134. そして、戦いは終わり /その②
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バーバクとファルハルドは二人連れ立って歩く。
バーバクは話があるとファルハルドを誘ったが、今はなにも話そうとはしない。ファルハルドも問いかけはしない。二人は無言で歩いて行く。
バーバクは身体を揺らし左脚を引き摺りながら、ファルハルドは少しふらつきながら。
何処に行くかを口にせずとも二人が迷うことはない。足は自然と最後の戦いの場所、ハーミが亡くなり、ヴァルカが奇跡を起こしたその場所へと向かう。
死骸は片付けられている。ただ、地面は踏み荒らされたままで、流れた血や体液、瘴気による染みがそこかしこに残っている。
二人は無言で自分の胸に手を当て、目を瞑る。静かにその胸の内でハーミとヴァルカの冥福を祈った。
「おっさんと出会って、かれこれ十四年になるのか」
しばし祈った後、バーバクは伏し目のまま口を開いた。
「うちはウルスばかりが暮らす村でな。他の家では畑を耕して暮らす者も多いんだが、俺のヴァルカ族ってのは戦士の一族でな、誰もが戦いに生きる道を選ぶ。俺も子供の頃から戦って生きるのが当たり前だと思ってた。
村に残る者、国軍に入る者、傭兵になる者、色々いるが、俺は幼馴染みと共に話に聞く神々の試練場、パサルナーン迷宮に挑むことにした。
その旅の途中でおっさんと会ったんだ」
バーバクは淡々と話し、ファルハルドも口を挟むことなく静かに耳を傾ける。
「あれは匂いに釣られたんだろうなぁ。俺たちが野営で晩飯を煮炊きしているところにひょっこり現れてな。旅の神官様だからって食事に誘ったら、そのまま一人で全部を平らげやがった。あれは参ったぞ。
まあ、詫び代わりにってことで、おっさんが旨い酒と肴を出してきて盛り上がったんだけどな」
バーバクは目を細め、懐かしそうに笑う。
「行き先が同じとわかって一緒にパサルナーンに向かって、結局それからずっと一緒にいた訳か」
その横顔に親しみと懐かしみを浮かべながら、バーバクは話し続ける。
「おっさんとは多くの戦いを共に乗り越えてきた。一番きつかったのは、共に潜ってた仲間を亡くした戦いだったな。ああ、これは前に話したんだったな。……多くの、本当に多くの戦いを共に乗り越えてきた」
バーバクの、空となっている左袖が風にはためく。バーバクはファルハルドに目を向ける。そこにあるのは曰く言いがたい凪いだ表情。
「迷宮挑戦者としての俺はここまでだ」
その話だとわかっていた。ファルハルドは静かに応える。
「バーバクとハーミがいなければ、俺はこうして生きてはいない。今までありがとう」
二人は見詰め合い、そして少しだけ笑った。
「これからどうするんだ」
ファルハルドは尋ねる。
「さてなあ。この村でおっさんの墓守でもするか、それとも故郷に戻るか。なんにせよ、一度嫁さんと話してからだな」
「え?」
「ん、どうした? 急に面白い顔して。ああ、そういや結婚したこと言ってなかったか」
「初耳だ」
「悪い。ま、それどころじゃなかったからな」
バーバクは実におかしそうに笑った。ファルハルドは苦笑する。バーバクの笑いは止まらない。いつしかバーバクの笑い声に釣られ、ファルハルドの苦笑は笑い声に変わっていた。
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次の日、バーバクはカルスタンに付き添われ、パサルナーンへ戻っていった。
ファルハルドはそのままカルドバン村に残っている。ファルハルドには早くパサルナーンへ戻りたい理由がある。だが、多大な被害を受けたカルドバン村をそのままにして、立ち去る気にはなれない。
現在、村を守る防衛柵や堀の役目を兼ねた用水路の再建は、最優先で行ったために終わっている。壊された家屋の撤去や再建はまだ途上。
そして復旧途中のもののうち、最も村人の生活に影響するのが荒らされた畑の復旧だ。
春先の農作業開始の時期に農地が踏み荒らされたのも痛いが、それ以上に拙いのが倒した悪獣や闇の怪物の死骸から漏れ出た瘴気によって土が汚染されたこと。このままでは作付けが行えず、今年の冬にはカルドバン村は飢えることになる。
パサルナーンからやって来た神官たちが土の浄化を行っているが、このままの進捗速度では全てを浄化し終わるにはあと一月は掛かる。
浄化の終わった場所からすぐに畑を整備し作物を植えているが、今年の作付け予定が完全に変わってしまうため、いったいどうしたものかと村人一同頭を抱えている。
「蓄えもあるからな。一応飢え死には出ないと思うんだが、税の支払いとかがな……。どうなんのかねぇ」
ニユーシャーは重い溜息をついた。
確かに農村で畑が使えないのは死活問題だ。ファルハルドにたいしたことはできないが、せめてもと復旧作業を手伝って過ごす。
そんななか、ファルハルドが目を覚ました二日後、村に国軍がやって来た。
やって来たアルシャクス国軍は二個中隊、約三百名。しばし周辺を巡った後、兵を郊外に待機させ、指揮官他数名だけが村長宅へ向かった。
村人や村に残っている挑戦者たちは兵たちを遠巻きにして、囁き合っている。内容はほとんどが、今頃やって来ていったいなんのつもりだという不満だ。
ファルハルドも作業の手を止め、やって来た兵隊を眺めている。
ファルハルドに特に不満はない。傭兵団で働いた経験から、軍が動くためには充分な準備が必要になると知っているからだ。
国軍に襲撃の連絡が届くまでにも日数が掛かり、出動した軍がカルドバン村に到着するにも日にちが掛かるのだから。もちろん、それらを考慮しても、さすがに遅過ぎだとは思うが。
遠巻きに見ていた村人たちもぽつぽつと作業に戻り始め、ファルハルドも手を止めていた畑の鋤き起こしを再開した頃。
村長からファルハルドに対し、遣いが送られてきた。すぐに村長宅にきて欲しいのだそうだ。
ファルハルドはなんの用があるのか、よくわからないまま手を洗い村長宅へ向かう。そこには困惑した様子の村長と、厳しい顔付きをした軍指揮官がいた。
村長は戸惑いながら口を開く。
「ファルハルドさん、作業中に呼び立てて申し訳ないね。こちらの隊長様が、話があるということで来てもらったんだ」
村長は視線と手振りで軍指揮官を指し示す。ファルハルドも軍指揮官に目を向ける。
軍指揮官は険しい表情のまま、じっとファルハルドを見ている。おもむろに口を開いた。
「貴殿があの『飛天』であるか」
ファルハルドは思わず苦い顔になる。
これはつまり、村長が話の中でファルハルドのことを話し、『飛天』という名を出したということだろう。
しかも、軍指揮官が当たり前のようにその呼び名を口にし、『あの』などと言っているのだから、ヴァルダネスが広めたか、同じ戦場で戦っていた時に傭兵たちから伝わったかして、アルシャクス軍内では、雪熊将軍を倒した人物の名は『飛天』として広まっているということだろう。
ファルハルドは心の底からうんざりした。激情に駆られ宣言した言葉が、まさかこんな形で返ってくるとは。否定したい。全力で否定したい。したいが、自分で口走ったこと。否定するにできず、ファルハルドは不承不承頷いた。
途端に軍指揮官の顔がほころんだ。やたらときらきらした目で、ファルハルドの手を両手で強く握る。
「おお。まさか、あの雪熊将軍を倒した豪傑と顔を合わせる機会が来ようとは。ぜひ、詳しく話を聞かせてもらえまいか」
嫌だ。とは思うものの、軍指揮官の後ろで村長が身振りで必死に懇願している。一方ならぬ世話になっている村長の願いは無下にできず、ファルハルドは渋々話して聞かせた。
ファルハルドが話し終わり、軍指揮官は感に堪えられぬように息を吐き出した。
「見事なものだ。これほどの人物が野にあるとは……。惜しい、実に惜しい。どうであろう、貴殿さえ良ければ、我らが軍に入らぬか」
また、その話か。似た話の繰り返しにはうんざりさせられる。長々と話す気にもなれず、一言、いや、とだけ答えた。
軍指揮官はファルハルドの返答に何度も頷いている。
「なるほど、なるほどなぁ。やはり、あの雪熊将軍を倒すだけのことはある。高い志があるのだなぁ」
なにか、軍指揮官の頭の中では勝手な物語が展開されているようだ。
「うむ。貴重な時間であった。では、これにて失礼する」
軍指揮官はやけに爽やかな笑顔でさっさと立ち去り、軍を率いて帰って行った。
残されたファルハルドはぽつりと呟く。
「あれはなにをしに来たんだ」
村長も首を捻っている。
その答えは一月後に示される。
アルシャクス政府より役人が派遣され、カルドバン村に対し悪獣の大群を撃退した功績を讃え、半年分の食糧を下賜し、さらに村の復興のために三年間税を免除すると伝えてきた。
村人一同は涙を流して喜んだ。村長によれば、これは異例の出来事だと言う。
なにかしらの名目を用意し、被害を受けた村に政府から食糧が贈られることはあるにはあるが、その場合もあくまで急場を凌ぐための一月分程度が贈られるのみだ。
そして、甚大な被害を受けた地域の復興のために税が免除されること自体は珍しくないが、それも多くは一年間のみ。
なにより、税の免除が決定されるまでにはもっと長い時間が掛かり、これほどの短期間で通達されたことは一度もない。
それほどまでに今回の襲撃は異常で国難と呼ぶべき事態であったのかもしれないが、村長の考えによれば理由は別にある。
「『飛天』さん。ひょっとして、高貴なる方々と面識が?」
なくもない。なぜだか妙に気に入られていた気もする。
カルドバン村に援助が行われることは嬉しいが、ファルハルドとしては素直に喜びきれず硬い笑顔を浮かべることしかできなかった。




