119. 分水嶺 /その③
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バーバクは戦斧に、カルスタンは戦鎚に魔力をまとわせる。ファイサルとペールは守りの光壁を二人の傍らに顕現させる。
踏み込む。裂帛の気勢と共に渾身の力を籠め、その手の武器を振り下ろした。
渦巻く赩渦は光壁に妨げられ、バーバクとカルスタンの身に届くのはわずかな余波だけ。二人は体内魔力を高め対抗する。
力と力のぶつかり合い。赩渦は光壁を削り、二人の武器を押し返す。二人は歯を食い縛り、武器を押し込む。
しかし、武器は進まない。赩渦は激しさを増す。バーバクとカルスタンの腕が小刻みに震える。
二人の武器は押し返された。光壁に守られ、二人は赩渦に呑まれはしなかったが、弾き飛ばされ身体ごと投げ出された。
「糞っ」
バーバクはすぐさま再び赩渦に立ち向かおうとする。しかし、ファイサルが止めた。
「待ちなさい。闇雲に行っても同じ結果になるだけです」
「他に手はないだろうが」
バーバクは苛立ち、怒鳴り返した。ファイサルはバーバクの焦燥に引っ張られることなく、落ち着きをもって応える。
「ならばこそ、確実に行わなければ。皆も限界が近いのだ。何度もやり直すことはできません」
バーバクは口を噤み、一度大きく深呼吸をした。
「そうだな」
気持ちを落ち着かせ、バーバクは応えた。
その時。唐突に、場違いに呑気な声が掛けられる。
「やあ、なんか盛り上がってる?」
全員が驚き、目を見開いた。
「おまっ」
意識を失っている筈のジャンダルが、にししっと笑い立っている。
ジャンダルはひょこひょこと杖を突きながら歩いてくる。その杖は良く見てみれば、悪神の祭司長が使っていた先端に透き通った石が付けられた錫杖だった。
皆は、ジャンダルが重傷を負っていながら出歩いていることにも、自分の右手を奪った敵が使っていた武器を杖代わりにしていることにも、この村の存亡が懸かっている時に呑気に話すことにも呆れ、掛ける言葉が出てこない。
それでも一番付き合いの長いファルハルドが最初に気を取り直し、問いかけた。
「大丈夫なのか」
「うん? そりゃ、まあ、歌って踊ってみろ、って言われたら、ちょっときついけどね。けど、一大事なんでしょ。ならさ、おいらの力が必要でしょ。
え? なになに? 『さすがです、ジャンダルさん。心から尊敬します』って。いやだなあ。まあ、それほどのことはあるけどね」
ジャンダルは手のない右腕を振って、大きく笑ってみせる。
「まったく、お前という奴は」
バーバクは笑った。さっきまでの肩に力が入った様子はなくなっている。それは他の者たちも同様だ。全員が笑い、場を覆っていた悲壮感は消えている。
さっきまでは皆が余裕をなくしていた。それでは上手くいくものも上手くいかない。だからこそジャンダルは敢えて剽げてみせた。気負い過ぎ、思い詰めた気持ちを解きほぐすために。
皆もそれはわかっている。
なぜなら、ジャンダルは呑気に話してみせてはいるが、赤い顔で額に脂汗を浮かべ、少し呂律が回っていない状態なのだから。
一目見て、今も続く激しい痛みを抑えるために大量の痛み止めを使用し、それでも痛みを抑えきれないままで駆けつけたとわかるのだから。
皆はジャンダルの心意気に応えるためにも、どうすれば赩渦を破れるのかを考える。さっきまでとは違う。気持ちに余裕が生まれ、思考も明瞭となっている。
この赩渦は悪神の徒七人の命を呑み込んで拡大を続けている。単純に考えるのなら、打ち破るには七人の人間が命を懸けなければ不可能となる。
だが、本当にそうか。七人の命全てが、赩渦が渦巻くために使われているのだろうか。そうとは思えない。根拠は二つ。
まず儀式を行い、赩渦を発生させること自体に多大な魔力を消費する。それが一つ目。
そして、二つ目の理由として、世界の成り立ちが関わってくる。
そもそものところ、悪神たちがこの『創られた者たちの大地』に干渉してくるのは、自分たちが新たな『暗黒の主』となるため、『始まりの人間』の光と『暗黒の主』の欠片を集めることを目的としている。
ならば、悪神の徒たちが邪術により集める魔力は、大半が悪神たちに捧げられている筈なのだ。
つまり、呑まれた七人分の命全てが渦巻く力として使われている訳ではない。原動力として使われているのは、おそらくはせいぜいが三人分、多くとも四人分。であれば、ここにいる皆が力を合わして破れぬ筈がない。
それがバーバクの出した結論。
バーバクは思い出す。あの毒巨人との戦いを。人生最後の時となっても構わない、そう思い己が持ち得る全てを注いだ戦いを。
それに比べれば、さっきの自分は力を出しきれていなかった。悪神の徒たちが自らを生贄として顕現した邪術を破ると言うのなら、こちらも全てを懸けなければならない。
バーバクは覚悟を決める。
カルスタンも同じことを考える。そして、それはペールもだ。
「ファイサル殿。皆の守りを頼めますかな」
ペールはファイサルに問いかけた。ファイサルはその意図を読み間違えない。
「お任せを。長くは保ちません。ですが、必ず皆さんを守ります」
ファイサルは力強く答えた。
ペールは守りの光壁で皆を守る役目をファイサルに任せ、自分は赩渦を破るために力を振るうと言い、ファイサルは自分一人で皆が一撃を加える間、必ずや守ってみせると答えたのだ。
「そんじゃまあ、やりますか」
ジャンダルは杖代わりにしていた錫杖を構えた。
「おいおい、お前それ使えるのか?」
バーバクは眉を上げた。ジャンダルは首を傾け、悪戯っぽく笑う。
「うーん、多分。なんか知んないけど、できる気がするんだよね」
「多分かよ」
バーバクは苦笑する。皆も肩を竦め、ひとしきり笑った。
「まあ、いいや。なら、やるか」
皆は動く。
ペールは手を合わせ、祈りの体勢に入る。
ファイサルは両手で鉄棍を地につき、祈りの形に入る。
ジャンダルは錫杖を左手で握り、真っ直ぐに突き出した。
バーバクは戦斧を高く掲げ、魔力をまとわせる。
カルスタンは新しい付与の粉を取り出し、戦鎚に振りかけ手でなぞった。
ファルハルドは周辺への警戒を続ける。バーバクがファルハルドに見張り役を割り振ったのは無理をさせないため。
だが今、ファルハルドは確かにこれは必要な役目だと考えている。姿はない。気配もない。それでもファルハルドは感じている。どこからか暗殺部隊の者がこちらを見詰めていると。
ペールはその力の全てを籠めて、祈りの文言を唱える。戦神の神官たちが得意とする、単純で強力な法術による打撃を生む祈りの言葉を。
「我は闇を討ち滅ぼす者なり。荒々しき戦神ナスラ・エル・アータルに希う。不可視の拳で我が目前の、悪しきものを撃ち給え」
ファイサルは祈る。仲間たちは自分が守ると決意し、己が信じる戦神に真摯に祈る。
「我は闇との戦いを求むる者なり。荒々しき戦神ナスラ・エル・アータルに希う。悪しきものより守る、堅固なる守りを顕現させ給え」
ジャンダルは為さんと欲す。悪神の徒への怨みからではない。村人たちを、ジーラたちを守るため、力を欲する。
身体の奥底から湧き上がる熱い揺らめき。その手に握る錫杖は共振する。先端の透明な石より、変化させないそのままの魔力を塊として放つ。
バーバクは心を一点に集中する。この一振りに、全てを籠めるために。必ず破る、それだけを考え攻撃を繰り出す。
カルスタンは付与の粉により、己が戦鎚に魔力をまとわせ振り下ろす。戦士の意地と誇りを籠めて。
狙うは命を呑み込む呪詛『貪婪の赩渦』、その破壊。バーバクたちは力を合わせ、それぞれが繰り出せる最大の一撃を放った。
赩渦は激しく渦巻く。それは意思のある動きか、外力に対する反応か。
バーバクたちはさらなる力を籠める、この呪詛を打ち破らんと。赩渦は乱れ、触れるもの全てを呑み込まんと強く鋭く渦巻く。
バーバクたちを守る光壁は削られ、亀裂が走る。激しい音が鳴る。赩渦は乱れに乱れ、余波で周囲の建物を削りながら縮小した。
しかし、消えない。小さくなりながらも消えずに残り、再び拡大する様子を見せる。
追撃は続かない。皆は力を果たした。
ペールとジャンダルは気を失い、倒れた。カルスタンはその場に両手両膝をつき、大きく肩で息をする。
ただ、二人。バーバクとファイサルの二人だけが、片膝をつき息を乱しながらも、その瞳にはまだ闘志を宿す。
二人は一瞬互いの目を合わせ、バーバクは立ち上がり三度己が戦斧に弱々しくも燐光をまとわせ、ファイサルは罅だらけの光壁を顕現した。
ファイサルの光壁に守られ、バーバクは踏み出した。己が全ての魔力を使い果たしても赩渦を打ち破らんと。
バーバクは咆哮を上げる。戦斧にまとう燐光は目映い輝きとなる。輝く斧を翳し、バーバクは赩渦へと踏み込む。
今にも崩れ去りそうになりながら、光壁はバーバクを守る。
その時、その光壁を必死に展開するファイサルを狙い、暗闇から暗殺部隊の者が忍び寄る。バーバクを守るため、光壁の展開維持に全力を注ぐファイサルは襲撃に対応できない。
暗殺部隊の刃は届かない。ファルハルドが防いだ。
この暗殺部隊の者の気配の消し方は完璧。ファルハルドですら、間近に迫られるまで確かな位置を把握することはできなかった。
しかし、警戒していたファルハルドは見逃さない。姿を見せた瞬間には反応していた。斬り結び、仲間への妨害を防ぐ。
バーバクは突っ込み、渦の中心へその手の斧を振り下ろした。光をまとう斧と血のように赤黒い渦はぶつかり合う。乱れる赩渦は音を立てる。悲鳴のようにも聞こえる音を立て、赩渦は弾けた。
赩渦の渦巻く力は無秩序な流れとなって周囲に吹き荒れる。ファイサルはその力を振り絞り、押さえ込まんとする。しばしの拮抗。光壁の罅は広がり砕け散った。
流れ出した力の奔流は仲間たちを傷付ける。最も中心近くに立つバーバクは。鎖帷子は切り裂かれ、全身に無数の傷を負う。バーバクはその場に倒れ込む。
ファルハルドは暗殺部隊の者と戦っている。なんとか動けるまでに回復したカルスタンが暗殺部隊の者と仲間たちの間に立ち、もしも敵が仲間を狙おうとしても防げるように武器を構えた。
追い詰め、ファルハルドは暗殺部隊の者を斬り捨てた。
バーバクたちは悪神の徒が自らを生贄に生み出した『貪婪の赩渦』を破り、カルドバン村を守った。
しかし、バーバク、ジャンダル、ペール、ファイサル、そしてヴァルカは倒れ、ファルハルド、カルスタンが多大な疲労と負傷がありながらもなんとか戦えるという状態。
夜は明ける。カルドバン村への襲撃はまだ続く。




