣れてるだけだから」


 カルドバン村を訪れる度に、ジャンダルが薬草の見分け方や薬の作り方をエルナーズたちに教えていた。ファルハルドも開拓地で頼られたように、薬の扱いを知っていれば頼りにされる機会も多いのだろう。


 二人の会話は途切れた。ファルハルドは無口な性質たち、エルナーズも特段お喋りという訳ではない。沈黙は苦痛ではない。無理をして話をしなくとも良い空気が心地よい。二人は穏やかな気持ちで歩いている。



 そのまま、それぞれが手伝いに向かう畑へ向け別れようとしたところで、エルナーズが躊躇ためらいがちに口を開いた。


「ねえっ。あの、その……」


 尻すぼみに小声になっていく。エルナーズはなんだか赤い顔で自分の服の裾を握り締め、瞳をそわそわと動かし口を開け閉めしている。

 ファルハルドは足を止め、急かすことなく続きを待つ。


「その、あの、あの……、パサルナーンであなたを待っている女性ひとがいるって、本当?」


 突然の質問にファルハルドは呆気に取られる。唐突にもほどがある。


 しばし考え理由に思い当たった。

 二年半前にニユーシャーたちから、成人したエルナーズに結婚の申し込みがあると聞かされた。

 あれから月日も経っている。いよいよ婚姻話が具体的になってきて、参考にするためにその手の話を聞いて回りたいと思っているということだろう。


 そこまで考え、ファルハルドは頭を掻きながら答える。


「待っていてくれているのかはわからない。ただ、その人の下に帰ると約束した」

「そう、なんだ……」


 エルナーズは力なくうつむいた。


「どうした。なにか悩みでもあるのか。……もしかして、結婚話が上手くいっていないのか」


 自分では言いにくいことがあるなら、俺からニユーシャーたちに話してみるが、とファルハルドは続けようとして言葉に詰まった。はじかれたように顔を上げたエルナーズは傷付いた様子で目を潤ませている。


 なにか言葉の選択を間違ってしまった、のか? 今度はファルハルドが言葉に迷い、口を開いてはまた閉じてと繰り返す。


 都合の悪いことに他の村人が通りかかることもない。どちらからも言葉が出ないまま時が過ぎる。


「……よ」

「ん? なに?」

「結婚話なんて、進んでないよ」

「そうなのか」


 確かにジャンダルの話では、農村では結婚するのが遅いとも言っていた。ただ、秋祭りなどでは、エルナーズに話しかけたそうにしていた者は多く見られた。ユニーシャーたちもいるし、てっきり話は順調に進んでいると思っていたため、話が進んでいないのは意外だった。


「私……いの」

「え?」

「男の人が怖いんだ」


 ファルハルドはがつんと頭を殴られたように感じた。


 エルナーズは住んでいた集落を賊に襲われ、両親を含めた住人たちを殺される経験をしている。エルナーズ自身、あわやという目にも遭わされたのだ。そう簡単に立ち直れる筈がなかった。


 エルナーズはいつも男物の服を身に着け、自衛の手段を求めたりもしていた。

 よくよく考えて見れば、気付くことができる手懸かりはいくらでもあったのだ。明るく気丈に振る舞っているからと言って、大丈夫だと考えた自分の愚かさが許せない。


 自らの心の傷を晒したエルナーズは今、消え入りそうに震えている。


 ファルハルドは惚れた腫れたの話なら木偶の坊、人間関係の悩みなら役立たず。だが、ファルハルドは思う。これは戦い、だと。


 敵はエルナーズをさいなむ不安と恐怖。使える武器は言葉。勝利条件はエルナーズが憂いなく暮らせるようになること。

 ファルハルドにとって、かつて経験したことのない不利で不慣れな戦い。しかし、ファルハルドは戦士。戦いであるのならば、泣き言は言わない。逃げ出さない。諦めない。ただひたすらに勝利を求める。


 エルナーズは再び俯いている。


「エルナーズ」


 ファルハルドは呼びかける。エルナーズは俯いたまま動かない。


「エルナーズ。エルナーズはどうしたい。

 もし、結婚話が申し込まれて、それが辛いなら止めてくれるように話をしよう。

 急に進められるのが辛い。心が追いつけるように落ち着いてゆっくり進めて欲しいのなら、そうするように話をする。

 結婚話自体は嬉しい。嬉しいが、男が怖くて話を進められないのが辛いのなら、エルナーズの心を捕らえている怖れを拭い去れるように全力を尽くそう。エルナーズはどうしたい」


「違うよ。そうじゃなくて」


 エルナーズは少し顔を上げた。少しだけ辛そうな気配が薄らいでいる。


「成人して、伯父さんと伯母さんから結婚の申し込みが来てると聞かされて。

 でも、無理なの。男の人と二人きりになるって考えると、それだけで襲われた時のことを思い出して、お父さんやお母さんが殺された時のことを思い出して、怖くなるの。

 その人はあの時の人たちじゃないってわかっているけど。駄目なの。どうしても、怖くて。いろいろ頑張ってみたけど、やっぱり怖くて息ができないの」

「そうか」


 どこか遠くで、楽しそうに話す人の声や、言い争う声が聞こえてくる。村は復興途中、先行きも厳しい。それでも今日も当たり前の暮らしが続いている。


「でもね。男の人、皆が怖い訳じゃないんだ」

「そうなのか」

「助けてくれたから。助けてくれるって信じられるから」

「それは……」


 エルナーズは唇を固く引き結んだまま頷いた。ファルハルドは気付く。


 そうだ、確かに自分やジャンダルといる時には怯えてはいなかった、と。だからこそ、エルナーズの心の傷が癒えていないことに気付けなかったのだ。

 ただ、それをどう結びつければ良いのか、ファルハルドにはわからない。


「結婚話なんて進んでないよ。全部断ったから。好きな人がいるから。ファルハルド、私初めて会った時からずっと、あなたのことが好きなんだ」


 ファルハルドは馬鹿のように立ち尽くす。ファルハルドは惚れた腫れたの話なら木偶の坊。今までエルナーズの気持ちに気付くことはなかった。心乱れ返す言葉も見つからない。


 だが、ファルハルドは戦士。さっきまでの戦いだと思い定めた気構えが支えとなる。静かに深く息を吸い、肚に力を籠め心気を鎮める。乱れた心が鎮まっていく。


 ファルハルドは決して器用ではない。人付き合いに巧みでもない。できるのは誠実に、正面から赤心をもって応じること。

 エルナーズを大切だと思っている。傷付けたくなどない。しかし、上手な嘘など付けない。己の心を見詰め、見つけた偽りなき言葉を告げる。


「済まない。俺は君に同じ気持ちを返すことはできない」


 エルナーズは一瞬泣き出しそうな顔になり、それから控えめで柔らかな笑みを浮かべる。少し寂しげで、わずかに目の端に涙を溜めた、それでも全てを受け入れる、そんなはかなげな笑みを浮かべ、首を振る。


「大丈夫。謝る必要なんてないよ。わかっているから。一緒にいて欲しい訳じゃない。ただ、あなたのことが好き。そう思える男性ひとがいるだけで幸せだよ。全部の男性が怖い訳じゃない。全部の男性が信じられない訳じゃない。思いを寄せる相手がいる。それだけで世界が輝いて見えるんだ。だから、私は幸せ」

「そうか」


 それが本当に幸せなのか、ファルハルドにはわからない。たとえ、それがただの強がりであったとしても、ファルハルドへの気遣いとして言ったのだとしても、エルナーズが幸せだと言うのならその言葉を信じ尊重する。それが、せめてものファルハルドにできること。


 二人は見詰め合い、互いを気遣い作ったぎこちない笑顔を見せ合う。




 しばらく見詰め合い、ファルハルドにふと一つの疑問が浮かんだ。おそらく他の者ならば尋ねない。ファルハルドは尋ねてしまう。


「助けてくれたと言っていたが」

「うん」

「ジャンダルは?」

「え?」


「いや、賊を退治して助けたのはジャンダルも同じではないのか? なら、ジャンダルのことも」


 エルナーズは信じられない者を見る目をしている。急に力強くファルハルドをびしっと指差す。


「そういうところだからね!」

「え?」


 ファルハルドはなにを言われているのか全くわからない。


「そういうところが駄目だと思う」

「そ、そうなのか」

「だからっ! そういうところなんだって!」

「あ、ああ。済まん」


 完全にファルハルドが押されている。エルナーズは深々と溜息をついた。


「もう、謝らないでよ。あなたがどんな人かはわかってる。それで好きだって言ってるんだから」

「そ、そうか」


 ファルハルドは頭を掻くことしかできない。


「そうだよ。伯母さんたちには申し訳ないって思うけど。普通の、他の人と同じ当たり前の幸せを私に手に入れて欲しいって思って、いろいろしてくれてるのに、安心させてあげられないから……」


 エルナーズの表情が乏しくなり、目からも力が失われる。今度はファルハルドが首を振る。穏やかでありながらも、自信を持った態度で断言する。


「なにが普通なのか俺にはよくわからない。だが、ユニーシャーたちがエルナーズの幸せを心から願っていることはよくわかる。だから、君の気持ちを正直に伝えれば必ずわかってくれる。君は正しいことを選べる人間なのだから」

「…………」


「君は自分が辛い目に遭った時にも、ジーラやモラードをいたわることを忘れなかった。恐怖から逃げることも選べたのに、克服するため自衛手段を身に付ける道を選んだ。自分の抱える苦しさだけでいっぱいになってもおかしくないのに、ユニーシャーやラーメシュを気遣う気持ちを失わない。

 君は正しいことを選べる人間だ。だから、大丈夫だ」


 エルナーズは俯いた。


「エルナーズ?」

「そういうところだからね」

「うん?」


 エルナーズは顔を上げた。目の端に涙を溜めた柔らかな笑みを浮かべる。それは先ほどまで見せた、どこか寂しげな笑みとは違う。控えめだが、心からの晴れやかな笑み。


「本当、そういうところだから」

「……駄目なところ、が?」

「ううん、好きになったところが、だよ」


 エルナーズは一歩近づき、ファルハルドの胸に額を預ける。


「エルナーズ……」

「今だけ、今だけだから。気持ちが落ち着くまで、どうかこうしていさせて」

「…………」


 エルナーズは零れる涙が納まるまでファルハルドの胸で涙を流し、ファルハルドはエルナーズの気持ちが落ち着くまでなにも言わず、静かにたたずんだ。

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