121. 分水嶺 /その⑤
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ファルハルドにはダリウスのように相対するもの全てを潰す力強さはない。バーバクやカルスタンのように一振りで敵を蹴散らすこともできない。だから、自分にできる戦い方をする。
勢いよく迫る猪の悪獣たちの正面には立たない。その集団を掠めるように横を駆け抜ける。駆けながら猪の悪獣たちの脚を斬り落とす。
全ての猪の悪獣を斬れる訳ではない。脚を斬っただけで死ぬこともない。
しかし、脚を斬られた猪の悪獣は、あるものはその場に倒れ、あるものは斜めへと進行方向を変えた。
ファルハルドが狙ったのは柵へとぶつかる悪獣の数を減らし、少しでも柵が壊れる確率を低下させること。一度で壊される筈だったところを二度、三度とぶつからなければ壊されないようにすれば、それだけ助かる確率も高まる。
村人たちの矢とファルハルドの剣によって倒れた猪の悪獣は十二頭。無事である三十頭が防衛柵へと迫る。
柵前に攻め寄せていた悪獣たちは一塊となった猪の悪獣に蹴散らされる。猪の悪獣たちは次々と柵にぶつかっていく。
激しい衝突音。柵は大きく揺れた。崩れはしなかった。まだ穴は空いていない。猪の悪獣たちが突撃したのは応急措置だけをした箇所とは別の場所。
合わせ身の亡者が発生した時にはどれほど悪獣使いたちが嗾けても悪獣たちは従わなかったように、悪獣を使役する悪獣使いといえども、そう厳格に悪獣たちを従わせることはできないのだろう。
しかし、体当たりを受けた箇所では、柵を作る木材が圧し折れ破損した。次に体当たりをくらえば、とてもではないが保たない。
猪の悪獣たちは一旦離れていく。安堵する者はいない。再度の突撃のための準備動作であるのはわかりきっているのだから。
柵から離れていく猪の悪獣は二十八頭。二頭は勇気を奮い起こした村人によって倒されている。
柵から距離をとる猪の悪獣たちを、ファルハルドは再び掠めるように斬っていく。猪の悪獣たちもファルハルドを警戒していた。脚を斬り落とせたのは五頭のみ。残りの二十三頭は離れた位置まで進み反転、柵へ向け再度の突撃を開始。
進路は予想できる。再度の衝突を許す訳にはいかない。ファルハルドは必死に駆け、突撃する猪の悪獣たちの脚を斬っていく。
踏み込み過ぎた。ファルハルドは鎧の端を引っ掛けられた。その身は吹き飛ばされる。
斬れた数は九頭、柵に迫る数は十四頭。始めの突撃時の半数以下に減らしたが、圧し折られた柱を完全に破壊するには充分過ぎる数だ。
吹き飛ばされたファルハルドはすぐに体勢を立て直し、猪の悪獣たちを追いかける。が、足の速さは悪獣たちのほうが上。追いつけない。
村人たちの必死の抵抗。残る全ての矢を放ち、四頭を倒す。しかし、残る十頭の勢いは弱まらない。土埃を立てながら、まっしぐらに先ほど突撃した同じ箇所に向け進む。
止められない。再び激しい衝突音が鳴り渡った。
ファルハルドは瞠目した。
防衛柵は破壊され、ていない。罅だらけの光壁が止めた。
柵傍で戦う村人たちの後ろには、両膝をついた姿勢で祈りを上げるファイサルとペールの姿が。そして、その横にはバーバクとヴァルカの姿も。
顕現された光壁は二重。一枚目は砕け散り、突撃の勢いを弱めたが止めることはできなかった。二枚目も衝突の勢いに一気に亀裂が走る。無数の罅に砕けそうになりながら、なんとか止めた。
ファイサルは文言を唱え、光壁の形を変えた。猪の悪獣たちの前方と左右、三方を囲み逃走を阻む。
バーバクとヴァルカは柵を乗り越えた。その動きは重く、調子の悪さは隠しきれない。それでも移動が儘ならない猪の悪獣たちを攻める。
ファルハルドも追いついた。三人はその手の武器を振るい、当たる端から屠っていく。
全ての猪の悪獣を斬り捨てた。いつ他の悪獣たちが攻め寄せてくるかわからない。それでも、ファルハルドは問わずにはいられない。
「大丈夫なのか」
バーバクも、ヴァルカも、そしてファイサルやベールもその顔色は悪い。どこからどう見ても休息が必要な状態だ。
バーバクは答える。
「もちろんだ」
不敵に笑った。
「俺は戦士。今は戦うべき刻。なら、寝てられる訳がないだろ」
ヴァルカは話す。
「この身は痛みをほとんど感じない」
最も顔色が悪く、動きのぎこちないヴァルカは、ファルハルドの目を真っ直ぐに見詰め、告げる。
「俺は戦える。犯した罪は戦うことで返すと決めた。村を守る戦いと言うなら、これこそが俺の求めたものだ。なにも言わず、やらせてくれ。こここそが俺の戦場なんだ」
バーバクは村内にいるファイサルとペールへと振り返る。
「気持ちはあいつらも同じだと思うぞ。戦うべき戦場があり、守るべき者たちがいる。なら、泣き言言ってても仕方がない。やれることをやるだけだろ」
口の端を吊り上げ、続ける。
「な」
バーバクの笑みの意味は、「お前だって同じだろ」という問いかけ。確かにファルハルドも同じ状況で同じ事を考える。ファルハルドには止める言葉は言えない。一言、そうかとだけ応えた。
ファルハルドは次にどう動くべきか、しばし迷う。
こうしてバーバクやヴァルカたちが出てきたのなら、村人との協力はバーバクたちに任せ、ファルハルドは柵の外で姿を見せた悪獣使いたちを倒して回るという選択肢を採ることもできる。
双頭犬人を倒した時のように、悪獣使いたちからの指示がなくなれば悪獣たちから受ける圧力はだいぶ下がる筈だ。凌ぐことはかなり楽になり、カルドバン村が助かる確率は高まる。
しばし迷い、ファルハルドはバーバクたちと共に村内に戻った。
できれば柵外で悪獣使いを斬って回りたい。悪獣使いは全て殺すと心に決めているのだから。だが、村を守ることを考えれば、ファルハルドが一人で悪獣使いを斬っていっても効果は薄い。
双頭犬人を倒した時とは事情が違う。あの時は双頭犬人一体を倒しさえすれば、状況が好転するとわかっていた。
今回は違う。決定的に異なっていること。それは悪獣使いたちが複数いるということ。誰か一人を斬ったところで状況は変わらない。
そして、最初の頃は悪獣使いはその姿を隠しながら悪獣を操っていたように、悪獣使いは身を隠しながらでも指示を出すことができる。
ファルハルドが飛び出し何人かを斬ったところで、残りの者に姿を隠されてしまえば悪獣の群れの中から探して回るのは困難を極める。残りの者が悪獣を従わせる限り、結局のところ状況は変わらない。
だからファルハルドは村内に戻り、襲い来る悪獣たちを倒していくことを選んだ。
ファルハルドたちが村内に戻り、誰がどの場所に向かうかを相談し始めた時。村から離れた位置で甲高い笛の音が大きく鳴らされた。呼応するように村を取り囲む複数箇所からも同じ甲高い笛の音が響き渡る。
ファルハルドはその笛の音を知っている。昔、モラードたちと共にこのカルドバン村を目指す途中、悪獣の群れに襲われた際に聞いた笛の音と同じもの。
つまり、それが意味するのは。
今までとは比べものにならぬ力強く害意に満ちた獣の咆吼が響き渡る。柵から離れた位置にいた悪獣までもが興奮し、一斉に村に殺到する。
笛の音が意味するもの。それは悪獣使いたちによる、総攻撃の指示。奴らは一気に村を殲滅させることを狙った。
なぜ今この時なのか、いくつかの理由が思い当たるがそれを検討している暇はない。ファルハルドたちは短く言葉を掛け合い、村内各方面に散っていく。
最も足が速いファルハルドは村の反対側、東側部分に。
弱まってはいるが法術が使えるファイサルは、ゼブがおり最も悪獣が殺到している北東部分に。
バーバクは比較的迫る悪獣の数は少ないが、その分守る村人も少ない南側、カルスタンが南西にいることから南東部分に向かう。
疲労が濃いペールと、本人は痛みを感じずとも毒により内臓が痛んでいるヴァルカにこのまま西側部分の防衛を任せた。
ファルハルドたちは急ぎ駆ける。しかし、村内各所に向かうファルハルドたちがそれぞれの場所に辿り着く前に、敵は新たな攻撃を仕掛けてきた。
それは今までの悪獣や悪神の徒による襲撃とは別のもの。村内にいる全ての者の耳に、聞き慣れない声が語りかけてくる。




