106. 悪神の徒 /その⑤
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停泊地を出発して三日目の昼過ぎ、ファルハルドたちはイルマク山の麓近くへ着いた。
ここから細い道に従い半日ほど西南西に進めばカルドバン村に辿り着く。
ここより先は、どこで悪獣と鉢合わせするかわからない。ここまでで充分だと運んでくれたエルメスタの親父に心からの感謝を述べ、荷馬車から降りた。
かなりの急ぎだった。この親父は自分の馬の負担になろうともひたすらに急ぎ、無償でファルハルドたちの食事の手配まで行ってくれた。利になることなど、なに一つありもしないのに。
夜、野営の際に理由を尋ねてみれば、親父は渋く笑い、当たり前のことをしているだけだと答えた。
ファルハルドたちはせめてものこととして、名を問い、ファイサル神官が旅の無事と幸運を祈った。他の者たちはこの恩はいつか必ず返させてくれと言い、親父は期待していると笑って応えた。
ファルハルドたちは手早く食事を摂り、装備を確認。親父に別れの挨拶を述べ、カルドバン村に向け走る。
小走りで進みながら、同時に身体の調子を整える。この三日間、夜は野営しきちんと休んでいたが、荷馬車の揺れによる疲労が身体に溜まっている。特に尻と背骨には痛みもある。予想される戦闘に向け、心身を整えていく。
地面には多くの獣の足跡が残されている。足跡の上に足跡が重なり、はっきりとは判別できないが、足跡は犬や狼らしきもの以外に蹄を持つものや、もっと大きさの大きなものも小さなものもあるようだ。
やはり、相当な規模の大群がカルドバン村の方角に向け、移動している。
一刻ほど進んだ時、ファルハルドが声を上げた。
「待て」
まだ姿は見えないが、他の者より鋭いファルハルドの耳には獣たちの唸り声が風に乗って聞こえた。
話し合い、このまま道を進むのではなく、一度イルマク山に登りカルドバン村の状況を把握することにした。
獣道を踏み分け、山中を進んでいく。盾や槍、棍などを持ち、樹々や藪の生える斜面を進むのは楽ではない。四人は手間取りながら進み、カルドバン村を見下ろせる場所に出た。
思った通り、悪獣の大群がカルドバン村を取り囲み、襲っている。あの双頭犬人に率いられた群れを越える規模である。
「これほどの数がいったいどこから……」
ゼブは呟いた。ここは闇の領域からは遠く離れている。確かにこれだけの数がどこから現れたのかは疑問である。
ファルハルドには思い当たる先がある。
三年半前のことだ。フーシュマンド教導が言っていた。東国諸国で疫病が流行り、闇の勢力へ抵抗する力が弱まった結果、怪物たちの動きが活発になり悪獣の発生も増えるだろうと。
その悪獣たちが直接的にやって来たかどうかはわからない。しかし、溢れ出した悪獣を基として数を集めたのだろう。
今現在、村では戦闘が行われている。激しく攻められているが、未だ柵は破られていない。
昔、ファルハルドが東国諸国で闇の怪物の侵攻や悪獣の発生が増えていることを伝え、カルドバン村でも柵の補強をしたほうがよいだろうと話した意見が聞き入れられ、柵の補強が実施されていたお陰だ。
他の者たちには悪獣が村を攻め、村人たちがそれに抵抗していることはわかるが、それ以上詳しくはわからない。
ファルハルドには見える。悪獣の群れの中に人らしき姿があることが。
さすがにそれが人であるのか、亡者であるのかまでは判別できない。ただ、動きから判断するなら、おそらくは人。そして、その動きの癖は暗殺部隊の者とは異なる。
ここに暗殺部隊はいないのか。ちらりと考えると同時に気付く。ファルハルドたちが今いるこの場所は読み易い場所であると。
街道側からカルドバン村に向け進み、途中で悪獣の群れの存在に気付き用心のためカルドバン村を見渡せる場所を探したとすれば、自然と足が向かうのがまさにこの場所。
暗殺部隊がファルハルドを狙いカルドバン村を襲撃しているのならば、この場所を見逃す筈がないと。
ファルハルドの意識が切り替わったまさにその瞬間、ファルハルドの耳は微かな葉擦れの音を捉えた。
咄嗟に「敵襲!」と声を上げ、身を屈めつつ振り返る。
仲間たちの反応は間に合わない。視認するより早く、聞こえた音と勘により敵の方角を予想。ファルハルドは軌道上にいるヴァルカを突き飛ばし、盾を翳した。
ファルハルドが持つ盾は、冬の間にタリクに造ってもらった新作。それは今まで使っていた盾とは形が異なる。雪熊将軍の部隊との戦闘の際見かけた、敵が使っていた盾を参考に製作してもらったものだ。
その敵は長方形の分厚く巨大な盾を両手で持って使用していた。単に攻撃を受け止めるのではない。巨大盾を振り回すことで、敵を防御ごと撲殺する凶悪な武器として扱っていた。
同じ物を筋力に劣るファルハルドでは使うことはできない。
だが、その盾を振り回す姿を見た時、ファルハルドは閃いた。あれだ、と。巨大盾を振り回し、敵の攻撃も防御も薙ぎ払っているように、攻撃を受け止めるのではなく逸らし捌くための盾を使おうと。
タリクに製作してもらった盾は、ファルハルドが片腕で使用できる大きさと重量となっている。
長さは肘から指先までの長さ一アレンよりもさらに拳二つ分長い。そして、幅は腕の太さ二つ分。基本形としては長辺がかなり長い長方形をしている。
ただし、拳側の先端は敵を効果的に殴りつけることができるように三角形に尖らせており、腕に沿うように短辺方向は弧を描いている。
この盾は自在に動かすことが前提となっていることから、しっかりと構えることができるよう肘近くと手首傍の二箇所に腕を通すための革帯があり、その上で握って掴むための取っ手がある。合計三箇所で腕に装着し、左腕に密着させて使用する。
見た目からは盾を持っていると言うよりは、大きな手甲を装備していると言ったほうが近い。
腕としっかりと繋げることで重量を感じさせない造りとなっているが、さらに構造を鋼の薄金と革を貼り合わせる形にすることで重量を軽減させている。
ファルハルドはダリウスとの手合わせでこの盾の使い心地を確かめた。攻撃を受け止めるための盾ではなく、逸らし捌くための盾。
目が良く、攻撃を見極めることを得意とするファルハルドには今までの盾よりも使いやすい。ファルハルドはこの盾を気に入った。
甲高い音が鳴り響いた。ファルハルドは迫る黒く焼かれた刃に盾を翳し、刃を滑らし逸らした。
やはり暗殺部隊は待ち構えていた。
ファルハルドは小剣を抜き、刺突を狙う。暗殺者は体捌きをもって躱し、ファルハルドの背後に回り、そこから鋭い刺突。
ファルハルドは左腕に着けた盾で暗殺者の剣を殴り、逸らす。
ここでやっと仲間たちが反応する。
ヴァルカは突き飛ばされ倒れた状態から跳ね起きる。ファイサルは鉄棍を暗殺者の足に向け突き出し、その足を絡め取ろうとするが、暗殺者は巧みな足捌きで躱した。
その動きに合わせ、ゼブは斜め後ろから胴を狙い斬撃を見舞う。皮一枚は斬るが、暗殺者の動きが上回った。重心移動によりその場で宙返り。ゼブの剣は手応えなく空振り。
そこをヴァルカが狙う。ヴァルカは仲間たちと暗殺者の攻防を見、自分の槍捌きでは暗殺者の動きを捉えきれないと判断した。
だから、ヴァルカは直線的な突きでなく、柄の中心を両手で持ち槍を高速で回転させた。点ではなく面の攻撃で迫り、着地しようとした暗殺者の足を打つ。
傷は負わせられなくとも、体勢を崩した。そこにファルハルドが、剣を構え身体ごとぶつけるように跳び込んだ。
暗殺者は避けるのではなく、攻撃を選択。相打ちを狙った。
昔ならば、完全に躱しきることはできなかっただろう。
しかし、ファルハルドにはこの二年間で身に付け、深化させた体捌きがある。至近距離、命と引き換えにした敵の攻撃を、身に掠めさせることなく躱した。
暗殺者の胸に剣を突き立てる。暗殺者は最後の力を振り絞り、ファルハルドのその身を掴もうとする。
ファルハルドにはその狙いが読める。万華通りでの騒動の詳細を、療養中にバーバクたちから聞かされていたからだ。
素早い足捌きで下がり、掴もうとする敵の手を透かした。敵がなにかをする前に一気に踏み込み、全力で蹴り飛ばした。同時に仲間たちへと叫ぶ。
「伏せろ」
仲間たちは即座に地に伏せた。直後、敵の身体が爆散した。
暗殺者の血肉は周囲に飛び散り、吹き飛ぶ骨はファルハルドたちに迫る。
しかし、身を伏せたことから当たる面積は限られ、その限られた面積は鎧兜によって守られている。爆散による負傷は避けられた。
暗殺者の奇襲は凌いだ。だが、暗殺者の狙いは一つだけではない。
最後の爆散。その狙いは殺傷だけではなかった。奇襲に失敗した場合、その身を狼煙とすることで、部隊にファルハルドの到来を伝えたのだ。
ファルハルドの居場所は把握された。留まっていては狙い撃ちになる。
ファルハルドたちは短い遣り取りで方針を決定する。新たな敵が迫る前にここから移動する。真っ直ぐ最短距離を進み、村内へと合流すると決めた。
ファルハルドたちは一塊となり、最も近い出入口を目指し悪獣の大群へと突っ込んでいった。




