133. そして、戦いは終わり /その①
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何者かに呼ばれ、ファルハルドの意識が浮上する。
ずっと夢を見ていた。とても居心地の悪い夢だった。どんな夢だったのかはもう思い出せない。ただ悪い夢だったという感触だけが、いつまでも消えずに残り続けた。
ファルハルドが目を覚ました時、最初に目に入ったのは周りの風景でもなければ、心配し寄り添う乙女でもなかった。興味深そうにファルハルドを観察している皺の多いフーシュマンド教導の顔だった。
話しかけられるよりも先に思い出す。意識を失う前の出来事を。ファルハルドは怒りに我を忘れ、魔力操作を暴走させた。寸前まで行っていた根源の魔力の使用を再び行い、歯止めなく全ての魔力を使い尽くした筈だ。なぜ生きている?
ただ、ファルハルドの口をついて出てきた問いかけは別のものだった。
「皆はどうしている?」
フーシュマンドはにこりと微笑んだ。
「皆さん、良くなっておりますよ」
「…………。ハーミは……」
ファルハルドは尋ねようとするが、続く言葉が出てこない。フーシュマンドは静かな笑顔のまま答えた。
「ハーミ殿は神に仕える神官として、その生き方を全うされました」
ファルハルドはその胸に込み上げてくるものに耐えるため、しばし目を瞑り奥歯を噛みしめた。しばらく待ち、ファルハルドがさらなる質問を口にする前にフーシュマンドが続けた。
「バーバク殿やジャンダル殿も命に別状はありません」
ファルハルドは少し息を吐き出し、身体の力を抜いた。
「あれから何日経っていますか」
「今日は三の月の二十七日、あれから十三日が経っていますね」
ファルハルドは上半身を起こした。多少動きづらくふらつくが、前回根源の魔力を利用した時よりも遙かに身体の状態は良い。
前回は瀕死の重傷だったこともあるが、医療神の神官や医者による懸命の治療を受けても目を覚ますことができたのが一月後。その後の一月は立っているのもやっとの状態で、さらに二月は調子を崩したまま。そして、一年が経っても体調は完全には恢復しなかった。
それが今回は、多少動きづらくふらつきはしても、今すぐ歩くこともできそうなほど調子が良い。ファルハルドは胸の下に手を当て、己が内面を探る。なぜか根源の領域はほぼ魔力で満ちているようだ。
不思議に思い、同時に思い出す。意識を失う瞬間に、なにかが砕ける音を聞き、燃えるような熱を感じたことを。あの音と熱がなにを意味するのかはわからないが、現在の状態を齎したのはそれら、か?
ファルハルドの考え込む様子から、なにを考えているかに気付いたのだろう、フーシュマンドが尋ねてきた。
「なぜ、ご自分が無事なのか疑問ですかな」
あ、やばい。ファルハルドは胸の内で顔を引き攣らせた。フーシュマンドが完全に研究者としての顔に変わった。絶対に面倒な話が止まらずに続くに決まってる。
といって、それを回避する手段をファルハルドは知らない。自分がなぜ生きているのかも気になる。大人しく話を聞くことにした。
「全てがわかっている訳ではないが、一応の仮説は立っております。鍵となるのは、以前お渡しした腕輪です」
ファルハルドは左腕を少し持ち上げた。いつも左腕に嵌めていた細い腕輪がなくなっている。だとすれば、意識を失う前に聞いたなにかが砕ける音は腕輪が砕ける音だったということか。
「あの腕輪は、実体化するまでに高密度に凝縮した私の魔力と魔術物質を捏ね合わせ造り上げた物なのです。
全ての魔力を使い果たしかけたファルハルド殿は魔力を求め、その最も身近にあった高密度の魔力の塊を利用されたのではありませんか?
つまり、腕輪を魔術的に分解し、その還元された魔力を吸収することで身の崩壊を免れた。いかがです?」
思い返してみるが、よくわからない。自分が行ったというのなら、それは全て無意識下での出来事。意識して行ったことではない。フーシュマンドの言うことが正しいのかどうかわからないが、確かに事実を繋ぎ合わせる限り、フーシュマンドの言っていることに矛盾はない。
ファルハルドの返答を聞き、フーシュマンドは益々興味をそそられた顔になった。と言うか、はっきりと口に出した。
「たいへん興味深い。本来、魔力の物質化と分解還元は高度な術式と繊細な魔力操作を必要とするのです。それを魔術師でもないファルハルド殿が意識もせずに行ったということですか。実に興味深い現象です」
いったいどうやって行ったのか、そのときの感覚はどんなものなのか、前に行ったことはあるのか、さらには根源の魔力を扱う感覚とはどんなものなのか等々、実にねちこく事細かに何度も繰り返し尋ねられるが、なにも覚えていない以上、ファルハルドに答えられることはなにもない。
フーシュマンドは、では、もう一度実演を、などと怖いことを言ってくるが、はい、わかりましたと答えられる筈がない。食い下がってくるフーシュマンドの申し出を、なんとか、本当に苦労して、なんとか断った。
救援にやって来た挑戦者たちの大部分はそのまま村に残り、復旧作業を手伝っているらしい。
フーシュマンドによれば、その者たちはファルハルドに関心があり、目を覚ますのを待っている様子なのだと言う。眠っているファルハルドを見舞おうとした者もいたが、バーバクやフーシュマンドのような直接の知り合い以外は全てニユーシャーたちが止めたそうだ。
看病はラーメシュたちが交代で行っていた。特にエルナーズが熱心に面倒を見てくれたらしい。
ジャコモたちの尽力か、少数のパサルナーンに帰還した挑戦者が連絡したのか、三日前にパサルナーンから神官を中心とした有志たちの集団が村の復旧や怪我人の治療の手伝いにやって来た。モラードもこの集団と一緒に村に帰ってきており、それから毎日ファルハルドの様子を見に来ている。
そこまでを聞き、ファルハルドは皆の様子を見に行こうと寝台から起き上がった。
床に足を下ろして立ち上がった時には少しふらつき、フーシュマンドが手を貸そうとするが、丁重に断った。一瞬ふらつきはしたが、問題なく立つことができ、壁に手をつきながらなら歩くこともできている。
そのままフーシュマンドに付き添われながら階段を降り、一階の食堂へと向かった。
ファルハルドはふと、誰かに名を呼ばれ目を覚ましたことを思い出した。それが誰の声であったのか、どうしても思い出せなかった。
─ 2 ──────
今は昼前、農村に於ける最初の食事時。ファルハルドが一階に降りた時、ちょうどニユーシャーたちは村人へ料理を配り終わり、自分たちの食事を用意しているところだった。
ここにいるのはニユーシャー、ラーメシュ、エルナーズ、モラード、ジーラ、そしてジャンダル、バーバク、カルスタン、ペール、ファイサル、ゼブ。なぜか、いや、フーシュマンドがファルハルドに付き添っていたのだから当然かもしれないが、ザイードとアリマもいる。
他の者たちも含め、戦った者たちは皆出歩けるまでに回復し、最後まで意識が戻らず心配させていたのがファルハルドとなる。皆は目を覚ましたファルハルドを見、喜びの声を上げた。
ファルハルドはバーバクへと目を向ける。意識を失う前に見た光景は、やはり間違いではなかった。空の左袖が力なく垂れ下がっている。
それでも戦いが終わり、バーバクも危険な状態は脱したお陰か、屈託のない笑顔が戻っていた。
いや、違うのか。昔と同じではない。口にはせずとも、仲間たち皆の表情は翳りが濃くなっている。
それも当然だ。ヴァルカもハーミも、もういないのだから。戦いに生きる者が戦いのなかで命を落とすのは当たり前。そして、戦士として、神に仕える神官として、二人の生き様と死に様は誇り高いものだった。めそめそと嘆く言葉など似合わない。
それでも、なにも感じずになどいられる訳がないのだから。
ただ、ここにいるのは戦いに生きる者と、その心を理解できる者。余計な事は言わず、気持ちを切り替え日々の生活を送る。
バーバクの怪我もジャンダルの怪我も気には掛かるが、こうして一応は元気になっている姿を自分の目で確かめ、ファルハルドは安心した。
ニユーシャーが、ファルハルドにも空いている席に座るよう促し、麦粥を運んできた。
「顔色も良くなったな。安心したよ、ずっと目が覚めないから心配したんだぞ」
「済まない」
続けてファルハルドはずっと伝えたかった言葉を伝える。
「ニユーシャー、エルナーズ。二人に俺は救われた。ありがとう」
ファルハルドは深々と頭を下げた。
「おおっと、なんだよ大袈裟な。こりゃ、参ったね。こっちが礼を言わなきゃなんないのに、先に礼を言われちまったよ。へへっ、こりゃどうにも弱っちまうな」
ニユーシャーは照れたようにつるりと顔を撫で上げた。エルナーズも頬を赤らめ、慌てている。そして、ニユーシャーは表情を真剣なものに変えた。
「あんたらが助けに来てくれなけりゃ、この村の人間は全員が死んでた。ありがとうございます」
ニユーシャーはファルハルドに頭を下げ、皆にも頭を下げた。ラーメシュたちもエルナーズと一緒に礼を言い頭を下げた。
「まあ、取り敢えず食ってくれ」
ニユーシャーは笑ってファルハルドの肩を叩く。
食事の話題は皆の無事を喜び、村の現状を確認する話題に終始した。
そして食事が終わり、ファルハルドは村内を見て回るかと考えるなか、バーバクが話があるとファルハルドに声を掛けた。




