123. 分水嶺 /その⑦
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悪獣たちは猛り、一斉に攻めかかってくる。
狼の悪獣が柵にぶつかり、牙を剥き出す。村人が牙を剥き出す口内に槍を突き入れる。
猿の悪獣が柵を乗り越え、柵を守る村人に上から襲いかかる。剣が閃く。ファルハルドが斬り捨てた。
悪獣たちは激しく攻め立てるが、村人たちの士気は上がっている。攻められたところで挫けはしない。
ただし、続く襲撃に柵の傷みが目立ち始めている。柵外に悪獣の死骸も積み重なり始めている。
打つ手がない。死骸を燃やす訳にはいかない。柵傍に積み重なる死骸を燃やせば、柵にも延焼するのはわかりきっているのだから。
開拓地の戦いでは、防衛柵の外に死骸が積み重なり柵が防衛設備としての機能を完全に果たせなくなる前に、柵での防衛を諦め堀と土塁での防衛に移行した。
だが、このカルドバン村は開拓地の東村と違い、二段目の防衛設備はない。防衛柵が最後の防衛設備となる。どこまで保つか。どこまで敵を削れるか。命懸けの我慢比べが続く。
少しずつ柵を乗り越える悪獣が増えてくる。一頭の猿の悪獣が柵を乗り越えた。村内に駆ける前に、踏み込みファルハルドが斬り捨てた。
しかし、すぐにさらなる猿の悪獣、狼の悪獣が柵を乗り越える。剣を向けるファルハルドに死角から兎の悪獣が体当たりをした。体勢が崩れる。猿と狼の悪獣は村人たちがなんとか倒した。
徐々に対処が間に合わなくなってきている。殺して、殺して、殺しまくり、その数を大きく減らしたが、それでも悪獣たちは隙間なく柵にと詰めかけ、群れは途切れることなく続いている。少なくとも、まだ三百頭以上は残っている。
柵内に入られても柵を守る村人たちを襲うのであればまだなんとかなる。難しく困難な状況で戦うというだけなのだから。
最悪なのは、村内に入り込んだ悪獣たちが非戦闘員を襲っていくこと。柵を乗り越えた悪獣はすぐに斬り捨てなければいけない。
そうして柵を乗り越えた悪獣への対処に人手を取られては、柵を守る人数が減ってしまう。すでに休む者も、待機中の者も、全員が戦闘に参加している。これ以上の戦力の補充は不可能。ファルハルドたちも村人たちも死力を尽くし戦う。
再び柵外から甲高い笛の音が鳴らされる。
なにを仕掛けてくる。ファルハルドは戦いながら、敵の動きに気を払う。
答えはすぐに示された。地が震える。牛、猪、熊、重量のある悪獣たちが東西南北四方向から、同時にまとまって迫ってくる。
防げない。今、柵を攻めている犬や狼、猿や兎の悪獣を撃退するだけで手いっぱいなのだ。ここに柵の破壊を狙われれば防ぎようがない。
立ち塞がる悪獣を蹴散らし、猪や牛の悪獣たちは迫る。
「避けろ」
ファルハルドは進路先を守っている村人たちに叫んだ。村人たちは転がるようにして避けた。
ファルハルドは逃げない。柵を破壊し侵入してくる悪獣を一頭でも多く斬り捨てんと、進路上で待ち構え魔法剣術を使用するため精神を集中させる。
猪や牛の悪獣たちはすぐそこに。
その時、高らかに不思議の言葉が響いた。
「真理の扉をいざ開かん。我が一なる意志を形と成して、猛き炎は地を走る」
炎蛇。人の背丈を超える二条の巨大な炎が地を駆け巡り、柵を破壊せんと迫った悪獣を呑み込んだ。
同時に村の南側、イルマク山から喊声が上がった。山裾から数人ごとに分かれた人の集団が駆け出してくる。その者たちは強い。立ち塞がる悪獣たちをものともしない。猛り襲いかかってくる悪獣たちを次々と倒していく。
その姿は北東部分で戦うゼブやファイサル、西側部分で戦うヴァルカやペール、東側部分で戦うファルハルドからは見えていない。
だが、ファルハルドは知っている。先ほど聞こえた不思議の言葉を。それを唱えた人物を。
山裾から駆け出してきた者たちから遅れ、姿を見せた。不思議の言葉を唱えた人物が。パサルナーンの『愚者の集いし園』のフーシュマンド教導とその二人の弟子が。
二人の弟子のうち、壮年の男性が興奮を抑えきれぬ様子で口を開く。
「教導、素晴らしい結果です。この術式は成功ですね。ぬははははっ、私も思う存分、研究の成果を試させていただきます」
もう一人のおどおどと震える女性も何事かを呟く。が、
「――」
あまりに小声過ぎて、周りが騒がしいこの場ではなにを言ったのか隣にいるフーシュマンドでも聞き取れなかった。
「ザイード、アリマ。では、次なる術式を試そうぞ」
フーシュマンドは弟子たちの様子に構わない。これを機会にと次から次へと興味のあった術を実行しようとする。
「はい」
フーシュマンドと弟子たちは声を合わせ、新たな不思議な響きの言葉を唱え始めた。
ただ、後ろから姿を見せた人物が苦笑気味に一言注意した。
「試されるのは良いが、挑戦者たちを巻き込まぬように頼みますぞ」
ハーミは注意した後は一組の挑戦者たちにフーシュマンドたちの護衛を任せ、自分はバーバクたちが戦うカルドバン村へ向け、走り出した。
まだ、立ち塞がる悪獣たちと接触する前から、すでにハーミの格好は返り血に汚れ、土埃に汚れている。山中で待ち受ける悪獣や悪神の徒と戦ったために。
敵はバーバクたちが駆けつけたことから、パサルナーンに救援要請が届いたことを知った。それ以上の増援を邪魔するため、イルマク山に悪獣を配置し、ハーミたちの接近を阻んだのだ。
山中に多くの悪獣と悪神の徒が配置されていたが、進むのは闇の存在との戦いに慣れた挑戦者たちの集団。敵も山中で救援者たちを全滅させられるとは考えていなかった。敵の狙いは救援者の足止め。
足止めを狙い、時間稼ぎに専念する敵を倒すのは簡単ではない。大局的な判断や戦略的な思考に慣れていない挑戦者たちだけなら、さらに二日は時間を空費していたことだろう。敵にとって不幸だったのは、この集団にフーシュマンドたちが加わっていたことだ。
フーシュマンドを動かしたのはジャンダル。
ジャンダルはモラードから聞いたカルドバン村が襲われている話を白華館のセレスティンに伝え、パサルナーン政庁や保安隊への連絡を頼んだ足で、『世俗を離れ静寂と禁欲の下、真理を探求し、真理に奉仕する愚者の集いし園』にも立ち寄り、たまたま調査の合間に『愚者の集いし園』に帰ってきていたフーシュマンドとも話をしていた。
長く話す時間はなかったことから、ジャンダルは手短にカルドバン村の状況を伝え、一言だけを言った。こんな体験をしている村人たちに聞き取り調査をする機会なんて、そうそうないんじゃないの、と。
フーシュマンドはまんまと釣られてくれた。その動機はジャンダルが言った理由だけではないのだろうが。
フーシュマンドたちは戦う専門家ではないが、頭がある。敵の動きを見極め、挑戦者たちにどこを狙うべきか助言をし、強力な魔術でまとめて悪獣と悪神の徒を屠っていった。
パサルナーンからの救援者は、挑戦者が二十三名、魔術師が三名の計二十六名。数で言えば、村を囲む悪獣たちの十分の一にも届かない。しかし、その実力は並の戦士など比べものにもならない者たち。村を囲む悪獣などものともせず、力強く悪獣たちを倒していく。
その姿を見た村人たちは歓声を上げる。村の南側から上がった喜びの声は順に伝わっていき、次第に村全体に拡がっていく。先の見えない苦難の時は終わった。ここからは反撃の刻。村人たちは勢いづく。
そして、ファルハルドは。
目の前に迫る悪獣を斬り捨て、周囲の者たちに声を掛け、移動する。ファルハルドは東側部分を離れ、北東部分へ向かった。そこにいるゼブやファイサル、その他の村人たちにも伝え、柵に上る。
ファルハルドが告げた内容。それは悪獣使いの頭を狙うということ。
一度は人数の多い悪獣使いを斬って回っても無駄だと考えた。しかし、総攻撃を指示する笛の音を聞き、気付いた。悪獣使いたちには全体の指示を出している者がいると。その者こそがこの群れの頭。
笛の音からおおよその位置は把握している。最も悪獣の数が多い北東部分のその奥、街道にも近い場所。
ゼブたちの制止の言葉を振り切り、ファルハルドは悪獣使いの頭の首を狙い、ファルハルドは群れの中に飛び込んだ。
次話、「百折不撓」に続く。




