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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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122. 分水嶺 /その⑥



 ─ 8 ──────


〈村人たちよ、気付いていないのか。お前たちはだまされているのだぞ〉


 どこから聞こえる声なのかわからない。おそらくは邪術。耳を塞ごうとも声は聞こえてくる。


〈なぜ、この村がこんな目に遭うのか、不思議に思いませんか〉


 さっき話してかけてきたのは精悍な男性の声、今のは優しげな若い女性の声。複数の人物が入れ替わり立ち替わり話しているのか。

 悪意を内包する言葉は、弱く、だが確かに不安を掻き立て、心に絡みつく。


 ファルハルドは敵の意図に気付いた。まずい。このままでは防衛体制が崩れる。だが、これから持ち出される話題にファルハルドがなにかを言っても逆効果。打つ手がない。


〈うわー、驚き。本当に気付いてないんだ、おめでたい人たちだねー〉


 少年の声が可笑しげに言ってくる。


 声が語りかけ始めてから、悪獣たちによる襲撃も止んでいる。柵傍で興奮し、牙を剥き出す獣たちはいるが、ただ牙を剥き出しているだけ。

 戦いが一時的に止んでいることから、村人たちは自然に声に耳を傾けている。


〈考えてみなされ。闇の領域から遠く離れたこの村が、なんで悪獣の大群に襲われるのじゃ。おかしかろう。今までそんなことがあったかのう。おかしいのう、不思議だのう。なぜなのだろうのう〉


 しわがれた老人の声があざけるように問いかける。


 それは村人たちにとっても疑問であったこと。目の前の襲撃に対応するため、考えることを後回しにしながらも、決して消えず胸の中に留まり続けきた疑問。

 少しずつ、悪意の言葉は村人たちにみていく。


〈教えてやろう。この村には呪われた忌み子が出入りしているな。全てはその呪われた忌み子のせいなのだ〉


〈まあ、なんということでしょう、穢らわしい忌み子が出入りしているなんて。なんて忌まわしい。

 ですが、忌み子が出入りしてからといって、なぜこの村が攻められるのですか〉


 他の誰にもわからなくても、ファルハルドだけにはわかる。声に含まれる悪意は一つだと。

 これは複数の人物が話しかけてきているのではない。ただ一人だけ。一人の人物が声色を変え、口調を変え、まるで複数の人物が話しているように見せかけている。

 それはおそらくあの暗殺部隊の老人。


〈その呪われた忌み子は、忌み子らしく天をも畏れぬ大罪を犯した。そして法に忠実なる誠実な捕り手たちを皆殺しにし、長年に渡り逃げ続けているのだ〉


〈うわー、おっかなーい。えー、でも、その逃げ続ける悪い奴が出入りするからといって、なんでこの村を攻めないといけないの? やっぱよくわかんないなー〉


 ファルハルドの足は止まっている。


〈その大罪人は各地を逃げ回り、容易に居場所を掴ませぬ。唯一、確実に姿を見せるのが、純朴な村人たちが住まうこの村なのだ。我々が村人たちを巻き込むことができぬと考え、ずる賢くも村人たちを盾として利用しているのである。

 我々は決意した。たとえ、無実の村人たちに被害を出したとしても、必ずや大罪人を捕らえるのだと決意した。それが、この事態を招いた全てである〉


〈そうは言うがな、村を攻め村人たちまで巻き込むなど徒事ただごとではない。村を攻めてまで捕らえねばならぬほどの大罪とはいったいなんなのじゃ〉


 村人たちは息をひそめ、完全に話に聞き入っている。


其奴そやつの犯した天をも畏れぬ大罪とは王殺し。その呪われた忌み子はイルトゥーランの先王を殺害した大罪人なのだ〉

〈まあ、なんて怖ろしい〉

〈ひやあー、怖いよー〉



 村人たちの間に漂う空気が変化した。なにが、どう変わったのか。未だ動きは見られない。村人たちは沈黙し、身動きすることなく押し黙っている。ただ、危うい熱が生まれている。


〈王殺し……、なるほど、それは確かに決して許されぬ大罪じゃ。どれほどの犠牲を生んだとしても必ず捕らえねばならぬのう。

 しかしな、その呪われた忌み子さえ捕らえれば良いのなら、なにもこの村を攻めなくとも良いのではないか〉


〈できるならばそうしておる。しかし、唯一、確実に姿を見せるのが、この村である以上、仕方ない。もうこれ以上、大罪人を野放しにすることはできぬのだ。たとえ、無実の村人たちに被害を出したとしても、必ずや王殺しの大罪人を捕らえねばならぬ〉


 事実に嘘を織り交ぜ、都合の良い話をでっち上げてくる。


 しかし、このかつてなかった規模の悪獣の大群がカルドバン村を襲うという異常事態の説明として、王殺しの大罪人を捕らえるためだという理由付けは、純真な村人たちを納得させるのに充分なものである。

 ファルハルドが多くの者にうとまれる忌み子であり、時折このカルドバン村にやって来ているという事実が加わるのなら、なおのこと。


 村人たちはただ流されたりはしない。しないが、そこかしこで村人たちは互いに目配せをし、小声で話し合っている。


〈呪われた忌み子の悪行に善良な村人たちが巻き込まれるとは、なんと悲しいことなのでしょう〉

〈ひどい話だねー。村人たちがかわいそう〉


〈まったくだわい。そんな大罪人のせいで、こんな大事おおごとに巻き込まれた村人たちはたまったものではないのう。

 いや、ということは、だ。もし、その呪われた忌み子が観念し、大人しく出頭すれば、この村にこれ以上の被害は出ぬということではないかのう〉


 予想通りの展開だった。ファルハルドは一度天を見上げ目をつむり、大きく息を吐き出した。そして前を向き、ゆっくりと村人たちのいる場所へと歩いて行く。

 続く言葉も予想できる。村人たちに無用な負担をいぬため、ファルハルドは進んでいく。


 予想通り、声の悪意はまだ終わらない。


〈確かにそうだな。我々の目的は呪われた忌み子を捕らえること。其奴が大人しく捕まるのなら、この村をこれ以上攻めることはしないと約束しよう〉


〈村長様も村人たちを大切と思うのなら、そんな余所者をかばい立てなどせず、村長としての責務を果たされるべきではございませんか〉


〈本当そうだよねー。大人の人たちもよそ者をかばったりなんかせず、ちゃーんと自分の家族を守ってほしいなー〉


〈村人たちよ、悪いことは言わぬ。そんな大罪人を庇うなどお止めなされ。


 もしや、共に村を守る者を突き出すなど心が痛むと考えているのか。

 それは違うぞ。その呪われた忌み子は、自分が助かるために戦っているだけなのだ。其方そなたらを助けるために戦っているのではない。騙されてはいかんぞ。

 その呪われた忌み子は人の心など持ち合わせてはおらん。なんと言っても王殺しの大罪人なのじゃから。


 善良な其方らが心を痛める理由などなに一つない。むしろ呪われた忌み子に、そうやって善良さをつけ込まれる其方らは被害者だ。


 考えてみよ。罪人と無実の者、余所者と家族、呪われた忌み子と真っ当な者。いったいどちらが大切かのう。

 自分の大切な者のため、責められるべき罪人を追い出すのはなにも悪いことではない。


 さあ、躊躇ためらうでない。

 無実の者を守れ。家族を守れ。真っ当な者を守れ。この村を守れ。

 罪人を許すな。罪人を突き出せ。決断せよ〉


〈決断せよ〉

〈決断せよ〉

〈決断せよ〉

〈決断せよ〉

〈決断せよ〉

  〈決断せよ〉

 〈決断せよ〉

   〈決断セよ〉

 〈決断セヨ〉

        〈決ダンせよ〉

〈けつダンせヨ〉

     〈ケツダンセヨ〉

   〈決ダンせよ〉〈決断セよ〉〈ケツダンセヨ〉〈決断セヨ〉

 〈ケツダンセヨ〉〈決断セヨ〉〈決ダンせよ〉〈決断セよ〉


 悪意の言葉は脳内にへばりつき、ささやき続ける。高く低く、悪意の言葉はいつまでも輪唱し続ける。



 ファルハルドは柵傍で話し合う村人たちの姿が見てとれるところまで進んだ。


 村人たちもファルハルドに気が付いた。村人たちは目に見えて動揺している。


 ファルハルドに動揺はない。どうすべきかはわかっているのだから。

 村人たちに苦しい決断をさせる気はない。後悔させる気もない。全ては自分から始まったこと。ならば、全てを自分一人で終わらせるべき。


 誰にも見られぬ場所からひっそりとファルハルドが出て行ったのなら、村人たちはファルハルドがどこにいるのかわからず混乱することだろう。こうしてはっきりと姿を見せる形で出て行けば、村人もそれ以上戸惑うことはない。


 ファルハルドは己の心に従い、一気に村人も柵も跳び越え飛び出そうとする。身をたわめ、足を踏みしめる。重心を移動し、そして。




 動けない。一つの華奢な手がファルハルドを止めた。


「行かないで!」


 汗だくになり、大きく息を乱したエルナーズがファルハルドの服の端を掴んでいた。


 南西側部分で投石役として指示を出していたエルナーズは悪意の声を聞き、誰よりも早くその狙いを理解した。なにが起こるかも、どうしなければならないかも。


 防衛のことも、自らの役割のことも忘れて駆けた。無我夢中で駆けた。どうか間に合ってと願いながら。そして、見た。まさにファルハルドが村を飛び出そうとするその姿を。


 懸命に駆ける。その腕を伸ばす。必死に、ただひたすらに。人生でこれほどに必死になったことはなかったほどに。


 願いは天に通ずる。間一髪、間に合った。飛び出そうとするファルハルドの服を掴むことができた。


 ファルハルドは一瞬、気をらされたように動きを止める。しかし、そのままエルナーズの手を振り切り、駆け出そうとする。


 エルナーズは飛び出した。ファルハルドの進路に立ち塞がり、両腕を広げ叫ぶ。


「駄目だよ! それは違う、間違いだから!」


 ファルハルドはエルナーズの必死な様子に気を呑まれ、足が止まる。エルナーズの懸命の気はファルハルドの心を掻き乱していた悪意の言葉を振り払った。ファルハルドは冷静さを取り戻す。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。そして、エルナーズへと微笑む。


「君の言う通りだ。俺は間違っていた。ありがとう。もう大丈夫だ」


 ファルハルドを誘い出そうとする敵の狙いは、エルナーズによって防がれた。

 とはいえ、状況は変わらず。悪意の言葉は続いている。このままでは、じきに村人たちはあやまちを犯す。誰か一人、声が大きい者が声を上げた時、暴走が始まってしまう。


 わかっていてもそれを止める手が思いつかない。


 当事者であるファルハルドが弁明し、敵の偽りを指摘したところで、ただの聞き苦しい言い訳にしか聞こえない。

 それでは誰も説得できない。行動を変えさせるなど不可能。村人たちの心を動かせるとするなら、それは。


「おうおうおう、勝手ばっか抜かしてんじゃねえぞ、どさんぴん!」


 きれの良い言葉が悪意の言葉を切り裂いた。ファルハルドは顔を上げ、エルナーズは目を丸くする。


「伯父さん……」


 薄く村に覆い被さっていた息苦しさが晴れた。邪術によって人々に届いていた悪意の言葉を打ち消したのなら、それは法術。位置関係から考えるに、ペールが対抗する法術を使い、ニユーシャーの言葉を皆に伝えている。


「なにが呪われた忌み子だ。呪ってんのは手前ぇらだろうが、馬鹿野郎!


 あん人はなあ、住んでた村を襲った賊からうちの子たちを救い、襲いかかってくる悪獣の群れからも守ってくれたんでい。

 今回だってそうだ。この村が悪獣の大群に囲まれどうにもなんねえなか、危険を顧みず包囲を斬り開いて助けに来てくれたんじゃねえか。


 おう、それのどこが自分のために戦ってるってんだ。どう考えたら、呪われてるってことになんだ。

 手前ぇらの頭にゃ、泥で詰まってんのか、頓痴気とんちきが!」


 エルナーズは安堵したように、どこか泣き笑うかように笑う。


「こそこそ隠れて、勝手抜かしてやがんのが誰か知らねえがよ、手前ぇらが悪獣使って襲いかかってきてんだろうが。

 なら、うちの村が酷ぇ目に遭ってんのは、一から十まで手前ぇらのせいだ。なに一つ、あん人のせいじゃねえ! んなもん、猿でもわかるわ」


 村人たちはニユーシャーの言葉に打ち抜かれ、小声での話し合いを止めた。


「そもそもよ、手前ぇ可愛さに一緒に村を守るもんを売る人でなしなんざあ、うちの村にゃ一人もいねえ。

 めんじゃねえぞ、一昨日おととい来やがれ、このすっとこどっこい!」

「良く言った、ニユーシャー」


 穏やかで、力強い声が加わった。


「村長」

「皆、聞こえているか。たぶらかされてはならんぞ。どこの世界にたった一人の人間を捕らえるために、大群で村を襲う者がおるのだ。これは村の結束を乱そうとする悪神の徒の罠に違いない。決して、惑わされてはならん」


 村人たちは頷き合っている。


「そも、儂はいろんなところから噂で聞いておる。イルトゥーランのデミル先王は心臓発作により急死したのだ。誰かに殺された訳ではない。それだけでもこの話が嘘であるとわかる。皆よ、惑わされることなく村を守れ」

「おお」


 村人たちは一斉に声を上げた。敵の言葉は逆効果。村人たちは、ファルハルドを追い出そうかと迷った罪悪感を消すように、さらに士気を上げやる気を燃やしている。もはや、惑わされることはない。



 深淵の底から響くかのような、暗く重く乾いた声が告げる。


〈ならば、皆死ね〉


 悪獣たちが咆吼をとどろかせる。声が語りかけ始めてから止んでいた悪獣たちによる襲撃が再開された。



 ファルハルドはエルナーズに持ち場に戻れと声を掛け、自らは柵傍へと走り出した。村人たちに声を掛ける。


「村を守るぞ」

「ああ」


 わだかまりはない。力を合わせ、悪獣を撃退していく。

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